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#017 人は窮地に立たされると笑ってしまうのは何故だろう

2019年3月22日

今日は午前中はクライアントの施術、午後から大学病院へ向かう。

いよいよ週明けから放射線治療が始まる。今日はその最終チェックといったところで、具体的な放射線を照射する部位を細かく設定してきた、らしい。

「らしい」と曖昧なのは、俺は相変わらずマスクを被ってベッドに身動きできないように固定されたままで、周囲で何がおきているのか全くわからなかったからだ。

今日は全てが終了するまで30分かかると言われている。30分も微動だにせず固定され続けたままひたすら耐えなければいけない。相変わらずマスクはきつく、しかも前回よりもちょっぴり体重が増加した結果だろうか、さらに密着度が増しているような気がする。野放図に食い散らかした自業自得の結果とするならば、こいつはかなり酷なペナルティだ。

時間が経つにつれ、マスクを被せられてるというよりも何かの型を押し付けられて上半身を形成されているような感覚がしてくる。大丈夫かよ、ひょっとして俺のマスクじゃないんじゃないのかこれ。チェックが終わって取り外されたら知らない誰かの顔になってたらどうしよう。なんか昔そんな映画を観たような気がする。

あまつさえ鼻の頭のあたりが無性に痒くなってきて、もはや絶体絶命だ。人間は窮地に立たされると笑いたくなるのは何故だろう。二進も三進もいかなくなってヒヒヒとへんな笑いが出てきてしまうのだけど、俺の口はマスクと一体化して固定されているマウスピースで塞がれていて声すら表に漏れてこない。まるで拷問だ。ある種のマニアにとってはご褒美のようなシチュエーションかもしれないが、生憎これは俺の嗜好ではない。

治療台に固定されている患者が鼻の痒みに耐えかねてパニック寸前になりながらヒヒヒと泣き笑いしているなんて、すぐ隣の部屋で何やら作業をしている放射線技師の先生方は想像もしていないだろう。ちょっと、なんとかしてくれ、もう限界だ、せめてこのマスクの鼻の頭の部分だけでも切り取ってポリポリと搔いてくれるだけでもずいぶん助かるのだけど、ヒヒヒ、頼むよ。

あと5分でーす、という間延びした暢気な声が聞こえてくる。その5分がこっちにとっては無間地獄の始まりだ。残り時間を意識し始めてからの時の流れが異常に遅いのはなぜなんだ。これが相対性理論というやつか、アインシュタインめ、迷惑な理屈を考えやがって。歴史の偉人に悪態つくほど心は窮地に立たされている。

挙げ句の果てには右の尻の筋肉がピクピク痙攣しだした。何がどう繋がって尻の筋肉に刺激が入ったのか知らないが、こいつが俺の忍耐にトドメを刺す。マジかよ、もう無理だろ、ヒヒヒ、わかった、俺が悪かった、助けてくれ。

すると突然周囲が明るくなって、パチンパチンと金具を取り外す音が耳元で聞こえ始め、上半身の締め付けが急に軽くなった。お疲れさまでーす、起き上がってください、技師の先生の声が聞こえる、助かった!

でもずっと目を閉じたまま圧迫されていたからか、目を開くことができない。顔の表情が動かないのだ。もしかして本当にプレスされちゃったんじゃないのか?一瞬マジでビビるが次の瞬間まぶたが開いてうっすらと周りを見渡すことができた。よかった、とりあえず無事に乗り切ることができた。

時計を見上げるとジャスト30分。あらためてこの30分の自分を思い返して変な笑いがこみ上げてきた。ヒヒヒ、よかった、技師の先生には聞こえなかったらしい。


更衣室に戻って服を着ている時、ふとロッカーの上を見ると別の誰かのマスクが二体並んで置いてあった。おそらく俺と同じ中咽頭がんで、同じ治療を受けるために作成したものなのだろう。

なぜこんなところに置いてあるのかは知る由もないが、うっすらと埃をかぶって放置されているということは、このマスクの役目は既に終わっているのだろう。このマスクの主は治療を終えて無事にガンを乗り越えることができたのだろうか。それとも、あるいは。それは俺にはわからない。

このマスクの持ち主も今日の俺と同じような体験をしたのかな。ただの作り物のマスクではあるのだけれど、そう考えるとなんだか妙な親近感が湧いてきて、軽くデコピンなんかしてみる。どこの誰か知らないけどお疲れさま。俺の治療はまだまだこれからだけど、俺も頑張るよ。無表情に佇んでるマスクがヒヒヒと笑った気がした。


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美味しい食べ物とか、子供達へのおみやげとか、少しでもハッピーな気持ちで治療を受ける足しにできれば嬉しいです。

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2児の父。産前産後の女性の身体を整えたり、整え方を教えたりするのがおしごと。2019年2月に中咽頭がんの告知を受ける。自分を見つめ直しながら癌を乗り越え、克服していく過程を綴っていけたらいいなと思います。
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