C.I.

Writer(元新聞記者)

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最近の記事

生きる意味

 瀬戸内寂聴さんは多数の著作を残され、多くの人に愛された作家だった。懇意にしていた作家・林真理子さんは、ご本人の許可を得て、寂聴さんご存命中に評伝を書くという企画もあったそうだ。  生前最後の対談の中で、高齢になっても変わらぬ執筆力と、出版不況にもかかわらず全集が飛ぶように売れている人気ぶりに、林さんは驚嘆と尊敬の眼差しを向けた。その旺盛な活力で書かれた本の中で、どの本が後世にも読み継がれていくかについて、寂聴さん自身が非常に鋭く忌憚のない回答をされていたことが強く印象に残

    • 太宰さんのこと

       夏は戦争に関連した日が多い。広島、長崎に原爆が投下された日、そして終戦記念日。ここ数年ラジオで聞いている「高橋源一郎の飛ぶ教室」でも、戦争にまつわる文学を題材とした特番が毎年8月にある。太宰治の作品が取り上げられたのは、一昨年のこと。たまたま時間があったので久しぶりに読んでみた。  太宰治については、ちょっとした親近感がある。中学生のころ、文学少女を気取って太宰の作品を読み漁った。太宰を読んでいると友人に言うと、何だか少し大人になったような、そんな気がしたものだ。とはいえ

      • 8月を前に戦争について考える

         終戦からもうすぐ80年が経とうとしている。日本がかつて占領していた国々からの我が国に対する見方には、今もって厳しいものがある。特に韓国の徴用工問題や慰安婦問題については、いまだに両国間に火種がくすぶっている状況だ。  私は今から約30年ほど前、カナダに語学留学した。その時に日本の旧占領国からの留学生たちが、日本や日本人に対して抱いている気持ちに否が応でも接さざるをえなかった。  クラスの約半分は韓国からの留学生で、私自身が両国の歴史についてあまりにも配慮し過ぎたせいかもし

        • 「神様のカルテ」から

           今日は現役の医師である夏川草介さんが書いた小説「神様のカルテ」を紹介したいと思う。  ドラマや映画にもなっているので、そちらをご存知の方も多いだろう。私はオーディオブックで家事をしながら聞いていたのだが、涙涙で家事どころではなくなってしまい、後日じっくりと読んだ。  この作品に出会ったのは、ちょうど父が亡くなってすぐのころ。亡くなる少し前に父がインフルエンザにかかり、対応した山梨県立中央病院の救急医療での出来事に、不満や怒りをずっと感じていて、まだその残火が私の心の中で

        生きる意味

          真の教育とは

           わが娘はバレエ教室に幼い頃から通っていて、小学生まではその送り迎えを私が担っていた。同じように教室に通っている娘さんを迎えに来ている親御さんの中で、しだいに顔見知りとなり、気さくに話せる方ができた。  得体の知れないコロナという病気が、やっとどんなものであるのか我々が掴みかけてきた、そんな時にある新聞記事について話す機会があった。  そのお父さんは京大を出たエリートで、2人の娘さんのうち上のお子さんを、東大合格に限りなく近いと言われる名門女子中に合格させた凄腕のパパだった

          真の教育とは

          本との対話

           対話する相手は、必ずしも人でなくとも良い。私は友達も少なく、また数少ない友と語り合う時間もあまりないため、本が良き友であり語り相手となってくれている。  本を読んでいて実に楽しいのは、その文章の持つリズム感や展開のスピードなどが自分の呼吸に合っていて、読んだ後に爽快な気分を味わえた時。主人公と一体化し、その感情や思いなどがまるで自分のものであるかのように感じた時。自分が生きている時代とは全く異なる世界に生きる作家が、自分と全く同じことを考えていたことを知って感動した時。物語

          本との対話

          いま求められているのは「論破」より「対話」

           ひろゆき人気は一時期すごかった。今でも書店では彼の本がたくさん並んでいるし、YouTubeでは彼がさまざまな人とあるテーマについて激論を交わし、彼あるいは相手を論破するという動画が世を賑わせている。  私は昔から議論が苦手である。できる限り人間関係で波風を立てたくないという性格からかもしれないし、論破できるほど頭の回転が速くないからなのかもしれない。もっと言えば、人が人を論破するところ、されるところを見るのもごめんだ。  他人を論破することで優越感に浸る人もいるだろう。ある

          いま求められているのは「論破」より「対話」

          死との向き合い方

           大好きな叔父が亡くなった日。その日から私は、人はいつか必ず死ぬのだと知った。3歳くらいだったろうか。父の膝の上で、果たして私はあと何年生きられるのだろうと、小さな指で数えたのを今でも覚えている。農作業で鍛えた逞しい身体をした父の膝の上は、幼い私にとって安全な場所だった。そんな父も4年前に88歳で亡くなった。  忙しい日々の生活に追われ、死についてなど考える事もほとんどなかったのだが、父の死はしばらくぶりにそれを考える機会となった。その時私はもう少しで50歳、人生100年時代

          死との向き合い方