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うちの両親の話を聞いたら、人生なんとかなるってマジで思えるから皆ちょっと聞いてほしい。

私が人生に絶望しきったことがないのは、実は父と母の存在がめっちゃ大きいんじゃない?と気付きまして。今日はそのことをちょっと書いてみる。

35歳でアトピーと言われ治療開始。
食物アレルギー(乳、小麦、チョコNG)
結構強めのHSP。あれにもこれにも過敏。
子供の頃はいっつも仲間外れ。
新卒の会社でめっちゃ病んで1年で辞める。
仕事を転々とし続けてもう10社以上。
出産は30時間陣痛に耐えてからの緊急帝王切開。
産後は母乳詰まりまくりの、産後うつ(人生どん底)

書いてて「うげ」と思ったけど、割といろんなことがあった35年間だった。その都度めちゃくちゃ病んだし、もう今度こそあかんかもと産後の半年は特に感じたけれど、今も割と元気に生きてる。

「もうだめだ」と絶望しかけた時の最後のストッパーは何かと考えたときに、自分以上に「なんでやねん、おい」とツッコミ満載な人生を生き続けている父と母がそれなんじゃない?と気づいた。

うちの両親の話を聞いたら、ほんまに人生なんとかなるかもと思えるから、ちょっと聞いてほしい。

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我が家はいわゆる「円満でほんわか幸せな家庭」ではなく、割と問題だらけだった。

父は酒を飲んだら人格変わるし、母は同居の姑や親戚連中にいびられたストレスから30代でリウマチを発症。

ついでに父と父方の祖母が宗教へのめり込みまくり。寺ばっか連れて行かれた幼少期。普通の仏教だったことが救い。

父は「誰が食わしてやってると思っとるんや!」と昭和感満載、なのに令和でもいまだ耳にする台詞達を連呼。まじくそ。酒乱ってくそ。

一人っ子の私はそんな姿を見ながら「結婚なんかするか」「男ってサイテー」「女も強くあらねば」という価値観をゴリゴリに形成しちゃって、超絶生きづらい人生だったんだけど。(20代から30代にかけて、そういうのをポイポイ捨てたから今はそこまでしんどくない。)

そんな家庭だったけど、私は嫌いになり切ることはなかった。

いじめられた時に「先生に話しに行く!!」と即座に学校に乗り込んでくれた母や、「学校に行きたくないないなら行くのやめたら良い」と言ってくれた父。

2人とも、何かあった時に私の主張をちゃんと聞いてくれて、「お前がこうだからいじめられるんや」ということは一切言わなかった。

自分の娘が虐げられている!となれば、相手が友達の親だろうが教師だろうが、バトリに行く。勇者感満載。

それを見ていると、父と母は私の絶対的な味方なんだと思えた。

くそみたいなことも多い家庭環境だったけど、なんやかんやで空中分解しなかったのは、最後の最後で踏み止まる信頼関係が親子間であったから。

小学校が嫌すぎてストレスでめっちゃ太っていた時も、両親は「デブ」とか一切言わなかった。むしろ「可愛い可愛い」と言ってた。

イヤイヤ明らかにデブいし可愛くないやろ!と本気で両親の審美眼が心配になったけれど、自分の容姿に対して「私って超絶ブス」みたいな思考になったことがないのは、この頃の経験が大きかったんだと思う。

可愛いとか、お前を信じてるとか、行動や言葉で示すって大事。ほんまに。

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さて、そんな父と母。

父は3年前にステージ4の食道がんが見つかった。手術できなければ余命半年だったらしい。

食道がんの手術は難しく、そもそも全身のリンパに転移していて発見時は手術すらできませんという状況。

それを3回の抗がん剤に耐え(抗がん剤の副作用が一番辛そうだった。あ、ほんまにこの人死んでしまうかもと覚悟した)結果的にがんが小さくなり手術も成功。

5年生存率がめちゃくちゃ低いステージ4の元患者が、毎日仕事に行っている。週5日フルタイムで。孫が大好きで、遊ぶ時は息子の下僕。デレデレな孫バカじいちゃん。

父曰く、自分が死ぬなんて一切思っていなかったそうな。ほんまかい!変人か!!!!!(最初から本人にがん告知されてた)

そして母。30年患ったリウマチが寛解(完治とは言えないけど、病状が治っている状態)。あちこちの病院を自分で開拓し、大阪から岡山、大阪から東京と1人で足を運び元気になった。

目の手術や、盲腸摘出など、あっちこっち病気をしているけど、まあ元気なこと元気なこと。

もう還暦すぎてるのに、自営業まで始めた。毎日zoomで講座を受けたり、カウンセリングしたり(母はカウンセラー)とめっちゃ忙しそう。還暦すぎてるのにzoomて。ハイテクすぎやん?

2人とも「もう無理でっせ」という段階から生還したり、治療が成功したりしてる。高齢者に片足突っ込んでるのに、まあ毎日アクティブですわ。(父67歳、母64歳)

そういえば昔はめっちゃ借金があったのに、家を2回も購入してる。今は前の家を売り、我が家の近所のマンションで長年の夢だったという素敵家具に囲まれて暮らしてる。

家具はアクタスで揃えたから、まじでおしゃれ。雑誌に載ってる部屋かよ!という感じのリビング。

そんな感じの両親なので「まあ、なんとかなるって!」の説得力がすごい。実地で訓練積みすぎちゃう?!ってくらい積んでる。

(今思い出したけど、父は結婚前に肺結核を患いサナトリウムで療養していたそうだ。吐血もしたそうだ。映画かよ)

だから私も、普段はネガティブ寄りの考え方だけど、最後の部分がめっちゃポジティブ。というか、楽観的。だから色々踏みとどまって来れたんだと思う。

ほんまになんとかなるんやなと、この両親を見ていたら思わざるを得ない。ネタに使わざるを得ない。

そして今のところ、なんとかなっている。金銭面だって、精神面だって、ほんとギリギリなところまで行ったことがあるけれど、なんとか元気だ。だってあの親の子供だからね。

父はがんを患ってから一切酒をやめた。そしたら「あんたここまで話せる人だったのね」というレベルで穏やかに話せる間柄になれた。

酒乱が本当に怖くて辛くて、酒を飲んだら人が変わる姿が恐怖だった。暴言を吐かれたり、絡まれたり。理不尽なことしかなかった。

あのまま酒浸りだったら、父の葬式で泣けなかったと思う。

それくらい、酒乱の父に接するのは嫌だった。でも今は、きっとこの人が死んだら葬式で私は泣くだろうと思う。

父と母みたいな家庭は嫌だと、正反対の人を探し続けて見つけたのが今の夫だ。穏やかで、優しくて、酒もほぼ飲まないし、暴言も暴力もない。

でも結局は、自分が育った家のように、子供にも夫にも絶対的な味方でいようと決めている。

嫌だと思った中にも、宝物がある。それが私をここまで生かしてくれた。

もう波乱万丈すぎるやろ、あなたたち!といまだに思うけど、これからどんな第二?第三?の人生を過ごして行くのか楽しみ。そばでしっかり観察しておこうと思ってる。

「この親あってこの子あり」なんだから、私もこんな風に育つわけだわ。おかしいったらもう。

両親のことをこんな風に書いたことは初めてだったけど、書き出すほどに「なんやこの超人」って感じが半端なかった。

どうも、超人の娘です。



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