競争の中で生き延びるということ

お笑い好きには気になる季節の到来。M-1のセミファイナリストが今日の昼頃に出た

※以下の内容はあくまでも個人の考えだと捉えてください※

結果から言うと、正直納得がいっている部分が大きい。売れっ子にも忖度の文字はほとんど見られない。去年は準決勝の時点で胸熱展開、そしてコロナに影響されて活躍の場を制限されていた分、ここの熱量が異常だったのかと思うほど。もしこれで3回戦があったらどうだったのだろうか、とも思うことも。(きっともっとすごい争いになってそう)

いろんな意見が午後以降から今まで私の使うSNSに飛び交っている。

いつから好きになったんだ、お笑い

いつから私はお笑いに好きになり、そしてM-1という芸人の中では重要度が極めて高い(特に〜15年目まで)ものに惹かれて来たのだろうか。


お笑いにハマったきっかけはエンタの神様から。ただその時はM-1に対する意識は薄かった気がする。(画像はHuluより引用)

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わかることは、2006年にチュートリアルがM-1優勝したときもメンツがすごかったのを覚えている。アマチュアコンビや5人組(※当時)、優勝経験者も這い上がってきた年だ。そのときに衝撃を受けて以来、毎年のように見ていた。気づけば敗者復活戦、ひいては準決勝をも見ていくようになった。

ただ個人的にはM-1で優勝する=スターになるという方程式は2008年頃に崩れてしまったのではないかと思う。

'08年、そしてそこから数年

敗者復活戦の勢いで出たオードリーの台頭に始まり、際立ったキャラまたは漫才スタイルを持つ芸人さんが増えてきた。そしてそれからすぐにM-1が一旦幕を下ろすことになる。最後の年は既定路線感が強かったのが受験生ながら覚えている。
このあとにあったTHE MANZAIはどちらかというとベテラン勢が強かった印象。このあとお笑いから少し遠のいたこともあり、おそらくちゃんと見たのは2014年くらい。その年に博多華丸・大吉が優勝を取ったのを最後にTHE MANZAIが賞レースの形を取らなくなり、M-1が翌年帰ってきた。

以降のM-1は最初は正直、人気もあって、それなりに実力ある人が優勝していて、確かに面白いけど誰かが牙城を崩すような印象は薄かった。...18年までは。

若手が出てきた、勝負事の価値が少し変わった

霜降り明星の優勝で出てきた第7世代、彼らの優勝に刺激された多くの芸人の集大成が2019年。その大方が今年もセミファイナリストとして残っているほど彼らの実力は折り紙付き。特に今年は状況がガラリと変わった影響も大きいのかもしれないが、それでも面白さを証明すべくネタに磨きをかけたのでは?と感じる。

勝負事。しかも期限はコンビを組んでから15年。長いようで短い期間。今回の準々決勝で敗退したラストイヤー芸人も一定数いる。

彼らを見るととてもかっこよく見えるのである。芸人の大きな仕事は目先のお客さんを笑わせること。なのにどこかかっこいい。素敵としか言葉が出てこないこともある。

時代の変容で必ずしも賞レースに出る芸人がその後スターダムになるとも言い難い時代。でも、勝負事、競争の中で生き延びた芸人さんは力を蓄えている。多くの戦いの中で自分たちができることを徹底的に追求した結果、世間にもその場を審査していた側にも受け入れられたのかもしれない。(18年19年は特に実感した)

ここ数年、個人的にこの賞レースと似た感覚で数年ほど競争の中で争わなくならないといけない状況が生じた。まだその戦いは終わってなくて、まだまだ現在進行。おそらくもう5連敗くらいしている気がする。ここまでくると本当に自分はこの世界にそぐわないのでは?と思うこともある。自分の中でもマンネリ化していないか、この流れがテンプレになってきていないか、という時期になってくる。でも今年頭にあることを知ってからは自分の中で変えていこう、と実際に行動に移し始めている。(※この影響が大きくて、現在思った以上に推し活ができていない)

ちなみに、今回記事を書いたきっかけはこのブログにもある(ちなみに学天即は準決勝に進んでいます)


勝負事の中で生き延びるということ、この長い道を乗り越えた先に得られるものは彼らにしかない確固たる「何か」なのかもしれない。

さて、今週末には準決勝のLV買わねば...!