エッセイ1-「医療の発展に伴う良い面と悪い面について考察せよ」

昔何かのきっかけで書いた文章を掘り起こして、ここに記します。医学部編入受験生の方は小論文の参考にでも使っていただけると幸いです。なお、医学部編入の過去の出題に対する回答案ではないので、以下のような書き方で高得点を取れる保証はないのでご留意ください。

「医療の発展に伴う良い面と悪い面について考察せよ」

 数千年前から人類は病を克服するため、病気の治療法を模索してきた。近世の西洋において実証に基づく自然科学へのアプローチ方法が築かれて以降は、科学全般における知識と方法論が世界的に統一されて目覚ましい発展を遂げてきた。
 科学の発展が社会に大きな貢献をもたらしたことは言うまでもなく、これは医学も例外ではない。医学の発展がもたらした人類への最も大きな貢献は、過去の技術では救えなかった命を救えるようになったことであろう。医学は病気に打ち勝つための学問であるため、人命救助が最も明瞭な医学発展の指標となるのは自然なことである。

 例えば分子標的薬の開発により、がんの変異遺伝子特異的な薬物療法が可能となり、がん患者の予後が大幅に改善された。また、ワクチンによる感染症の克服によって間接的に何億人もの命が救われた例もある。このように、個人の疾患に応じた効果の高い医療選択や、効果的な予防法の確立によって多くの命が救われたことが、医療がもたらした輝かしい側面である。

 一方で、医学の進歩が必ずしも望ましい結果をもたらすだけではない。その一つに、最先端医療には多額のコストがかかり、患者や国の医療財政が圧迫されることがしばしば話題に挙がる。最近承認されているいくつかの遺伝子治療薬は、特殊な薬効のため数千万を超える高額な薬価が付与されることがある。このような状況では結果として金銭的な格差が医療の格差に直結することが推測される。

 もう一つは、科学技術の進歩によって自然超越するような医療行為ができるようになった反面、生死感の議論が多様化することである。例として、脳死を死と定義するか、意識のない状態で無限に延命させる行為が本人の利益になるか、など答えの出ない問いを医療従事者及び患者・家族が突きつけられる機会も増えてきた。このような生死に関わる価値観の多様化は、法律制定の面にも大きな議論を生むことになるだろう。

 最後に、医療の高度な細分化が進むことで、病院間での医療技術の格差が生じる可能性が挙げられる。高度な技術を習得するためには、相応の時間と工数が必要となるため、全ての医師が全分野の最先端の知識と技術を均質に持つことは不可能である。医師が集まる都会では専門性を分業化することで高度医療を提供することができるかもしれないが、医師不足の進む過疎地では最先端の医療技術を提供できないという事例も考えられる。

 我々が医師として医学的な社会貢献をするには、臨床や研究開発に携わり患者を直接・間接的に救う方法だけでなく、上述した医学の発展の負の面を最小限にすることも一つの道であろう。すなわち、医療技術の進歩は実験~治験~申請・承認のみで終わるものではなく、確立された医療技術が経済的・倫理的ハードルを超えて、かついかなる場所の患者にも平等に供給されるようになってこそ完成なのである。これには、医療従事者と行政との連携によって倫理面の法整備や医療財政への対応など早いうちから行い、新しい医療技術に対する社会的な基盤を築くことによって実現される。また、各地域への医師の供給を均一にするようなシステム設計に協力するなど、社会面で医師が貢献できることも多いと考えられる。このように医学は総合的な学問であるため、他分野の専門家と協働して社会に貢献することが求められる。

以上

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