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「ラストオブアス2」を終えて


プレイし終わって最初の感想は「ようやく終わった・・・」。


7年前に前作「ラストオブアス」をプレイし、映像やゲームプレイといった技術面は勿論、緻密に描かれたキャラクターたちの心情からなる残酷で物悲しい物語に感動はしたものの、
過酷な道を乗り越えてようやく目的地であるソルトレイクシティに到着したのに、エリーは思い悩み、それを見かねたジョエルが「やめてもいい」と切り出したこと疑問を感じた。
等身大で説得力あるキャラクターたちであったにも関わらず、主人公であるジョエルやエリーの思考が腑に落ちなかったのだ。

その疑問が解決したのは二週目をクリアした後だった。

寄生菌によるパンデミックでインフラが破壊された2013年から20年後の世界が舞台というのは、同時に文化を知っている世代知らない世代というジェネレーションギャップを生み出している。
文化を知らないエリーの世代は常に暴力と略奪が起こる弱肉強食の世界しかなく、生きていくためには友人や身内、愛人等を捨てなければいけないことが常だ。
エリーの友人であるライリーは勿論、母親やゲーム中に出会ったテスやサムなど。いつ大切なものを失ってもおかしくない時代。
ジョエル達は生きることそのものに価値を理由なく見出しているが、エリーたちの世代は生きることがなによりも苦痛なものになっている。

「置いて行かれるのが一番寂しい」と語った彼女が免疫に一際拘っているのも、彼女にとってはそれが生きる価値だからであり、
しかし裏を返せば、彼女は免疫によるワクチンが完成すると同時に生きる理由を失うことになる。
ソルトレイクでのジョエルとの会話は、事が終わったあとの生きる理由に思い悩んでいるという、現実世界の我々には理解しづらいことが描かれていた。

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続編では序盤でエリーは耐え難い苦痛を味わい、その復讐としてシアトルへ旅立つことを決心するが、物語が進むに連れてその復讐心が自分の心に重しとなって返ってくることになる。
報復の連鎖を描いた作品ではあるものの、要所に差し込まれる過去を振り返るシークエンスや思い悩むシーンなどから、次第にその復讐心が形骸化され、いつのまにか復讐心こそが自らの存在理由であるかのように、明確な理由もなく顕在化するものへと変貌していく。

心は悲鳴を上げているがやめるわけにはいかないという泥沼化した状況を生み出してしまったのは、やはり前作で提示された彼女の世代特有の価値観だ。

「俺はな、生きるためにずっと戦ってきた。
 お前も、何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ」

前作のラストにおけるジョエルのこの台詞は、生きる理由が無くなった彼女に対して、生きることそのものを目的にするのではなく、戦うために生きるという考えを提示したもの。
結果的にそれはエリーを生きさせる方便になる。ジョエルの私情混じる複雑な愛情の表れでもあるこの台詞は、続編で最悪の形になって表面化する。


復讐する相手の一人でもあるアビーも、エリー同様復讐心によって自己を確立してしまっているが、
アビーの場合は度々リフレインするソルトレイクでの病院内のシーンで、復讐心が揺れ動くという抽象的な描写がなされている。
そして復讐が為された後は、少しづつ芽生えてくる「後悔」が心を蝕み始め、敵対者に手を差し伸べるまでに至る。
アビーのこの行動は懺悔の思いも感じられるが、それを復讐心に駆り立てられたエリーによってぶち壊される。

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この作品のテーマは「復讐」と、もうひとつに「後悔」がある。
アビーは罪の意識、そして友人であり恋人でもあったオーウェンとの関係に対する後悔の念だ。
最終的にアビーは罪を半ば認めエリーを許した(見逃した)が、それはジョエルと同じように生きる価値を助け出した子供のレブに見出したからというのが大きい。

しかしエリーの場合は復讐からくる罪の意識での後悔もさることながら、
シアトルへ向かう前、前作の真相を知ってジョエルを否定するようになったエリーが、最後までジョエルとの和解を出来なかった後悔が残ってしまう。

その後悔についてはアビーに向けられているように描かれていない。
新たに始まったディーナとの生活の中でフラッシュバックする映像に、アビーの姿もなければ明確にアビーを殺すという言葉を言っていない。
この時すでにエリーの中ではアビーを殺さなかった後悔からくる苦痛ではなく、
「あの時、あの場所で、なぜ(ジョエルに)許しを与えなかったのか」という自らの後悔からくる苦痛だ。

しかしエリーは前作で提示された特殊な死生観から戦うことに囚われており、
自分の後悔を覆い隠そうとするように再びアビーに刃を向けてしまう。

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ストーリークリアで得られるトロフィー名「やらなければならなかったこと」が示す通り、
果たしてこの復讐劇が彼女らにとって一番必要なものだったかどうかはわからない。
しかしながらゲームをプレイした自分としては、彼女らの行動は人間としておかしいものであるとは思わないし、
かといって正しいものとも言えない。
人間の心というものは多層的で複雑だ。だからこそ理屈では説明できないものでもあるし、酷く残酷でもある。

前作をプレイした身としては受け入れ難い精神的にくる物語でもあったが、
なにより辛かったのは、今作のゲームの構成が歪であることだった。

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エリー編とアビー編で別れた本作は、エリーの目線をメインにしている。
しかし最初のエリー編が終わると時間が巻き戻ってアビー編が始まるため、両者が交錯するところまでは全体の物語は停止してしまっている。
なによりアビー編はエリーの物語にあまり影響を与えない。最終的にエリーは己の気持ちと対峙するものになるため、アビーというキャラクターはあくまでサブストーリーなものでしかない。

だからといってアビー編が必要ないものだったかと言うとそれは違う。
アビーはエリーに向けられた鏡のような存在でもあり、同時に終盤になるとアビーの姿が前作のジョエルと重なるような演出がなされるなど、物語を重層的なものにさせるために必要な存在だ。
しかし前作の「レフトビハインド」のようなDLCにではなく、
本編に強制的にプレイさせるという手法が、逆にプレイをかったるいものにさせている。
加えて、前作からあまり変わっていないアクション面や敵など、変わり映えしない印象があるため、物語の魅力がゲームプレイの原動力となるはずが、その物語が途中から停滞するため酷く長く感じてしまう。

クリア時の感想が「長かった・・・」となった原因は、そう感じてしまう構成になっていたから。


ゲーム部分はあまり良いとは言えないが、
相変わらずの美しいグラフィックとキャラクター描写、
そしてなにより声優陣(とくにエリー役の藩めぐみさん)の素晴らしさが際立つ傑作であることに間違いはない。

エリー、ディーナを大切にな。

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