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「IF YOU CAN MEET WITH TRIUMPH AND DISASTER AND TREAT THOSE TWO IMPOSTORS JUST THE SAME」

 ウィンブルドンのセンターコートに出て行く扉の上に、この文字を見つけてから、もう随分になる。

“もし、勝利と敗北に巡り会ったなら、この二つの詐欺師を同じように扱いなさい”

 人生と同じで、試合には良い日もあれば悪い日もあるのだから、勝っても負けても落胆したり狂喜したりしないで、詐欺師にだまされたのだと思って、すぐに忘れてしまうのですよ、とでもいう意味だろうか? そんな風に解釈して納得しようとしたことを思い出す。

 この言葉がイギリスの詩人キップリングの詩『IF』の一節と聞かされ、以後何度か調べたが、結局その詩にはずっと巡り会えないでいた。果たして、あの詩文は今もセンターコートへの入口に掲げられているのだろうか? 


 ウィンブルドンは1986年に、第100回記念大会を迎えた。それを記念して、別冊として大会レポート誌を出そうということになって、通訳のコーベット女史を伴ってロンドンに飛んだのは、大会開幕の1週間前だった。

 大会までにやることがたくさんあった。まず、最初は大会の前週の女子トーナメントとして定着していたイーストボーン大会に行った。大会のトーナメントディレクターでイギリステニス協会での重責を負っていたバージニア・ウェードさんに挨拶し、ウィンブルドン関係者へのアテンドとイギリス人選手の紹介をしてもらうのが目的だった。それで実現したのが、当時イギリス人プレーヤーで女子No.1だったアナベル・クロフト選手とすでに引退を表明していたケイト・ブレーシャー選手という二人の女子選手への取材だった。

 広告タイアップで借りていた黒のミニ・クーパーでロンドンから南へ40分。ファーンズボロの町の白亜の城館のような二階建ての家がクロフト家だった。庭にはダークグリーンのレンジローバーが停まっており、テニスコートがあった。ブレーシャーの住む家はロンドン中心部から10分とかからないリッチモンドパーク沿い。こちらももちろんテニスコート付き。カナダのバンクーバー島を発見したバンクーバー公が住んでいたという築200年以上という館のグリーンの芝の上のテーブルでお話を伺った。

 

 この時の取材ではほんとうにたくさんの人から親切にしていただいた。そのことは、今でも忘れないようにしている。たくさんの古い写真をプリントしてくださったウィンブルドン博物館の資料室長アラン・リトルさん。ボールボーイ事情をお聞かせくださったボールボーイ・マネジャーのウォーリー・ウィンフォーさん。初取材にもかかわらずセンターコートの記者席に座らせてくれたプレス責任者さん(残念ながら名前を思い出せない)。思い出せるのは、センターコートの芝の上を歩かせてくれた大会チーフ・エグゼクティブのC・J・ゴーリンジさんだ。ゴーリンジさんはいつも男女優勝者にウィンザー公が優勝トロフィーを渡すとき、テレビ画面に映るので、その元気そうな顔を見るのを楽しみにしていたが、ここ数年見られなくなってしまった。

 この大会で女子優勝者となったナブラチロワに優勝カップを渡した往年の名プレーヤー、キャサリーン・ゴッドフリーさんのお宅に伺ったのも、このときのことだ。1924年と26年の2回、ウィンブルドンチャンピオンとなったゴッドフリーさんは当時すでに90歳を超えておられたが、孫娘を膝に抱いたまま、お話を聞かせていただいた。スザンヌ・ランランに教えてもらったオーバーヘッドサーブを打ってネットに出て行くのが大好きだったというのもおもしろかったし、ウィンブルドンに優勝してもらったのがマッピン&ウェッジの5ポンドの商品券だけだったという話にもびっくりさせられた。今でも年に数回はラケットを振ると語るときの目の光りが強く記憶に残っている。


 大会は女子がナブラチロワが7回目の優勝を果たし、男子は19歳のドイツ人、ベッカーが2連覇して幕を閉じた。慌ただしく帰国すると、原稿書きと編集作業が待っていた。今もNHKの西門の前にあるワシントンホテルに泊まり込んで1冊の別冊が出来上がった。

 そして、少したった頃。なぜか走るとばかにひどく汗をかく。病院で検査すると、気管支肺炎という診断で入院させられてしまった。そうしてできた本は、今も本棚の片隅に鎮座している。


 いろいろなことがあったウィンブルドン大会初取材。だが、今まで誰にも語らずにきたことがひとつだけある。

 それは、大会も中盤にさしかかった土曜日の出来事だった。帰り支度をして、なぜかポシェットの中が気になって探ると、入れていたはずのパスポートが見当たらなかった。バッグはプレスルームに置いたりするので、それには入れず、必ず体から離さないよう腰に回したポシェットの中に入れておいたのだ。考えられるのは、昼食のために財布(小銭はポケットに入れていたが、大きなお金、お札はポシェットに入れていた)を出したときか、取材ノートを取り出すときに、くっついたかして、滑り出したのか?

