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ひとりだけど、ひとりじゃない。

下書きにはいくつか、タイトルだけ入れて放り込んでおいた記事がたまっていて。書きたいなあとは思うんだけれど、そういうのってちょっと時間がかかるというか、気合いを入れなきゃいけないというか、よっこらしょ、となるので、いつも後回しになって、そんな下書きばかりが溜まってゆく。

さりとて何を書こうかなあ、とパソコンに向かって思い悩む。いつもは書くことが決まってなくても、書き始めると指が勝手に動くというか、書くことと考えることが同時に起こっていて、その時間がなんだか脳に気持ちいいのだけれど、今日はなんだかうまくいかない。困ったなあ。

最近は短くてもいいからなるべくなら平日毎日書くようにしていて、というのもある程度書くことへのハードルを下げて習慣化していかないと、体力と同じですぐ鈍るからであって。村上春樹がマラソンをしていることはよく知られているけれど、彼は小説を書くにはまず体力ありき、と言っている。

ちょっと文脈は違うけれど、私も「書くこと」は体力づくりと同じで、地味でそれ自体にすごく達成感が伴うわけではないけれど、積み重ねていくことの先にしか「書くこと」の前進はない気がしている。

「書いている時間」というのは、圧倒的にひとりで。ものを考えたり、その考えをまとめたりするときは人と話しながらでもできるし、その方がうまく行ったりもするけれど、「書いている時間」(と、あと「読む時間」)というのは、どうしてもひとりじゃないとできないなあ、と思う。

でも、ひとりなんだけれど、ひとりじゃないというか。なるべく、宛先を脳内で決めて、その人を念頭に置きながら書くとスムーズに書けるときがあるし、過去の自分や未来の自分(も、広い意味では他者だ)に宛てて、書いているなってときもあるし。

圧倒的にひとり、なんだけれど、でもひとりじゃない。「書く」って、そういう倍音的なところがあるというか、不思議で奥の深い行為だなあと思う。

それでは、また。

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