第6回純国産メンマサミットin飯田2024レポート
かつて竹は、私たちの生活のあらゆる場面に欠かせないものでした。竹でできた建材が家を支え、竹籠が収穫物を運び、春にはたけのこが食卓を彩りました。その豊かな存在は、生活そのものであり文化でもありました。しかし、時代の変化とともにその存在感は薄れ、今では放置された竹林が環境問題の一つとなっています。
それでもなお、竹には私たちがまだ見ぬ可能性が眠っています。その未知なる可能性を見つめ、新たな活用を模索する人々が立ち上げたのが「純国産メンマプロジェクト」です。2017年に始まったこのプロジェクトは、「美味しく食べて竹林整備」を合言葉に活動し、環境保全や地域経済の活性化といった多くの課題に挑んできました。その活動の輪は、今や全国40都府県に広がり、多くの関心を集めています。
「純国産メンマサミット」は、純国産メンマプロジェクトに参加する団体が一堂に会し、竹林整備の優良事例や新たな活用法を共有する重要な場です。2017年12月に京都で初めて開催され、竹資源の活用を楽しみながら模索する参加者たちの輪は、広島、裾野、淡路島、糸島と続いてきました。
2024年10月13日、長野県飯田市で開催された「第6回純国産メンマサミットin飯田2024」。このサミットでは、竹の新たな可能性としての「竹菜」の提案や、多様な主体が協働する竹林整備の取り組みが語られました。
本レポートでは、このサミットで語られた多彩な取り組みと竹の持つ可能性をお届けします。竹が描く未来をぜひ一緒に感じてください。
清々しい秋空の下、「第6回純国産メンマサミットin飯田2024」が幕を開けました。純国産メンマプロジェクト代表の曽根原宗夫さんの挨拶には、竹の可能性を信じ、地域に根ざした持続的な活動を広げていこうという強い想いが込められていました。
曽根原:私たち純国産メンマプロジェクトでは、竹を生活の中の必要な資源としてどんどん取り込んでいこうという姿勢でやっています。個人や数人だけで奮闘して頑張っていると、だんだんモチベーションが続かなくなってしまいます。だからこそ、竹の地下茎に負けないようなネットワークを作り、力強く竹林整備や資源としての活用を進めていく必要があります。飯田では、竹林整備をはじめ地域に根ざした様々な取り組みが進んでおり、他県の方からも「面白いことをしているね」と言われるようになりました。ぜひこの機会を通じて、皆さんに情報のネットワークを広げていただければと思います。
「森の恵みで地域をモリアゲよう!」株式会社モリアゲ代表 長野麻子さん
講演のトップバッターを務めたのは、株式会社モリアゲ代表の長野麻子さん。元農林水産省の官僚で、森への情熱を持ち続けた結果、2年前に独立し、株式会社モリアゲを設立しました。長野さんは、森林や竹林を単なる自然資源としてではなく、地域社会や未来への貴重な財産と捉え、その価値を最大限に活用するための取り組みを提案しています。まず、長野さんは日本の森林の現状について触れました。
長野:日本の森林全体のうち、植えてから50年を超えるものが6割以上になっています。これらを使い、また植えることが大事です。現在、ほとんど植えられていない現状があり、森林として少子高齢化の状態にあります。私たちの孫世代になった時に、使いたいけれど使えるものがないということも想定されます。
長野さんの熱のこもった言葉に、このままでは次世代が利用可能な森林が減少し、将来の選択肢が限られてしまうことへの危機感を抱きました。竹林についても以下のように語っています。
長野:新しいものを植えるには、今あるものを切り、森全体を手入れする必要があります。竹林においても同様です。皆さん各地で頑張っていらっしゃいますが、全国的にはまだ手入れが行き届いていない状況です。放置竹林という課題がある中、食材として消費することや土木資材への活用などを組み合わせながら、活用の道を探っていくことが大事だと思います。
竹の活用については、具体的な取り組み事例も紹介されました。バイオ炭は竹を循環型資源として地域の中で利用し、さらにカーボンニュートラルの達成にも貢献します。また、企業との連携による持続的な竹林整備についても触れられました。
長野:企業版ふるさと納税やカーボンニュートラルに関連するクレジット制度を活用することで、竹林整備に必要な資金を地域に引き込み、持続的な活動を支える仕組みを作っています。こうした取り組みによって、企業はカーボンオフセットを行いながら地域貢献を実現でき、竹林整備の推進力となっています。
