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夏目漱石『坊っちゃん』を地理の視点から考える

 今回は、読書の秋ということで、文学作品と地理の話です。私はあまりたくさん読書はしませんが、夏目漱石が好きです。特に、小説『坊っちゃん』は読みやすく、楽しく読んでいました。小説の世界(舞台)について地理の視点で考えると、文学を読むのがより楽しくなるということを書かせていただきます。最後に松山旅行のときの写真も紹介します。

 今回読んだのは、夏目漱石『坊っちゃん』(角川文庫,2015年改版,はじめの発行年は1906年)です。あらすじを簡単に書くと、東京生まれの「坊っちゃん」が四国にある中学校に数学教師として赴任、悪戦苦闘する話です。そこで出会う同僚の先生や学生たちとのやり取りをコミカルに描いています。

 作品の舞台が、漱石がかつて中学校教師として赴任していた愛媛県松山市であるとされていることはとても有名な話ですね。道後温泉には坊っちゃん列車も走っています。こうした有名な話はもっと詳しい方の記事などを読んでいただければよいので、私は少し違った視点から考えてみたいと思います。

 今回の紹介の視点は、①中央と地方(東京と四国)の対比、②時代背景の読み取りです。

中央と地方―坊っちゃんが四国の悪口ばかり言うのはなぜなのか―

 まず、読んだことのある方ならご存知だと思いますが、坊っちゃんはお話の中で赴任先のことを徹底的に悪く言うんですね。少しずつ出てくる表現なら、都会から出てきて大変だったのか、くらいに思いますが、あまりに徹底的なので、読み始めは心配になります。しかし、読み進めていくと、それにも理由があるように思います。

 坊っちゃんは、東京に住んでいたときに住み込みでお世話をしてくれていた老女の清さんにとても可愛がられていて、四国に来てからもずっと気にかけていました。無事に着いたことを手紙で伝えたり、清さんからの手紙を読んであれこれ考えたりしています。また、赴任先での波乱の末に東京に帰ると、すぐに清さんに会いに行きます。そして最後には、自分が入る予定の墓に、先に亡くなる清さんを希望通りに入れてあげるんですね。

 私は、とても単純な読み方かもしれませんが、この清さんを東京に置いてきたという気がかりが東京への愛着になり、反動として赴任先の四国を悪くいうことにつながったのではないかと思います。地理学では、誰かが思い入れを持つ「空間」のことを「場所」と呼んで区別します。今回の坊っちゃんの場合、赴任先で過ごすにつれて四国が愛着のある場所になっていくのではなく、東京への思い入れが強まっているように見えます。

 さらに、「田舎」という言葉を使って四国を描写する場面が何度も出てきます。「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ」(P.45)、「おおかた田舎だから万事東京のさかさにゆくんだろう」(P.74-75)、「何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地ではとうてい暮らせるものではない」(P.92)のような表現です。そして、世間が狭いことですぐに噂が広がることに困らされ、生徒たちには団子を食べたり温泉(作品では住田と書かれているところ)に入ったりしている様子をどこかから見られて、いたずらをされます。こうした「田舎」に対するイメージも、「東京」との対比において意味をもつものです。

坊っちゃんに描かれる世界の時代背景

 次に、時代背景との関係を考えます。まず、出てくる食べ物の値段が違うのは当然ですね。「団子二皿七銭」と生徒たちに書かれたりしますが、この値段の価値は私たちにはピンときません。こうしたときに役立つのが『常用国語便覧』(浜島書店)でした。私が持っているのはずいぶん前の便覧ですが、「明治30年頃の物価」として、コーヒー1杯2銭、カレーライス5銭、のように説明が書かれていました。坊っちゃんが書かれたのが1906(明治39)年なので、なんとなくイメージができます。団子が二皿で7銭は少し高い気がしますね。

 また、魚釣りに行く描写があるのですが、釣れる小魚について「この小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料にはできるそうだ。」という説明があります。ここで以前読んだブラーシュ『人文地理学原理』(岩波文庫,飯塚浩二訳,1940)に出てくる日本の説明を思い出しました。ブラーシュというのはフランスの近代の人文地理学を確立した人で、この本では世界の各地域について詳しい説明があり、日本についても書かれています。「日本人の食物に魚類が今日どの程度に重要な地位を占めているかは人々の知るところである」(P.144)、「魚類の屑あるいは山から刈り取ってくる草にあおぐ肥料」(P.145)のような説明がありました。魚が肥料になるということにあまりピンときませんでしたが、当時は特に農業において大切な肥料だったのですね。

 このほか、食べ物に注目してもいろいろなことが見えてきます。「おれは一皿の芋をたいらげて、机の抽斗(ひきだし)から生卵を二つ出して、茶碗の縁でたたき割って、ようやくしのいだ。生卵ででも栄養をとらなくっちゃあ一週二十一時間の授業ができるものか」(P.105)という表現があります。この時代にも生卵を食べたんだなあと驚きましたが、当時は卵も高級だったと考えられるので、坊っちゃんの金銭感覚の大雑把さを表しているのかもしれません。

文学は地理の視点で読むとさらに面白い

 ということで、文学作品もその背景を考えながら読むと、楽しみが増えると思います。途中で紹介した『常用国語便覧』には、小説『こころ』の舞台となった当時の東京についても詳しい地図で説明がありました。現実の地理と想像上の地理、そして創作の中の地理の一致・不一致や時代変化を考えるのは、とても面白いです。大学の地理学は西日本は文学部にあるため、地理を学んでいる人は歴史学や文学を一緒に学ぶ機会があるのも嬉しいですね。

 最後に私の数年前の松山旅行の写真を添えて、今日のお話は終わりにします。お読みいただきありがとうございました。いつかまたゆっくり、松山に行きたいです。そのときは小説『坊っちゃん』を旅のお供にします。

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坊っちゃん列車(道後温泉前にて)

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伊予鉄の車両側面にあったお菓子の宣伝

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ゆるキャラの「みきゃん」が描かれた車両

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道後温泉近くの商店街で見かけたかわいい猫

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道後温泉の外観

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道後温泉の説明書き

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坊っちゃんの登場人物になれるパネル

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松山城からの眺め(高いところに登れて満足しました)

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松山城の立派な石垣と、登っている黒猫

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 石垣をどんどん登っていく黒猫

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 ついに壁を登った黒猫

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 黒猫は猫らしい入口から城に入って行きました。城主かもしれません。

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夜の道後温泉(落ち着いた雰囲気でした)

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名物の鯛めし(とてもとても美味しかったです)


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