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自分を、まるごと、愛する。

自分にはまだまだ伸びしろがあると思っている。
そして、毎日いろんなことが起こるけど、それらを全部含めて「私」という一人の人間が出来上がっているので、常に今日の自分が最高を更新していると思っている。

思っている。が。

やはり心を乱されることもあるわけで。
先日、テレビ電話で昔の友人と話していたときのことだ。

「Sakiさん、あんなことやってましたもんね(笑)」

私が数年前に本気で取り組んでいた、ある分野の仕事をことをなんだかバカにされた。
いや、正しくは「バカにされた」と、思ってしまった。

友人は、ただ単に昔の懐かしい話をしていただけかもしれない。
でもその言い方に何か引っかかってしまって、そこからはなんだか会話がつまらなくなってしまった。

この出来事について考えてみると、

①バカにされたくないほど、それだけ本気でやっていた
②自分自身でも否定的に捉えているところがある

この2つの側面があると思う。

①は、文字の通り。やはり本気でやっていたし、現在でもその経験は役に立っているし、今後も仕事の一つとしてブラッシュアップしていく予定である。
それを、なんだか軽く言われたような気がしてしまったわけである。まぁ、友人はそんなつもりなんて全然なかったかもしれないけど。

そして、問題なのは、②である。
例えば、上記の会話で、
「あんなことやってましたもんね(笑)」
と言われても、
「そうそう、やってたやってた。めっちゃいい経験だったよ!」
と、ただの楽しい話として盛り上がることもできる。

それが、自分の中で何かチクッとするということは、

自分自身でも、その経験をバカにしているところがある

と、いうことなのかもしれない。

例えば、身長が180㎝ある人が、
「おーい、そこのおチビさん」
と言われても、気にしないどころか、自分に言われているなんて気づきすらしないかもしれない。だって、自分でチビだなんて1㎜も思っていないから。

一方、160㎝の人に同じ言葉をかけたとする。
人によっては、160㎝は高いと思う人もいるし、低いと思う人もいる。自分自身が「チビだ」と思っていたら、
「おーい、そこのおチビさん」
と言われた時に…

そう、自分のことを言われている、と思うのだ。
チビと言われてイラッとしたり、「やっぱりチビなんだ」と落ち込んだりするかもしれない。
身長160㎝は本当に素晴らしい!!(ちょっと大袈裟だけど)と、心から思えていないから、人の言葉に反応してしまうのだ。

さて、私の話に戻ろう。

同年代の友人が、大学を卒業して、5年、10年とキャリアを積んで、給料アップして、ベテランになって…。
といった、いわゆる安定している生活を横目に、仕事を辞めて新しいことを始めるというちょっと異質(自分の周りではかなり異質だった)な人生を歩んでいる自分自身に、どこか劣等感や、否定的に捉えているところが、まだあるのかもしれない。

けれど、私は今回のことで、また改めて自分自身を向き合うチャンスをもらったということだ。
私が体当たりで経験してきたことで、得たことはどんなにあっただろうか。
その経験によって出会えた人はどんなにいるだろうか。
どれだけ自分の考え方を広げることができただろうか。
今後の人生を豊かにするきっかけをどんなにもらっただろうか。

そう考えると、やっぱり、捨てたもんじゃない、と思う。
そんな経験できた私、いいじゃん、とも思う。

まだまだ自分の人生の道は途中だけど、これからも、人になんと言われようと、自分の気持ちや直感に従って、自分だけの人生を楽しみたいと思う。

そして、
「あんなことやってましたもんね(笑)」
と言われた時、
本当に心から自信をもって
「だからこそ、今の私があるのよ」
と、言えるようになろう。

自分自身のことを、否定的に捉えるか、どんなことがあっても肯定的に捉えるかは、完全に自分の自由だ。誰からなんと言われようと、関係ない。自分は自分のことをどう思ってもいい。
だったら、やっぱり自分のこと愛してあげよう。


と、そう思った勢いで今日のnoteを書いた次第である(笑)

未来を担う子どもたちの健やかな成長を願って…。大切に使わせていただくことを約束します!