多様な主体が関わることで、竹林整備は単なる環境保護にとどまらず、地域経済の活性化にもつながります。長野さんは、森林や竹林の可能性を最大限に活かし、地域社会に新たな価値をもたらすための取り組みを提案しています。国土の7割が森林である日本において、私たちが竹林整備を通じてどのような役割を果たせるのか、その具体的な道筋を示していただいた講演でした。
竹の多面的な可能性を現実の取り組みに結びつけるためには、具体的な活用例を知ることが重要です。今回のメンサミットで行われた企画の一つ「竹資源活用ブース」では、竹資源がどのようにプロジェクトや製品で活かされているのか、その実例が紹介されていました。次に、それらの取り組みをご紹介します。
竹資源活用ブース
竹資源活用ブースでは、竹を資源として活用する多彩な取り組みが紹介されました。竹粉製品の開発、竹細工やバンブークラフト、竹炭やエキスの利用、さらには竹粉を活用した製品など、多岐にわたる企業や団体が出展していたブースには、プログラムの開演前だけでなく、休憩中にも多くの来場者が立ち寄り、竹の可能性に興味を抱いている様子が見受けられました。
数多くの出展の中から、今回は竹材を利用した土木資材や竹炭商品の開発を行っている(株)共生の取り組みについてご紹介します。(株)共生はバンブーウォールの展示を行っていました。バンブーウォールは竹を利用した補強土壁で、加熱乾燥処理を施すことで竹の強度を上げる加工がされています。伐採した竹を大量消費する目的で開発・商品化されたもので、現在は加工する竹を他地域から持ち込んでいるものの、将来的には、商品を使う地域で竹の伐採から加工までを行う地産地消の実現を目指しています。
自然資源である竹を循環利用することは、環境問題への対策に貢献するとともに、放置竹林が引き起こす地域課題の解決、地域の活性化にも繋がります。行政でも地域住民でもなく、企業という立場だからこそできる試行錯誤があります。長野さんのご講演と(株)共生のお話を通じ、そのことを強く感じました。
「竹をめぐる歴史とその生態を知り、共に歩む未来を考えよう」小林慧人さん
長野さんに続き、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所関西支所の研究員である小林さんから、「竹をめぐる歴史とその生態を知り、共に歩む未来を考えよう」というテーマでご講演いただきました。小林さんはまず、竹が独自の生態を持ち、どのように共存しながら成長しているのかを解説しました。竹林にはどのような特性があるのでしょうか。
小林:竹林は同じように見えますが、10年ほど個体調査を続けると分かってくることがあります。竹の生態を調べてみると、⾚ちゃんからおじいちゃんまでいるような、そういうある種社会構造をなしてるということがわかります。また、⽵林を数十年ずっと見ていると、一見変わらないように見えても、中では入れ替わりが起きていることがわかります。⽵林というのは、他の植物を⼊れないような形で、⾃分だけの⼈⽣をしっかり守るような、なかなか巧みな⽣き⽅をしています。
竹が持つ独自の生態を理解することは、竹を資源として活用し、持続的な関わりを保つ上で非常に重要です。
次に小林さんは、竹の歴史について話を進めました。竹は長年にわたり、私たちの生活を支えてきた資源です。その利用の方法は時代とともに変化し、地域社会にもさまざまな影響を与えてきました。江戸時代の終わりには、すでに全国各地で広がり、生活に深く根ざしていました。当時の絵にはたけのこを運ぶ様子が描かれており、竹が生活資源として生活に密着していたことが分かります。明治時代に入ると、たけのこの缶詰が生産されるようになり、竹林の栽培がはじまり、地域経済に大きく寄与することとなりました。
小林:大正時代、研究をしていて非常に驚きましたが、1世紀ほど前の1919年には、国の機関から竹林をもっと植えましょうという規則ができました。今私たちがいる長野県もそうでしたし、その後も竹林造成を奨励する動きが続きました。孟宗竹が多く植えられたのもこの時代です。
