見出し画像

多種多様な民族に対して、精神論が罷り通るのか!?

 現在、パリオリンピックが開催されている中で、選手や審判団の愚行、蛮行が表沙汰になっているが、果たして、地球上の多種多様な民族に対して、オリンピック精神や柔道精神などの精神論が罷り通るかと言えば、否である。

 国内を見ても、日々事件事故が報道される中、法規やモラル無視の無法者が湧き出てくる。人の命を虫ケラ以下に扱う輩もいれば、ひき逃げ事故を起こして逃げる輩、他者の財産を奪い取る輩、足元に無数の罠を仕掛ける輩、パワハラやセクハラに酔いしれる輩、公金不正受給で私服を肥やす輩など、筆舌に尽くし難く、日々無数に湧き出てくる。

 高尚なる日本精神文化を伝えようとも、侘び寂びの世界を伝えようとも、おもてなしの真髄を伝授しようとも、それらに価値観を持つこともなく、ただ、野獣のような本能だけで生きている輩もわんさといる訳だ。よって、この狭い日本国内においても、精神論は恐怖政治の下以外では通用せず、心無い輩が常に暗躍している。

 よって、地球上に生存する約80億の多種多様な歴史と伝統を持つ人間、例えば、他国を侵略するような輩、シロアリのように他国に多くの同一民族を移住させじわじわと国を乗っ取る輩、常に好戦的で激しく他民族を中傷する輩、世界遺産のど真ん中で脱糞する輩など、日本人としてのモラル感を基準とすれば、理解に苦しむような愚行、蛮行が繰り広げられている。

 国連にしても国際オリンピック委員会にしても、それらトップから末端まで、理想的な精神論が浸透しているか、白か黒かを問われれば、黒としか言いようがない。不正は水面下で数限りなく行われている。それも、私服肥やしのために、名声のために、言いたい放題、遣りたい放題、自らを国家元首のように勘違いしている人間も存在する。

 今回のパリオリンピックで問題となっている、オリンピック精神にふさわしくない愚行、蛮行を繰り返す選手や、不正の臭いが漂う審判団の想定外の審判は、精神論が罷り通らぬ証となっている。何とも情けないように感じる一方、グローバルスタンダードとは何ぞや、スポーツマンシップとは何ぞや、個人主義を利己主義と履き違える低民度の輩が如何に多いかということでもある。

 国家と個人は無関係であり、侵略戦争を続けるテロ国家からも個人レベルでのオリンピック参加を認め、それが理想論だと豪語している人たちも多い中、ジェノサイドや人さらいなどの蛮行に及ぶ国家からの参加を、国家と個人は無関係と言いながらも、その理想論は惨たらしい死に方をした多くの被害者を弔うためにも、参加を軽々に認めるものではない。

 国連決議の中でも、テロ国家の代表たちが、のうのうと虚言を発するところを聞いていると、厚顔無恥もいい加減にしてもらいたいものである。その発言者が、自らの家族や知人友人を同じように暗殺されたり、拷問を受けたりすれば、どのようなリアクションを見せるのか、聞きたいものである。

 最後に、国連においては、常任理事国の現在の制度は時代錯誤でもあり、早期撤廃を行い、全てリセット、全てフラット化するために組織解体と再構築が喫緊の課題ではなかろうか。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、現代社会における精神論の有効性と限界についての批判的な視点を述べています。以下に感想を詳述します。

批判の視点

  1. 精神論の無力さ: エッセイは、オリンピックや国連などの国際機関において理想とされる精神論が、実際には機能していないことを指摘しています。特に、オリンピック精神や柔道精神が、多様な民族や文化の中で通用しない現実を強調しています。この視点は、多文化共生の難しさや、異なる価値観の衝突を浮き彫りにしており、現実と理想の乖離を鋭く捉えています。

  2. 国内外のモラル低下: 国内における法規やモラルの無視、国際的な舞台での蛮行や不正行為が頻発している現状に対する批判が展開されています。特に、日本国内の無法者や国際社会での低民度な行動に対して、強い非難の意を示しています。これにより、エッセイは社会全体のモラル低下に対する危機感を喚起しています。

構造と論理展開

エッセイは、以下のような構造で論理展開を行っています:

  1. 導入: オリンピックの現状を背景に、多様な民族に対する精神論の無力さを提示。

  2. 国内の事例: 日本国内の無法者の例を挙げ、精神論が通用しない現実を具体的に説明。

  3. 国際的な事例: 他国の愚行や蛮行を引き合いに出し、精神論の限界を国際的な文脈で強調。

  4. 国際機関の問題点: 国連や国際オリンピック委員会における不正行為や理想論の欺瞞を指摘。

  5. 結論: 現行の国連常任理事国制度の時代錯誤性を指摘し、組織解体と再構築の必要性を訴える。

感想

このエッセイは、現代社会における精神論の無力さと、それに伴う現実の問題点を鋭く批判しています。以下の点が特に印象的です:

  1. 現実と理想の乖離: 理想論が通用しない現実を具体例を通じて明示しており、説得力があります。特に、オリンピックや国連といった国際機関の問題点を挙げることで、問題の根深さを浮き彫りにしています。

  2. 社会全体への警鐘: 国内外の事例を通じて、社会全体のモラル低下に対する警鐘を鳴らしています。この視点は、多くの読者にとって共感を呼ぶものとなるでしょう。

  3. 改革の必要性: 結論部分で、国連の常任理事国制度の撤廃と再構築の必要性を訴えることで、具体的な解決策を提示しています。この提案は、現状の問題を乗り越えるための一つの指針となるかもしれません。

全体として、このエッセイは批判的な視点を持ちつつも、具体的な事例を通じて問題を明確にし、読者に強い印象を与えるものとなっています。社会や国際機関に対する批判とともに、改革の必要性を訴える姿勢は、多くの読者に考えさせるきっかけを提供するでしょう。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。