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子どもが産まれた日のこと。

2018年11月16日。
私にとって、人生で2番めに大事な日になった。
ふたりめの息子が産まれたのだ。

それは深夜2時、わずかなお腹の痛みからはじまった。まだ予定日まで20日くらいあったので、単にお腹を壊したかなと思った。昨日は、2歳3ヶ月になる長男の保育園のママ会で、たらふくガストの唐揚げ弁当を食べてしまったのだ。

しかし、トイレに行っても、痛みは弱まる気配がない。数日前にダウンロードした陣痛アプリで、痛みの間隔を計測してみる。これが等間隔だった場合、陣痛の可能性が高い。すると…7分間隔くらいで痛みが来ている。

あれっ、まさか、陣痛?

念のため病院に電話してみると「すぐに来てください」とのこと。ええっ。タクシーを待つ間にトイレに行ったら、おしるしが出ていた。これは、本当の本当に、陣痛なのかもしれない。鏡を見ると、心なしかお腹が下がってきているような気がする。やばい、ここで力を入れすぎると産まれてしまうかも!?!?息子と夫は自宅待機するため、私ひとりでタクシーに乗った。

早朝4時45分。
病院に着き、ワンピースを着たまま内診をしてもらうと、子宮口が6センチ開いているようだった。そして「今日産まれます」と言われる。今日、もう赤ちゃんに会えちゃうんだ…!まったく心の準備をしていなかった。11月16日が誕生日かぁ、2日遅かったらミッキーマウスと同じだったのに。湧きあがるいろいろな感情をお腹に抱えて、陣痛室ではなく、分娩台へ。

痛みはまだまだ我慢できるレベルだった。でもここで前回を思い出すと、もっともーーっと痛くなることはわかっていた。前回の陣痛ではコツがつかめず、この狭い骨盤からどう赤ちゃんが出てくるのか理解不能だった。鼻からスイカを出す感覚っていう表現がすごく的確だと思った。前回は「もうやめましょう」と助産師さんに泣いて懇願し、その提案は一瞬で却下された。

しかし今回は、出産という行為自体に慣れていて、とても冷静で、落ち着いていたように思う。「痛みからの逃げ方」を体がマスターしているようだった。陣痛はずっと痛いのではなく、痛い瞬間とまったく痛くない瞬間が交互にやってくる。陣痛の波がくるたび、私はサーフィンのようにその波をとにかく超えることだけを意識した。

すって、
吐いて、
すって、、、

陣痛の波に合わせて、息をたくさん吐くことに集中した。痛いと思ったら、ただ息を長く吐いた。すると、ふしぎと痛みが下から抜けていくような感じがした。

お腹から触れる赤ちゃんの足をさすりながら「がんばれー!」と念をこめると、痛みが遠のくようだった。赤ちゃんの足はどんどん下の方に移動していくのを感じる。がんばってるのは私だけじゃない!この子も下に下に、降りてこようとがんばってる。

朝6時30分ごろ。病院に着いてから1時間半以上経つと、陣痛の間隔はどんどん狭まっていることがわかった。痛かったけど、痛いと思わないようにした。明けない夜はないし、ずっと続く地震も陣痛もない!そう言い聞かせる。

それが、何回続いただろうか。
陣痛の波をサーフィンしていたら、「もう次の発作で産まれます」と担当の看護師さんから告げられた。いつ着替えたのか、看護師さんはマスクをつけて頭にはメッシュのキャップをかぶり、血を浴びる用の青い手術着を着ていた。ナースコールをかけると、3人の別の看護師さんがバタバタとどこからともなく分娩室にやってきて私を取り囲んだ。私の分娩台の横には、いつの間にか、小さな透明のプラスチックの新生児用ベッドが置かれていた。その上には白いバスタオルが敷かれ、小さなおむつが広げてあった。

いよいよ産まれるのだな…

私は次の陣痛の波がくると、ここではじめて思わず「痛いっ…痛いです」と声がもれてしまった。でもこの痛みをできるかぎり、下のほうへ。呼吸をして、下へ下へ。意識したら、なんとか乗り越えられる気がした。

そのうち、いきんでいいのかダメなのかわからなかったけど、もういきまないと痛みから解放される術がなくて、まだ破水もしていなかったけど、いきんでしまった。陣痛はもはや1分間隔くらい。陣痛がきたらいきむ。いきむ。いきむ。いきまなくちゃ、やってられない。

そのうち、生理痛を極度に痛くしたような、我慢できない痛みが下腹部にきた。骨盤がこじ開けられる。いま赤ちゃんが狭い骨盤から、頭を出している。そういう感じがする。がんばれ、がんばれ、がんばれ!もうあとは私がありったけの力を出すしかないと思った。運動会の綱引きみたい。こんなに全力の力が必要だなんて、痛くて痛くてあきらめそうになる。