当時の経済的なニーズや政策の影響を受け、多くの孟宗竹が植えられ、それが地域経済に与えた影響は計り知れないものでした。しかし、時代の変化とともに竹の役割は変化していきます。昭和後期には、輸入たけのこの登場により国産たけのこはシェアが減少し、平成の時代には、放置竹林という課題が社会的に注目されるようになりました。そして現在は、純国産メンマプロジェクトを中心に竹の新しい食活用の可能性が模索されています。
小林:今回お伝えしたかったのは、⼀世紀という⽵の⼀⽣がまだまだ終わらない期間のうちに、人間の側には相当な変化があったということです。これからどう竹と付き合うかを考える上でも、こうした歴史を踏まえておくといいのかなと思っています。
「竹菜」の可能性
小林さんの講演で語られた竹の歴史や生態の理解をもとに、次に目を向けるのは、竹が持つ食材としての可能性です。竹は昔から日用品や建材として私たちの生活に根づいており、たけのこも食材として身近な存在です。そして近年、竹の新たな側面に光を当てようという動きが活発になっています。今回のメンマサミットでは、NPO法人いなだに竹Links(長野県飯田市)が取り組んできた「いなちく」の製造方法紹介と、竹菜の可能性を探る「竹菜レシピEXPO」の開催を通じて、竹の新たな食文化創造の一歩を踏み出しました。
「いなちくの製造」NPO法人いなだに竹Links副代表理事 伊藤隆子さん
メンマの製造・販売は全国各地で様々な団体がチャレンジしており、NPO法人いなだに竹Linksもその一つです。従来、土に生えているたけのこは旬の食材として価値があるものの、地表に出て伸びてしまったものは硬くて食べられないとされていました。しかし、2mほどまで伸びた竹(幼竹)を刈り取って節の部分を取り除くとメンマとして加工できる食材になります。NPO法人いなだに竹Linksは、福岡県糸島市で編み出されたこの方法をもとに、伊那谷のメンマ「いなちく」の製造・販売をスタートしました。
伊藤:私たちが住む伊那谷は、南アルプスと中央アルプスに挟まれ、その真ん中を天竜川が貫いているという独特の地形になっています。私たちは、この恵まれた自然の中で育まれている孟宗竹を使いメンマを作っています。
私たちのこだわりの一つは、化学調味料を無添加にしていることです。保存料も使っていませんが賞味期限3ヶ月を実現しています。 また、他のメンマ商品と比べて調味液の色が薄いのは、竹を食べていることを実感していただくための工夫です。
長年の試行錯誤を経て確立したカットの基準や塩漬け工程などに関する説明には、随所にこだわりを感じさせます。また、製品の食品表示においては、原材料名に一般的な呼称で表記する必要があり、本来は「幼竹」と記載したいものの、「たけのこ」と表記せざるを得ない事情も明かされました。こうした工夫や背景を述べた後、講演の終盤に伊藤さんは次のように語りました。
伊藤:野菜がある。山菜がある。じゃあ竹菜があってもいいんじゃないか。そんな考えのもと今後動いていきたいと考えています。竹菜という言葉は、広島で開催された第2回メンマサミットで「今後、幼竹のことを竹菜と呼称したらよいのではないか」と提唱したところから始まりました。現在、純国産メンマプロジェクトでは竹菜という呼称をしており、商標出願中です。
今はまだ、商品パッケージの裏には「たけのこ」という記載が必要です。ゆくゆくは、一般消費者の方々が「竹菜」という表記を見て、「安心だね」と手に取っていただけるような世の中になればと思っています。
竹菜という竹の新しい可能性の開拓はまだ始まったばかりです。竹菜が私たちの日常に取り入れられ、消費者から積極的に選ばれる食材となることを目指し、純国産メンマプロジェクトの取り組みは続いていきます。
クラフトメンマストリート
メンマもまた、竹菜における重要な活用方法の一つです。今回のメンマサミットでは、全国から集まった15の団体が「クラフトメンマストリート」でメンマを試食販売し、竹の食材としての魅力を来場者に伝えました。
クラフトメンマストリート参加団体の一つである京都府立須知高等学校をご紹介します。須知高校には普通科と食品科学科があり、今回は食品科学科に所属する2年生2名と先生が参加しました。普段は農業生産から食品製造、販売・流通のほか、地域特産の栽培や、愛玩動物の飼育管理、里山の保全・活用などについても学んでいます。今回のメンマサミットでは、栽培から加工まで自分たちで取り組んだメンマの販売を行いました。
