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【創作論】歴史創作界隈の炎上で感じた、故人へのリスペクトとは?

 歴史創作が炎上している。

 詳しく追えてはいないが、実在していた故人、或いは子孫へのリスペクト問題は、中々難しいところ。
 僕とて、亀井主水をあんな風に書いたものだから、亀井南冥のご子孫からのお叱りは当然だと覚悟していた(今のところは無問題)

 歴史創作のスタンスは、人によって様々だ。しかもリスペクトなどという精神的なものは、作風とは乖離することもあるので、話がややこしくなる。
「BLのネタにしているけど、リスペクトはしています!」という作者に、「どこがやねん!」と突っ込んでも、作者にとってはリスペクトをしているかもしれないしね。
 結局は、一般常識という物差しで測るしかない。まぁその物差しも、極めて「お気持ち要素」が入るわけですし、相手に通じないこともありますので、中々に難しい。

 ついでに、僕のリスペクトとは何ぞや?

 僕は、自分のルールに則って、歴史をエンタメにしていること。そのルールを破らないことが、僕の「リスペクト」の形と思っている。
 それで、僕のルールは一つだけ。
 史実の人物をフィクションとして描く場合、必ず「そうあってもおかしくない」という根拠を求めるようにしている。
 僅かな点の穴かもしれないが、そこに指をぐりぐりと大きくするような感じ。

 例えば――。
 島津重豪は薩摩弁を禁じたから、僕は薩摩嫌いにしました。
 長谷川平蔵は田沼意次の賄賂係をしていたから、田沼の秘密諜報員にしました。
 一橋治済は陰でコソコソしていたから、天下への野望を持たせました。

 そんな感じです。

 少なくとも、フィクションの根拠を持たせる。でなければ、その人物である必要がないからね。
 根拠のない脚色はしないのが、僕のルール。
 あの亀井南冥だって、福岡藩が改易していれば、医者にならずに武士となっていたかもしれないじゃないか。

 ただ常々言っていますが、実在の人物を面白おかしく書いて、おまんまの種にしている業は背負っているつもりです……。
 このリスペクトが、欺瞞であることも含めてね。

 追伸、この問題はいずれ尊敬する歴史時代界隈の狂犬・YY先生が、ビシッと納得できる持論を展開してくれると信じております(・∀・)

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