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恋の相棒

「『孤独という隙間を埋めるものは“人”である』と言われて、なかなかそれにうなずけない人間だっています。
『人との関係』の重要さに、まだまだピンと来ない人は、いくらでもいます。『孤独を癒すものは“人”ではない、もっと大きな“至高のもの”だ』という考え方をした方が安心する人だっていくらでもいて、そのために『人との関係』という言葉は、大きな誤解にさらされます。

どうしてかと言えば、人というものは『人を愛する』という行為をして、その行為の中で、うっかりとその相手の中に、『至高』というものを発見してしまうものだからです。

いつの間にか、『愛情』という言葉が、『幻想』と『錯覚』と『誤解』という言葉によって危うくされ、とっても寂しいものになりかかってしまいました。
それは恐らく、『人が愛するものの中に見るべきものは、“その人”なのか、あるいはそれとも、“自分を癒してくれる神のようなもの”なのか』という問いが登場してしまったからでしょう。
しかし、この答は、はっきりしています。
つまり、『その人は、あくまでも“その人”であって、その“人”でしかないようなものが、“愛情”というシチュエーションの中で、時としては“人を超えたもの”のようにも見えてしまう─そういう見方をしてしまうものが“人の愛情”というものなのだ』ということだけは、もうはっきりしてしまっているからです。

光源氏に愛されてしまった女達は、うっかりと、光源氏の中に『人を超えてしまった特別なもの』を見て、しかしそうなってしまった時、もっと大事なことを忘れてしまうのです。

それはつまり、『恋』というのは、人間同士の等分の関係で、だからこそ、すべての恋は『お互いさま』なのだということ。『自分が相手に関してへんな錯覚に陥った時、自分の恋の相棒も、必ずや同じような錯覚に陥っているのだ─だからこそその相手は、自分という人間の“恋の相棒”なのだ』ということです。」

橋本治『源氏供養』下


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