見出し画像

玄関前の男


【玄関前の男】

人は自殺したらその場所に魂が縛り付けられるなんて言うが、私はあまり信用していない。同じように事故死した人がそこに留まるというのも、全部ではない。いずれもその人達の性格と、状況によるというのが正しいと思う。

以前住んでいたマンションで毎日のように顔を合わせていた男は、まさにそのどちらかの状況だったのではないかと思っている。

独身時代のマンションはいわゆる単身者用で、学生もいれば社会人もいた。朝早く出かける人もいたし、夜中まで煌々と電気をつけている人も沢山いた。私はもれなく後者だ。

そこはそれなりに栄えている街で、人も多いし駅も近い。少し離れたところにほんの小さな墓地はあったが、別に怪談話が出るような“それっぽい”雰囲気ではないし、ビルも沢山あった。強いて言うなら建物と建物の隙間に小型の動物霊とか、ヒルや蛇のような形の精霊がウヨウヨしていたくらいだ。

だが、往々にしてそういう所は吹き溜まりになりやすいとも言える。

私のマンションはまさにそうで、特に私の住んでいた階から上に色んなものが引っかかっていた。てろてろした白い布切れがかかってるなと思ったら手が生えていたり、洗濯物みたいにぶら下がる平べったい女だったり、ライオンみたいな鬣を持った人面爪楊枝だったり。結構面白いメンツだった。

中でも、その男は印象的だった。

「うぉっ!」

最初にはっきり姿が見えた時は驚いて変な声を出してしまった。玄関を開けたら、鼻先がぶつかるくらいの距離でそこに立っていたからだ。生身の人間相手ならこんな反応では済まなかっただろう。相手が霊体で良かったと思う。

その男は40〜50代くらいで、左頭部が一部欠けて潰れており、そこから流れた血がダラダラと頬を伝って肩に落ち茶色くこびりついていた。見るからに痛そうだしグロテスクだったが、そこは別段気にならなかった。それよりも、真っ青な顔をしてこちらを睨みつけているその顔の方が嫌だった。なんだ、何か文句があるのか。勝手に人の家の玄関前に陣取っておいて、と毎日イライラした。

何か用?と聞いても答えない。動けないの?と聞いても無言。ただひたすら私を見下ろすだけ。

そんな玄関前の気味の悪いオブジェは、私がそこを引っ越すまでの間何年も続いた。特に何をしてくる訳でもない、血まみれの男。事故にあったのか、自殺したのか、事件に巻き込まれたのか、全く分からない人だった。なんでわざわざそこに立っていたのだろう。


引っ越してから数年経つが、未だにあの玄関前に立っているのがわかる。彼にとってそこが大事な場所だから留まるのか、それとも理由があって離れられないのか。

もう別の人間がその部屋に住んでいる。きっと彼には気づいていないだろう。


玄関前の男。


彼は一体誰なんだろう。
今でも、青ざめた顔でこちらを見下ろすあの血走った目を思い出す。

.

※実体験を元にほんの少し脚色して書いています。出てくる個人名や会社名、地名などは現実のものとは一切関係ありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?