「メンマと聞くと、ラーメンに乗っていたり、中国で生産されているものというイメージがあるけれど、それ以外にももっと色々なメンマを見てみたい」という参加動機を反映するように、竹菜レシピEXPOの会場では、竹菜料理を味わい、出品者から積極的に話を聞く2人の姿が印象的でした。
須知高校の2人も味わった竹菜レシピEXPO、どんな料理が披露されたのでしょうか。次にご紹介します。
「竹菜レシピEXPOのご報告」一般社団法人横浜竹林研究所代表理事 小林隆志さん
竹菜の食材としての可能性を広げる取り組みの一つとして、竹菜レシピEXPOが開催されました。「もうラーメンだけのメンマじゃない」をテーマに、竹菜が食材としてもっと幅広く活用されることを目指したこのイベントでは、全国から寄せられた様々なレシピが披露されました。応募総数47件の中から選ばれた6組のファイナリストが、料理教室形式で竹菜を使ったオリジナル料理を紹介し、参加者に竹菜の新しい魅力を伝える機会となりました。EXPOを担当した小林さんは次のように語ります。
小林:今日のイベントそのものが発信の場所です。竹菜レシピEXPOを今日だけで終わらせず、これからも各地でどんどん開催していき、レシピを育て、竹菜がメンマを意味するのではなく、様々な料理に活用できる一つの食材として位置づけられることを目指しています。
ファイナリストの皆さんのご挨拶です。料理教室の様子も含めてお楽しみください。
「伊豆の里山メンマディップ」株式会社フルーツバスケット
戎谷:伊豆半島もご多分に漏れず竹林が広範囲に広がっています。食品会社としてお役に立つことがしたいと思い、3年前からメンマづくりにトライしてきました。参加者の方からは、美味しいというお声に加えて、アレンジに繋がるご意見をいただくことができました。
「台湾ラーメンまぜソバ」竹とお結び
本多:メンマを脇役ではなく主役にしようという目的から考えました。メンマといえばラーメンというところから、メンマを細長く加工し、ラーメンのようにずるずると啜れるようなものを考え、台湾ラーメンに至りました。
「竹のかき氷 バンブーアイスカチャン」道の駅たがみ
馬場:みんなで楽しく課題について考えられたらいいねというところがスタートです。メンマを甘くして食べたことがないことに気がつき、甘くシロップ漬けで味付けをするレシピにし、こだわりの地域食材と一緒に、竹の食感も感じられるかき氷が完成しました。今後もぜひみんなで楽しいことやっていけたらなって思ってます。
「メンマクロックムッシュ」山ラボ
島津:我々の団体は去年まで塩漬けメンマしか商品がなかったのですが、それ以外にも、近所で買えるものを使って気軽に食べることができるものをと考えました。今後は、竹林整備が楽しい、面白いと思える人が増えるように、遊びながら体験を増やしていきたいです。
「九州で一番人気のインスタントラーメン」竹次郎
仁田:今回は「ラーメンだけのメンマじゃない」というテーマでしたが、いっそのこと見た目も変えてラーメンを再構築しようという思いで作りました。九州の豚⾻ラーメンのスープは上に泡が出ます。生クリームを使用してその泡を表現しました。外側の生地は小麦粉を焼いたもので、バリカタ風の麺を表現しました。私たちがいる糸島でも、小規模でもEXPOを開催できたらと考えています。
「和メンマあんみつ」竹とお結び
最後に、ファイナリスト団体の一つである竹とお結びさんにレシピに込めた思いをインタビューしたのでご紹介します。こちらの団体は、普段は愛知県で竹藪整備活動を行なっています。生い茂り遊べない環境となっている竹藪を、子どもたちの安らぎの場所となる竹林にすることを目指しています。
今回応募したレシピは『和メンマあんみつ』。細かく刻んだメンマを寒天と白玉の中へ入れ、竹炭と塩をふりかけたスイーツです。「メンマ=ラーメンのトッピング」というイメージが強いため、竹の可能性を広げられるようなレシピを作りたいという思いで、今回の『和メンマあんみつ』を考案しました。レシピ名にある「和」は、日本食という意味だけでなく、交流の「輪」を広げるという意味も込められています。
竹菜を入れることで、白玉や寒天本来の食感にアクセントが含まれていました。また、甘味が苦手な人でも食べやすい味で、子どもから大人までの全世代が竹菜を美味しく味わうことができるレシピでした。
ファイナリストの皆さんをはじめ、素敵なレシピのご提案をいただいたみなさま、ありがとうございました!
