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2030年。子供をたくさん産みたくなる日本をつくる。

令和になりましたね。令和元日!ということで、「自分が令和をどう生きるか?」について、書いてみたいと思います。

2030年。子供をたくさん産みたくなる日本をつくる。

ヒューマンバリューさんという会社の研修を受けたのをきっかけとして、何度か書き直し、2012年1月頃にこの言葉を、浅井個人の目的意識として定義しました。

2007年に長女が生まれ、大きく価値観が変わりました。子育てに夫婦で忙殺されながら、マネージャーからの降格、一家を養っていく責任感に押しつぶされそうになったり、自分自身の可能性を信じきれなかったり、などなど20代後半は、本当に苦しかったです。その頃に、「チロさん、元気だしてよ!」と励ましてくれたのが、 @hatakey1 です。一生かけて、恩返ししていきたいです。

そういうしんどい時期を経て、苦しみながら言葉にしたのが、

2030年。子供をたくさん産みたくなる日本をつくる。

という目的意識でした。この機会を与えてくれた当時ネクスウェイ社長の富加見さんも一生の恩人です。

2012年8月7日。次女を亡くす。

自分の生きる目的が決まった矢先、産まれたばかりの次女を85日で亡くすということが起こりました。医師の先生に「産まれても長くは生きられない」と告げられた時、泣き崩れました。溢れてくる涙が止まりませんでした。

その後、夫婦で何度も何度も話し合い、

なるべくたくさんの人に会って心を通わせること

が、咲穂の人生にとって、最善ではないかと、夫婦で決めました。それは、そのまま私自身の生きる指針になっています。

当時の日記です。能登に住む母親が、孫に会った時の表情は今でも脳裏に焼き付いています。

ウイルスに弱い病気だったこともあり、会わせてあげることができたのは、10人にも満たなかったです。

2019年7月下旬、外に散歩できることが決まって、夫婦で大喜びした直後、咲穂は亡くなりました。一度も陽の光を浴びることすらかないませんでした。

2030年。子供をたくさん産みたくなる日本をつくる。

2012年初めに決めた「自分自身の目的意識」。その直後に咲穂を亡くして、覚悟が決まりました。

子供って未来だと思うんです。子供って、とても素敵だと思うんです。子供って、元気をくれると思うんです。子供って、問答無用に最高なんです。

2030年。その頃に25歳から30歳くらいになっている夫婦が、「4人でも5人でも産みたいね!」って言える日本って素敵な国だなと思って、起業したり、エバンジェリストやったり、「下北沢 屋根裏つくる」って言い出したり、七転八倒やっているわけです。

溢れんばかりの陽の光を浴びて、全てのお子さんがすくすく育ちますように!!!


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