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多くの犠牲のもとで生きることを描いた『プライベート・ライアン』

 新約聖書の、子羊のたとえが思い起こされる。一匹の羊がいなくなったとき、羊飼いはその他大勢の羊を置いて、迷える羊を探し出すことを選ぶ。ここでいう羊とは、弱い人間のことを比喩しているのだが、ではなぜ一匹の為に尽くそうとするのであろうか。同じ主題 が、この映画でも問われているように思える。

 本作品では、アメリカ軍対ドイツ軍という第二次世界大戦の中でも多くの被害者を出した地上戦において 、ライアンという一人の青年を探し出し帰還させるという任務を下された8人からなる部隊を軸に物語が進んでいく。

 たった一人の青年を探す為に、何人もの犠牲が出るという状況に対し、兵士たちは不満を寄せる。そうした兵士たちに対し、この部隊の隊長ミラーは、「正直、ライアンという人物はどうでもいい。一つの名前に過ぎない。だが、この最悪な戦争において一人の人物を救ったという事が、胸を張って妻の元に帰る事になるのなら、これは遂行しなければならない任務だ。」と言う。 一見すると某脈無人で理不尽な指令に対し、ミラーは部下を失くす事に個人的に深い憤りと悲しみを感じながらも、それでも一人を救うことに使命を見出そうとする。しかし部下二人の犠牲を払った後に見つけた当のライアンは、同じ戦場にいる兄弟 (仲間 )を残して帰還できないとして拒否をする。 そして、ミラーは最後まで任務を全うする為にライアンと共に戦場に残り、最後には死亡する。

 ライアンは 最後は生きて帰ることができるのであるが、ここで多くの難しい議題が発生する。一つに、ミラー隊長とその部下の犠牲と多大な労力の消費は、何の意味があったのかということ。
もう一つに、皆同じ条件下の中で労役を果たしているのに、国家の命令によって自分一人だけが帰るという状況への矛盾と混乱。多くの犠牲があってライアンが生かされているという現実の元で、何が正しい事なのかの判断を 下すことは容易に出来ない。戦争という状況が命の重みを引き出し、人間はそれを直視せざるを得ない。

 究極の選択を迫られる中で、ライアンが下した、戦地に残るという決断が及ぼした影響は、見る者にどのような問いかけがなされるのであろうか。数ある答えの中の一つに、ミラー隊長がライアンに向けて掛けた、「無駄にするな、しっかり生きろ」という最後の言葉があるのではないだろうか。人間は、 非常に弱い存在であることが戦争では浮き彫りになる。

 しかしその弱い存在である人間は、互いの存在がなければ生きていくことができない。互いの存在とは、誰かや何かの犠牲も含む。そうした生かし生かされ合うという人間社会の中で、一人ひとりの人間を大切にする事を伝えたかったのではないだろうか。人間という名の子羊、その一匹人間という名の子羊、その一匹の命の尊さと生きるという事の奇跡の、見えない所にあるものがこの映画を通して描かれているのだ。

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スティーブン・スピルバーグ,『プライベート・ライアン』,トム・ハンクス,エドワード・バーンズ出演,1998年公開

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