パネルディスカッション「多様な主体との協働による里山・竹林整備」
純国産メンマプロジェクトには、現在160を超える団体が加盟しています。全国で異なる地域条件、気候条件がある中、竹林整備から純国産メンマづくりまで様々なストーリーが展開されています。その中でも先導的な役割を果たしている飯田モデルは、どのように始まり、どのように様々な主体が連携するようになったのでしょうか。キーパーソンたちの語りにそのヒントがありました。
宮坂:今回のパネルディスカッションのファシリテーターを務めます。普段は市役所の職員をしており、NPOみらい建設部という団体にも所属しています。純国産メンマプロジェクトでは事務局を務めています。本日は皆さんと一緒に楽しい時間を過ごしたいと思っています。
曽根原:3年ほど前まで、24年間ほど天竜舟下りの船頭をやっていました。気がついたら船頭がメンマを作りはじめ、飯田で面白い船頭が面白い竹林整備をしているということで、色々な地域の講演会に呼ばれるうちに、船頭としてよりも竹林整備の活動で求められていることを感じました。あと数年で定年になるサラリーマン人生だったかもしれませんが、ちょっと早めにシフトチェンジをして、みんなが求めているこの活動に残りの人生を注力しようかなということで3年前にNPO法人を立ち上げました。
市瀬:現在、市役所勤務38年目を迎え、その中でも産業分野に17年携わらせていただきました。今回登壇させていただいているのは、天竜川鵞流峡復活プロジェクト(※)の事務局を務めることになったのがきっかけです。今日はどうぞよろしくお願いします。
※NPO法人いなだに竹Linksの前身となる市民団体
和田:竜丘小学校で6年生の担任をしています。今日は約30名ほどの生徒といっしょにメンマを販売させていただきました。100個ほど持ってまいりましたが、皆様のおかげでわずか30分ほどで完売となり本当にありがとうございました。今日はどんなお話ができるか楽しみにしています。
清水:現在軽音部で部長を務めています。普段はギターを弾いたり、竹林整備以外のボランティアにも参加し活動をしています。今日はよろしくお願いします。
上杉:看護師2年目で埼玉県に暮らしています。大学時代はNPO法人国際ボランティア学生協会(通称:IVUSA)に所属し、飯田市での竹林整備活動に関わってきました。
活動の始まりは、天竜舟下りの船頭だった曽根原さんの課題意識でした。当時、曽根原さんは観光客に天竜川を案内する中で、不法投棄の増加や竹の侵入による景観の変化に直面していました。渓谷の一部に滝ができたと見間違えるほどの大量の工場用長靴が投棄されるなど、見過ごせない現実を前に、不法投棄されない環境を作るため、船頭の仲間とともに竹林整備を開始しました。しかし、活動の厳しさと限界を痛感します。
曽根原:私たち船頭だけじゃとても立ち行かないし、こんな辛い思いをして少ししか進まないことでしたので、はっきり言って楽しくはなかったんですね。今は自分の熱い思いがあるからできてるけれど、多分この活動は途中で嫌になってなくなっちゃうだろうなと思いました。
そこで曽根原さんが思い立ったのは、地域住民と連携することでした。
曽根原:地元の方々は、自分たちの地域で不法投棄がされていることをよく思っていないだろうと考えたんです。だったら同じ課題に対して、立場は違えど一緒に協力して、しかも楽しみながらやれば、活動が継続できるんじゃないかと思い、地元の方々への橋渡しをお願いしに、竜丘自治振興センター(飯田市役所の支所)へ飛び込みました。
当初はなかなか話が進まなかったものの、市瀬さんがセンター長に就任したことで転機が訪れます。市瀬さんは、これまでの仕事の経験を通じて、地域と企業、行政の連携の重要性を認識していたこと、そして曽根原さんの強い想いに共感し、積極的に協力体制の構築に乗り出しました。
