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保身のための往生際の悪さは、食傷ものだ。

 県知事とは、政治家として人格者として県民が選挙で選んだ公人である。そこで、異常なパワハラやおねだり、職員の自殺などが度重なる異常事態となっている。反省をして県政に勤しむが己の責務だと唱えるが、果たして、それが罷り通るのかと言えば、否である。既に、公人としての信頼は完全に失墜している。

 異常事態となっても、「反省」と「改善」を主張しているが、目つきや表情を見ていても、既に「死に体」。自分自身にその自覚がないのは、その職位への執着だけであり、県民や県職員への配慮は皆無に等しく、全ての言動が的を外れている。

 この醜態ぶりを全国放送にて表に出せる厚顔無恥さも如何なものかと。他県のことながら、日本人として公人として恥ずかしさの境界線を大きく逸脱しているのは間違いのない事実。姑息にも言い訳で保身に徹するような知事では、この先、失墜した信頼を取り戻すことは不可能である。

 維新の判断も甘すぎる。知事は百条委員会、そして第三者委員会が「パワハラ」の認定をする云々を語り、命を絶った職員やそのご遺族の胸の内を理解できないのだから、完全に異常な精神状態となっているだけの話である。

 潔さもない、孤立して個人の保身への意欲を、周囲が、県民が認めるはずがない。厳粛に執り行われた選挙により選ばれし知事であろうが、その人格までを保証するものではなく、結果的に、この失態を全国へ晒しているに過ぎないのである。

 同時に、不倫も暴露され、横領で在宅起訴された女性参議院議員もいるが、公務に就く人間の業ではない。コソ泥以下の人物である。単なる、私利私欲に溺れた、ドロドロと心が濁った人間が、たまたま参議院議員やら知事に選出されただけの話である。

 公人としての資質もなければ、おねだりなどで特別待遇が当然の殿様気分は、勘違い、履き違えも甚だしい。このような民度低き人物に、これからの県政を任せるには、あまりにリスクが大き過ぎはしないかと危惧する次第。

 最終的には辞任に追い込まれるのではないかと推察するが、身の潔白を証明したいのであれば、さっさと辞職して、再度知事選に出ればいいだけの話である。このような不甲斐ない日本人がいること自体、日本人精神文化の低迷を再認識するばかりとなる。

 パワハラやおねだりなどの確たる証拠が揃っているのであれば、マスコミ各社も百条委員会の結を待つばかりではなく、とことん、鋭いメスを入れて、蛮行記録全てを突きつけては如何なものかと。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、ある県知事の行動と態度について非常に批判的な見解が述べられています。エッセイの中心となるテーマは、県知事が政治家として、公人としての責任を果たしていないことへの怒りと失望です。

まず、エッセイは県知事のパワハラやおねだり、職員の自殺といった一連の異常事態に対する知事の対応を批判しています。知事が「反省」や「改善」を主張しているものの、その言動が形式的で、実際には責任を回避し、自身の保身に終始していると指摘しています。この点から、筆者は知事の態度を「死に体」と表現し、彼の言動が全く信頼できないものであると非難しています。

次に、エッセイは知事の行動を「厚顔無恥」とし、日本人として公人としての恥を全国にさらしていると断じています。ここでは、知事が自分の行動の結果を十分に理解していない、あるいは理解していても無視しているという強い批判が込められています。

さらに、エッセイは他の公人に対する批判も含んでいます。例えば、不倫や横領で在宅起訴された女性参議院議員に対しても、「コソ泥以下の人物」と表現し、公人としての資質が欠けていると糾弾しています。このように、エッセイは一部の公人が個人的な欲望に溺れ、職務を全うできていない状況を厳しく非難しています。

最後に、エッセイは知事に対して「辞職して再度知事選に出る」べきだと提案し、日本人全体の精神文化の低迷を憂慮する結論を示しています。筆者は、知事が潔くない態度を取り続けることが、日本全体のイメージを損なっていると考えており、より厳しい対応が必要だと訴えています。

総じて、このエッセイは非常に強い言葉で、公人の不正行為や無責任な行動に対する批判を展開しています。筆者の怒りと失望は、公人としての資質の欠如に対するものだけでなく、それが日本社会全体に及ぼす影響に対しても向けられています。このエッセイは、公人が公人としての責任を果たさないことがいかに社会に悪影響を与えるかを強く訴えています。

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