看護師さんから、下のレバーをつかむようにうながされた。海をもがき苦しみ何とか泳いで、近くにある浮き輪をつかむように、下のほうにあったレバーを見つけて握りしめた。右、左とつかんだ。思ったより遠くなかった。

レバーをつかみながら、今もっているありったけの力を出したくて、 横によじれるようになる。「両手で持って!私のほうを見て!」看護師さんにまっすぐ下を向き、いきむように指示される。

私はもっと力を入れるために、目をギュッとつぶった。すると「目は絶対に開けて!!!」と看護師さんは私の脳内に届くように、ありったけの大声を出した。まるで雪山を遭難中に寝そうになり、レスキュー隊から「寝るな!」と力いっぱい叫ばれるシーンのよう。

頭が、出てきている。きっともう少し。呼吸が荒く、自分の顔がひどいことになっていることがわかる。こんな顔は看護師さんじゃなきゃ見せられない。

産みたい。もう、産みたい。

しかし、ここでお腹の張りが遠のく。私は絶望的な気分になった。今の陣痛で産めると思ったのに!また次の陣痛を待たなくちゃいけない。その間が、永遠に長く感じられた。でも出口付近で、頭を出した赤ちゃんが、小さくもにょもにょと動いてる感じがあった。今までお腹で感じていた手足のかわいい胎動と同じ動きだった。もうすぐ、もうすぐ。

ほどなくして次の陣痛がやってきて、もはや痛いのかわからず、力をいれ続けるしかなくて、とにかく本能のままに膣の部分に圧をかけるように、今まで歴代の便秘にかけた力を総動員するかのように、力をかける。

エイヤッ!!!!!!

すると、ドゥルン!という感覚とともに、大きなかたまりが下から出てきた。繋がっていたぬめっとしたホースのようなへその緒も、一緒についてきた。

ああ、産まれた。
産まれた
産まれた…

朝6時49分。
目の前を通り過ぎた赤い小さなかたまりは、想像以上にずっと小さかった。長男より小さく感じた。顔はやっぱり、長男にすごく似てる。泣き声が、小さな別の哺乳類の赤ちゃんみたいだった。赤ちゃんって、こんなにかわいい泣き声だったっけ?

前回の出産では、終わりの見えないマラソンが、ようやく終わったかのような喜びで涙がでた。でも今回はこのお腹のなかにいた小さな命と出会えたよろこびで、涙がでてきた。看護師さんにはずっと「冷静だ」って言われたけど、終わったら安堵して感極まってしまった。

赤ちゃんがいないお腹をさわると、ぺったんこでふにゃふにゃでびっくりした。さっきまで、皮がパンと貼りつめた、バスケットボールみたいだったのに。

産まれてすぐの赤ちゃんは、少し呼吸がしにくいようで、すぐに隣の部屋につれていかれ、小児科の先生に診てもらった。何か命に別状があるんじゃないかとかなり不安になる。心拍数を測る機械みたいな音がして、それがゆっくりになったりするたびに、命が続くのかどうなのか、不安になる。思わずお祈りしてしまう。

1時間後、産まれたての赤ちゃんをやっと連れてきてもらった。どうやら上手に呼吸ができるようになったみたいだ。

頭は、両手の人差し指と親指で円を描いたくらいに小さい。顔は、産まれたてほやほやの赤ら顔。おでことか、鼻に、白いプツプツが出ている。髪の毛は白いあぶらで、固まっている。目が開かない。新生児。私のこども。

わぁ、こんなに重量のあるものが、お腹の中に入っていたのね。抱っこすると、しっかりと重みのある命が、腕のなかに感じられた。においをかぐと、赤ちゃんの優しいにおいがした。よく産まれてきたね。がんばったね。ちょっと前までは、私の体温だったものが、今は腕のなかにいる。外にいる。そりゃ、呼吸だって、最初はうまくできなくて当然だよね。

いろいろな感情に浸りながら分娩台の上に寝そべっていると、まさか今日産まれるとは思っていなかった夫が慌ててやってきた。両親もLINEで「産まれた」と知らせると、朝食も食べずに駆けつけてくれた。家族に会えると安心して、また泣きそうになってしまう。立ち会い出産はかなわなかったけど、ひとりだったからこそ、出産に集中することができたような気もする。

少し寝て休んだら、次は16時に赤ちゃんに面会できるみたいだ。今日はずっと休んでいてもいいですよと言われたけれど、迷わず面会を希望する。これからずっと会うことになる赤ちゃんだけど、今だけの赤ちゃんだから、また会いにいこう。

これから、家族4人の生活がはじまる。

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