市瀬:私は赴任したばかりで、まだ地域との関係づくりも始まったばかりの時期でした。そんな中で曽根原さんの熱意に触れ、竹林整備が不法投棄の根本的な解決策となる可能性を感じました。また、これまで産業部門に長く携わってきた経験から、地域課題の解決には企業や地域住民との協力が欠かせないと考えていたのです。そこで、自治会長さんに相談し、活動場所の地権者さんへの協力要請や、環境委員の皆さんへの参加呼びかけを行い、地域全体を巻き込んだ取り組みとして進めていきました。
市瀬さんの協力をきっかけに、地域住民との活動へと広がりを見せた天竜川鵞流峡復活プロジェクトは、学校との連携をスタートさせます。そのきっかけとなったのは、竜丘小学校に勤める和田先生でした。
和田:2015年に竜丘小学校に赴任をし、最初は5年生の担任をしていました。竜丘は地域の力がとても強く、5年生の総合的な学習の時間では、地域の方が積極的に学校に教えに来てくださるということがありました。一方、6年生の総合的な学習の時間の柱となるものはありませんでした。そんな中、2016年1月頃、テレビ番組で天竜川鵞流峡復活プロジェクトが紹介されているのを見ました。私は以前の学校でも竹を使った活動をしていたことがあったため、このプロジェクトに興味を持ち、市瀬さんのところへ連携のお願いに伺いました。
和田先生の行動により、学校との連携が進み始めた竹林整備活動。この申し出を受けた曽根原さんは、地域活動の将来に対して大きな希望を感じました。
曽根原:市瀬さんと一緒に市民団体「天竜川鵞流峡復活プロジェクト」を立ち上げて、地域と企業が一緒に楽しい活動を継続していこうという話をしていました。そして、この活動をより進展させるためには、地域の子どもたちと一緒に取り組むことが不可欠だと感じていました。ただ、刃物を使う場面があるため、学校との連携は難しいかなと思っていた矢先、和田先生から声をかけていただき、本当に驚きました。子どもたちと一緒に活動ができることで、持続的な活動になっていくんじゃないかと思いました。
和田先生の積極的な行動により、子どもたちとともに竹林整備活動を行なう体制が整い、地域活動がさらに広がることとなりました。そしてこの活動は、次第に広い世代の若者にも波及していくことになります。清水さんと上杉さんのような若者たちは、どのようにこの活動に関わるようになったのでしょうか。
清水:軽音部に所属していますが、活動時間が少なく、余裕のある時間をボランティアに使おうと思い、地元の公園でのボランティア活動などをしていました。昨年の11月頃に、僕が通う飯田風越高校の近くで竹林整備活動をするという話があり、そこで初めて活動に関わりました。そこで曽根原さんと出会ったのですが、実は私の父と知り合いだったことが分かりました。幼い頃、曽根原さんに抱っこしてもらったことがあると聞き、とても驚きました。
清水さんのように、自らの地域に関心を持ち、その中で家族との繋がりを再発見することで活動にのめり込む若者もいます。また、遠く離れた場所からも、この取り組みに興味を持ち参加する若者もいます。
上杉:私は学生時代、NPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)に所属していました。全国2,500名ほどの学生が所属するボランティア団体で、その団体が行う活動の一つに伊那谷での竹林整備活動があり、そこから関わりがスタートしました。
若者たちの参画により、竹林整備活動は新たな視点とエネルギーを得て、活動の幅が広がりつつあります。
宮坂:興味深いのは、皆さん同じ竹林整備に関わっていますが、よく聞くと目的が異なるという点です。曽根原さんは不法投棄されるゴミをなんとかしよう、市瀬さんは行政という立場で地域の活動をコーディネートする、和田さんは教員として子どもたちの学習に活かそうと。清水さんは空いた時間でのボランティア活動、上杉さんはボランティア団体から関わりが始まった。それぞれの目的や背景が異なるにもかかわらず、一緒に活動できているのが、飯田モデルの大きなポイントではないかと思います。
次に、活動に関わる中での変化について伺いました。地域、子ども、自分自身、そして活動への姿勢など、それぞれの立場から様々な変化が語られました。
