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子どもたちの、素直でまっすぐな表現から学ぶこと

小さな子どもたちは、
楽しければ笑うし、
嫌なことがあれば怒ったり泣いたりする。

まぁ、2歳くらいから大人の顔を見て演技したり忖度したりする子もいるけど(笑)

一方、大人は悲しいからっていつでも泣いていいわけじゃないし、嫌なことがあったって、めったに喚いたり暴れたりできないし、しない。

まぁ、それは、大人だからだけど。
当たり前といってしまえば、当たり前なんだけど。それが大人ということだけど。でも––。



子どもたちは、言葉もまっすぐだなぁと思う。

まだまだ少ない語彙で、必死で自分の思ったことをまっすぐ伝える。

だから、ダイレクトに伝わる。

オブラートに包まないから、言葉の威力がすごい。
攻撃的になってしまうこともある。だから、人を傷つける言葉は、それは別の言い方を教える必要がある。


けど、まっすぐな表現て、いいよなぁ、と思う。

大人になるとなかなかできない。

たまにそれで苦しくなる。


自分が使う言葉も、
様々な人と話すうちに、いろんな言い回しを覚えていくわけで。

言いにくいことを言わなければならない時は、曖昧にして、断言しないで、語尾をほんのり濁す…。


…なんだか全然伝わらない気がする。


人の話を聞く時も、言葉の裏に隠れているニュアンスを汲み取ったり、空気を読みながら話を聞くことが求められたりする。

「やめてもいいかもしれないわね」と、
笑顔で言われたことが、
「やめなさいよ、そんなの」の意味だったりする。

子どもから大人になるどのタイミングで、こういうことを理解できるようになるのだろう。

私は…、結構時間がかかったな…。


とりわけ日本語は、曖昧な表現が多い。
その曖昧さのおかげで、素敵な言葉もたくさんあるし、想像力をかきたてらることもある。

だけどコミュニケーションにおいては、私はもっと素直に、まっすぐな表現をしていきたいな、と思う。



曖昧にしてるんだから、汲み取ってよね?

ではなく、

私はこう思います、あなたはどうですか?

と、そう伝えられたら、いろいろなコミュニケーションが円滑になるし、はっきり伝える分、そういう考えもあるんだ、と見解を広げるきっかけにもなる。


子どもたちと話していて、
あぁ、私は普段、空気を読んで、アンテナ張って、裏の裏を読んで…
そういうことに、少し無駄だとも思えるエネルギーを使っているかもしれない、と思った。


少なくとも、私の周りの人たちとは、素直な表現やコミュニケーションを取りながら、過ごしていきたいと思った。

逆に、そういうかかわりができる人達と、これからも時間を共有していたいと、思った。


そして、そう思うということは、実現できるということ。

想像できることは、実現できること。

いつか実現した時に、この記事を読み返して、あぁやっぱり実現できたんだなと、笑おう。

未来を担う子どもたちの健やかな成長を願って…。大切に使わせていただくことを約束します!