 いずれにしても、考え込んでいても埒はあかない。慌てようが、もがこうが、ないものはない。とりあえず遺失物センターに行ってみたが、届けられたものの中に、それらしいものはなかった。連絡先を伝えて、ホテルに戻ったが、気分は晴れなかった。

 そんな姿を見かねたのだろう。知人の新聞記者Yさんがイギリス人の友人宅での夕食会に誘ってくれたのだが、かえって落ち込んでしまいそうだった。テレビで地元サッカーチームを応援しながらビールを飲み、歓声が上がる。そんな中で、一人黙っていて、雰囲気をぶちこわしにしてはいけないと心の中ではしきりに思うのだが、笑顔が作れなかった。

 それでも、結構長い時間を過ごした。その家をあとにするとき、一人の劇団員だという青年が何かを言ってくれた。

「別に、命を取られたわけじゃないんだから、ね」と、件の記者Yさんが通訳してくれた。 

 翌朝、とりあえず、もう一度遺失物センターを訪ね、なかったときは日本大使館に行こうと決めていた。まさか、出るわけはないと決めていた。ところが、「これでしょ」と差し出されたのが、赤い日本のパスポートだったのだ。 

 前日、届けられ、すぐにプレスルームに行ったが帰ったあとだった、という説明だった。

 あのとき、あのパスポートがもしも出てきていなかったら、あの別冊は今も本棚にあっただろうか?

 時々、思う。その後、テニスだけでなく、F1、サッカー、バレーボールと30年以上に渡ってスポーツシーンを追いかけただろうか? 名前も告げなかったというそのイギリス人(たぶん)に、今でも「ありがとう」と言いたいと思っている。



*後日談

 その時から26年が経った2012年の末になってのことだった。あるブログでキップリングの詩『IF』について書かれた記事を見つけた。御立英史さんと言う人の「横浜テニス研究所」と言うブログだった。

 そこには、地元・英国のBBCが放送した2008年ウィンブルドン決勝の冒頭で、フェデラーとナダルのスローモーションプレーに重ねて、キップリングの詩『IF』を二人が朗読するシーンが映し出されて、感動したと言うことが書かれていた。そして、「嬉しいことに日本でもYoutubeで見られる」と書かれていて、YoutubeのURLが記されていたのだ。私は早速そのアドレスをプッシュした。そして、探し求めていた『IF』の全文を知ることができたのだった。

 厳しい戦いを前に、二人はどんな思いで、この詩を読みあげたのだろう? この2008年の決勝は、ナダルが6-4、6-4、6-7(タイブレーク5-7)、6-7(タイブレーク8ー10)、9-7でフェデラーを下し、ウィンブルドン初優勝を成し遂げるのだが、この朗読の時点では、もちろん二人とも、ウィンブルドン史上最高の名勝負と言われるその結果を、知る由もないのだった。


 もし……  ラドヤード・キップリング

もし、ゆえなき非難にさらされても心騒がせず、
 疑われても自分を疑わず、疑う者を赦せるなら――
もし、倦むことなく時が来るのを待ち続け、
 嘘に嘘を返さず、憎しみに憎しみを返さず、
 空しく装って賢しらな口を利かぬなら――

もし、夢を見ても夢に縛られず、
 考えてもただ思念に終わらせず、
 勝利も敗北も等しく受けとめて惑わされることがないなら――
もし、まことを込めた言葉を悪者が捻じ曲げ、
 愚か者を罠にかけるのを見ても耐え、
 人生をかけて得たものが壊されても、
 使い古した道具で作り直そうと立ち上がれるなら――

もし、勝ち取ったすべてを賭けたコイン・トスに負けても、
 最初からやり直し、嘆きの言葉を口にしないなら――
もし、身も心も疲れ果てようと己を叩いて為すべきを為し、
 すべてを使い果たしても「耐えよ」と叫ぶ意志で耐えるなら――

もし、群集を率いて徳を失わず、
 王と居ながら民の心を忘れず、
 敵にも友にも傷つけられることなく、
 人を大切にしても大切にしすぎないなら――
もし、仮借なきこの一刻を
 全力の一瞬一瞬で満たすなら――

息子よ、地と地の上のすべてはおまえのもの
 おまえは栄えある勝者となる   
                  (横浜テニス研究所私訳)


  探し求めていたキップリングの詩『IF』の全文である。

IF   Joseph Rudyard Kipling

If you can keep your head when all about you
are losing theirs and blaming it on you;
If you can trust yourself when all men doubt you,
but make allowance for their doubting too;
If you can wait and not be tired by waiting,
or being lied about, don't deal in lies,
or being hated, don't give way to hating,
and yet don't look too good, nor talk too wise:

If you can dream -- and not make dreams your master;
If you can think -- and not make thoughts your aim;
If you can meet with Triumph and Disaster
and treat those two imposters just the same;
If you can bear to hear the truth you've spoken
twisted by knaves to make a trap for fools,
or watch the things you gave your life to broken,
and stoop and build 'em up with worn-out tools;

If you can make one heap of all your winnings
and risk it on one turn of pitch-and-toss,
and lose, and start again at your beginnings
and never breathe a word about your loss;
If you can force your heart and nerve and sinew
to serve your turn long after they are gone,
and so hold on when there is nothing in you
except the Will which says to them: "Hold on!"

If you can talk with crowds and keep your virtue,
or walk with kings -- nor lose the common touch,
If neither foes nor loving friends can hurt you,
If all men count with you, but none too much;
If you can fill the unforgiving minute
with sixty seconds' worth of distance run --
Yours is the Earth and everything that's in it,
and -- which is more -- you'll be a Man, my son!