市瀬:「天竜川鵞流峡復活プロジェクト」の取り組みは、地域にとても大きなインパクトがありました。我々がいる飯田下伊那地域では、公民館活動が根付いており、様々な形で地域と行政で地域課題の解決に取り組んでいるのですが、ここに企業が入ってくるのはなかなか難しい状況がありました。しかし、企業が加わった事例が増えることで、地域・行政・企業が連携する活動が徐々に増えてきており、良い循環が生まれていると感じています。
和田:大きな変化の一つは、子どもたちの目の色が変わったことです。総合的な学習の時間で鵞流峡復活プロジェクトに取り組むことで、地域課題に本気で向き合う姿勢が生まれ、最終的には、川下りで成果を確認することで満足して卒業していけるようになりました。活動の一部には危険なこともありますが、それを乗り越えた時の達成感や楽しさを子どもたちが感じていることも大きいです。そして、活動を通じて子どもたちの目の色が変わり、学校全体にも良い影響を与えていると思います。
清水:僕は人と話をするのが好きですが、この活動では曽根原さんをはじめ、IVUSAの大学生など、年齢も経験も異なる方々と関わる機会が多く、コミュニケーションの力も上がったと感じています。
上杉:ボランティアはどこか相手のためにやらなければならないという意識が強かったのですが、曽根原さんの「楽しくやろう」という姿勢に影響を受けました。まずは自分たちが楽しんで、それが地域や社会のためになれば良いという考え方は、私たち学生の姿勢を変えるきっかけになりました。
それぞれの登壇者が感じた変化は異なりますが、共通して見えるのは、活動を通じて新たな気づきや成長を得ていること。そしてそれが、地域の未来に向けたポジティブな変化へ繋がっているという点です。
パネルディスカッションの後半では、会場からの質問コーナーも開かれました。
【質問】仲間を竹林整備に誘いたい。どんなことを伝えたらいいですか。
清水:実は今日、僕の友達も来てくれていますが、興味のある人が興味のない人を誘う。それが一番大切だと思います。
上杉:まずは現場に行きましょう。一緒に活動しましょう。
【質問】メンマづくりのシーズンに見学をすることはできますか。
曽根原:春になってたけのこが出ている時期は、私たちは毎年夢でうなされるほどやっていますので、見学と言わず一緒に手伝いに来てください。よろしくお願いします。
最後に、各パネラーから抱負が語られました。
上杉:学生時代に竹林整備のボランティア活動にはまって、現在ではいなだに竹Linksのメンバーになってしまいました。私のように学生を終えて社会人になっても、活動に関わり続ける人を増やしていきたいです。
清水:竹林整備が大好きなので、大学生になったらIVUSAに入って継続的に活動に関わり続けたいと思っています。
和田:今年はこれからメンマ販売の時期になりますので、子どもたちと一緒に頑張っていきたいと思っています。現在は再任用という立場で学校にいますが、今後も継続して関われたらと思っています。
市瀬:竹林整備に限らずですが、地域課題の解決には、地域・行政・企業の三者をはじめ多様な立場の皆さんに関わってもらい解決に向けて取り組んでいくのが大事だと思っています。鵞流峡復活プロジェクトもいなだに竹Linksになり、活動展開が進んでいますが、そういった組織が連携しあい、地域課題を解決するような好循環が生まれていくと嬉しいです。
曽根原:私はやっぱり、どんなことをするにも人が大事だと思っています。熱いハートで楽しんでいけば大抵のことはなんとかなると思います。明るい未来をみんなで楽しんでいきましょう。
パネルディスカッションを通じて浮かび上がったのは、様々な目的を持った人々が交わることで、地域活動が大きな広がりを見せるということでした。曽根原さんの不法投棄への憤り、市瀬さんの行政の立場からの連携の重要性、和田先生の教育者としての子どもたちの成長への願い、そして清水さんや上杉さんがもたらす参加の広がり。それぞれが持つ異なる目的と視点が、竹林整備という一つの活動をより多様で豊かなものにしています。そして、関わる人たちをつなげ、活動を持続・発展させている原動力は、活動を通して得られる楽しさや達成感です。
