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「ビールは心の潤滑油」生ビールで広島を元気にする酒屋 代表取締役 重富 寛さん

 重富さんが注ぐビールを求めて店先のビールスタンドには多い時には100人が並び2時間待ち(現在は受付システム導入のため、列は短くなっています)ビールが人々を笑顔にする、同じ樽のビールを飲んだ人たちで日本中を笑顔にしたいという重富さんの実現したい夢は「ここのビールが広島で一番まずいと言って、ここに誰も並ばなくなる事」だそうです。自分はあくまでも酒屋、日本中のビールの注ぎ手の意識を変えて、日本中が手入れの行き届いた本当に美味しいビールで仕事終わりの一杯を楽しめたら!そう語るときの輝く目が印象的だった重富 寛さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地 :広島県広島市
活動地域 :広島市 及び 全国
経歴 :高校時代、教員を目指すも教育系の大学入試に全て失敗し、稼業を継ぐことを選択し経済大学へ入学。
卒業後、修行の為にニッカウヰスキーに就職し「酒」と出逢う。
5年後、稼業を継ぐが、バブル崩壊後の広島で売り上げは下がる一方。
その当時、手入れの行き届いた生ビールは「旨い」と気づき、オリジナル「生ビールセミナー」を実施。
しかし、売り上げは下がりつづけ、起死回生と出店した居酒屋で旨いビールを提供し、喜ばれるも居酒屋経営のセンスがなく閉店。その後平成12年に、夕方2時間だけビールだけを提供する
「ビールスタンド重富」を会社倉庫内に開店。
「酒を売る」商売から「酒を伝える」事に考え方を改め、消費者の方に、ビールの美味しさを体験してもらうとともに、
飲食店に向け「生ビール大學」を開校し、ビールの歴史を伝えている。
現在の職業および活動 :酒屋社長 及び ビールスタンド重富マスター 
座右の銘 : 同樽飲友 
※これは 重富が勝手に作った言葉です
同じ釜の飯を食う と 同意語で
同じ樽のビールを飲めば親しくなる という意味です

「手入れの行き届いた本当に美味しいビールを飲んで笑顔になる人たちによって、今の自分があります」

Q:どんな心のあり方や認識の変化が今の活躍に繋がっていますか?

 私は酒屋ですので、お酒の知識はありますしソムリエの資格も全て持っています。しかし飽きっぽい私の心を捉えたのはビールだけでした。実はビールが苦手です。苦手だからこそビールに魅せられ、お客様にとっての美味しビールを、注ぎで表現することに特化してここまでやってきました。
 エジプトのピラミッドの建設では、一日の作業が終わった後にビールが振舞われたんです。人々は作業の後のビールの美味しさを味わうために過酷な労働を喜んでやっていたと伝えられています。ピラミッドを創り上げる原動力にビールがあったのです。現在日本で仕事終わりに飲むビールは、正直手入れが行き届いていないビールが多いです。本当に美味しいビールを日本中どこででも提供できたら、仕事終わりの楽しみが増え、今日のストレスがビールのよいつまみになるんです。ビールのクオリティが1mm上がったらそれを飲んだ人のクオリティも全員1mm上がる、見えないところでみんなの人生が良くなっていく、そう思ってビールを注いでいます。
 手入れの行き届いたビールを注ぎ、そのビールを飲むお客様の笑顔が積み重なって伝染し、日本中のコミュニケーションが「このビール旨いね。」から、心のバリアが外れていく・・・今日辛いことや悲しいことがあった人でも、手入れの行き届いたビールを一口飲むと、自然に笑顔が生まれます。その瞬間が私の喜びであり、今の活動に繋がっています。

Q:今後AIが活躍する時代はどんな社会になっていくと思いますか?

 人がもっと人らしく生きることができる社会になっていくと思います。ITの普及で余暇ができるはずだったのに、結局その余暇をまたIT作業で埋めてしまった・・・ITの発達、普及では人は全然余暇を楽しめるようにはならなかった。これからはAIに面倒なことは任せて、人間が人間であることを思いきり楽しめる時代になっていくと、私は思います。

Q:これからどんな美しい時代を創っていきたいですか?

 みんなが生きていて良かったね、いろんなことがあったけど、いい人生だったねって思える社会の一つの歯車になりたい、と思っています。
 自分自身、お客さんの笑顔1つ1つの積み重ねを見ることでここまでやってきました。「とりあえずビール」というビールが苦手な人にとってはビールハラスメントな社会。その苦手に苦しむお客さんがここに来て、一口でもビールが美味しいと感じてもらえたら、その気持ちが自信になり次の一口飲む笑顔に変わっていきます。作り笑顔ではなく。
 美しい時代、といってもそのゴールはどこにあるのかわからない、だからこそ人々はそのゴールを目指し、駅伝のように人から人へ時代を受け継いできたのだと思います。笑顔の駅伝走者を一人でも多く生み出す為に、今日も明日も手入れの行き届いたビールをつぎ続けます。
 ゴールを目指すための1つの中継地点が2年後の2020年の東京オリンピックです。日本中のビールの注ぎが、手入れの行き届いた日本のビールを注ぐ。日本に来てくださる海外の方たちが笑顔になり、その笑顔が世界中に広まる。それがビール注ぎの東京2020です。
 そのような活動を通して、みんなが生きていて良かったと心から思える時代の一端を担えたら、とても嬉しいと思います。

重富さんのビールサーバー「スイングカラン」 ↑

 昭和8年当時の図面とスイングカランの現物を見てどうしても、この仕組みでビールを注いでみたいと強く感じました。アサヒビールさんに相談したところ、作れる業者さんを紹介していただきスイングカランの制作を依頼しました。業者の専務さんが、目で寸法を測り真鍮を削り出しで制作していただいたのがビールスタンド重富で使用している、スイングカランです。


 図面にある昭和の氷式冷蔵庫は、広島の骨董品やさんを回ってもどこにもなく(小さい家庭用はありました)まさか・・・と思って検索したネットオークションにありました。祖父が80年前にビールを注いでいたころのシステムを復刻し重富酒店のビール注ぎの原点から出発してみたかったのです。

 手入れの行き届いたビールで世界を変えられる、世界中を笑顔にしてみんなが生きていて良かったと思える社会の一つの歯車として生きたいという重富さん、冒頭の「ウチが一番不味いビールを出す」くらい周りが美味しいビールを提供できるようになる未来を本気になって創るための心の在り方に大変感動しました、ありがとうございました!

重富さんのご活躍は以下のHPからご覧になれます。

【編集後記】
 インタビューを担当した岩田と口野です。重富さんはビールのことだけではなく、歴史やスポーツやなどにも大変詳しく、ビールから波及する面白いお話をたくさん聞かせていただきあっという間に時間が過ぎてしまいました。重富さんの制作した映画はまもなくDVD化もされるそうで、それもとても楽しみです。今回ビールが飲めない私もお話を聞くうちにビールが大好きになってしまいました!ありがとうございました!

この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。

 




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