課題を解決するだけじゃもったいない。まずは自分たちが楽しまないと何も始まらない。そして、迷っているなら一緒に汗をかこう。パネラーの皆さんが語った未来を見据えた言葉の一つひとつから、そんなメッセージを受け取りました。
閉会式
純国産メンマプロジェクト副代表 深澤義則さん
挨拶に登壇した深澤さんは、竹林整備における持続可能な取り組みを進めるため、純国産メンマプロジェクトが掲げる理念について紹介しました。
深澤:放置竹林問題の解決、草の根型の取り組みを通じた地域の活性化、そして活動団体に持続性をもたらす収益性。この3つが私たちの活動の根幹です。どれか一つでも欠けてしまうと、竹林整備は長続きしません。この活動を継続するには、楽しい、美味しいという気持ちで人を集め、それを収益につなげ、地域全体を活性化させる循環を生み出していく必要があると考えています。
深澤さんの言葉には、竹林整備がただの環境問題解決のための活動にとどまらず、地域の未来を育む重要な取り組みであるという強いメッセージが込められていました。
そして、このような純国産メンマプロジェクトの理念を共有し、さらなる挑戦の場として開かれる第7回メンマサミットの開催地は徳島県阿南市です。
徳島県阿南市 「におメンマ」仁尾さんご挨拶
仁尾:徳島県から参りました「におメンマ」の仁尾と申します。今日は阿南市の職員さん、阿南市議会議員の皆さん、そして飯田市の南に位置する阿南町の職員の皆さんと一緒に登壇しています。実行委員長はじめ関係者の皆様、本日は素晴らしいサミットを開催していただき、心より感謝申し上げます。第7回メンマサミットは徳島県阿南市で開催いたします。
開催にあたっては、3回前の開催地が淡路島だったこともあり、近い地域で続けての開催はどうなのだろうという思いもございました。しかし、日高名誉会長や曽根原会長から「地元のために、地元を盛り上げるために皆さんを全国からお呼びするんだよ」とお話をいただき、その通りだと感じ開催の決心がつきました。
人と人との繋がりを竹の地下茎にたとえることがありますが、今回、我々と同じ地名を持つ長野県阿南町の皆様にもご登壇いただいているとおり、様々な繋がりのもと、私たちの活動やこの場があると感じています。この場にいる皆様とともに、地域課題の解決に向けた様々な活動が、さらに前進するきっかけとなる第7回メンマサミットを2026年2月22日に阿南市で開催いたします。皆様のご参加を心よりお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
仁尾さんの挨拶に耳を傾けながら、今回のメンマサミット全体を振り返ってみると、心に強く残ったのは「楽しみながら挑戦することの力」でした。
曽根原さんが語った「楽しみながら竹林整備を続けること」は、まさに人を巻き込み、その活動を広げるための原動力です。竹林整備がただの課題解決ではなく、「面白いから続けたい」という気持ちから自然に人々が集まる。その姿勢こそが、活動の持続性を支えているのだと感じました。また、長野さんが企業との連携を通じて築いた持続可能な仕組みも、ただ事務的な協力にとどまるのではなく、「この地域で新しいことをしてみたい」という楽しさがあったからこそ成功していると感じます。そして、和田先生が子どもたちと取り組む竹林整備は、その未来を見据えた挑戦と楽しさが詰まったものであり、若者たちもそこに引き込まれ、新しいつながりを作り始めています。それぞれの挑戦は異なりますが、共通しているのは「楽しさを大事にすること」。そしてその楽しさが挑戦を支え、地域の変化へと繋がっていきます。
自分自身が楽しむことを忘れず、ともに竹の可能性を照らす挑戦を続けていきましょう。
2026年2月22日、徳島県阿南市でお会いできることを楽しみにしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
NPO法人いなだに竹Links
三浦慎爾
NPO法人国際ボランティア学生協会
小林美紅(東洋大学3年)
吉田彩花(東洋大学3年)
金子純香(東洋大学2年)