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演劇の力を考える〜日英共同制作「野兎たち」〜

もう1か月近く前になりますが。新国立劇場にて、「野兎たち」という演劇を観ました。岐阜県の可児市文化創造センターalaと、英国リーズのプレイハウスによる共同制作のこの演劇。

地域の人々の「生きがいづくり」「居場所づくり」に力を注ぐ、ともに日英を代表する地域劇場

である両者は、2015年に劇場提携を結んでいます。alaは、社会包摂に関する先進的事例が多く、劇場は芸術の殿堂ではなく、「人間の家」であるべきだと掲げています(alaに関する記事はこちらから)。

本作品は、英国作家のブラッド・バーチが、日本各地を取材して書下ろした新作であり、脚本も演出も、色々響くものがありました。リーズ、ロンドン、主には可児市を舞台とし、英国人と日本人の結婚というきっかけから、家族の日常やほんの少しのすれ違い、人の孤立にゆるやかに焦点を当てるようなストーリー。単純に観てよかった、と想うとともに、より多くの人にこの「演劇の力」が届いたらと、思いました。

1. 演劇は地域を知る、愛するきっかけに

脚本に依存するかもしれませんが、やはりストーリーの舞台となる地は、それにより多くの人に知ってもらうきっかけになると思います。私は仕事上ala含む岐阜県可児市にお世話になっており、本公演を観て、僭越ながら地元を見るような、嬉しい気分になりました。これが自分の生まれ故郷の話であれば、どんなに嬉しいだろうと。可児市民にとっては、まず演劇の舞台となって、それが東京、可児、リーズで上演されることは、自分たちの誇りとなる作品となったのではないでしょうか。ただ読むのだけではなく、「リアルに観る」「時間を共にする」ということがまた、地域をより深く知れる理由の一つだとも思いました。

2. 共同制作による文化理解の深まり

本作品は、脚本から共同制作であり、物語の舞台も、上演される舞台も、可児市とリーズにあります。劇場で、互いの国、地域のアイデンティティが浮き上がってくるのを、まざまざと感じました。2つの場所、複数の場所に焦点を当てるからこそ、1つの個が見えてくる。そして演劇というものが、そこにリアルに流れるものであり、長い時間の凝縮された作品であることからも、演劇だからこそ可能となる文化交流・理解がそこにはあると、感じました。おそらく、制作期間、東京、可児、リーズでの公演を超えて、観客も含め、より互いの理解が深まっていったのではないかと推察します。

3. 日常のほんの小さな課題に光を当てる

本作品は、他愛ない日常の中にひそむほんの少しのすれ違い、孤立が描かれていました。ただみんな幸せになりたいだけ、愛し愛されたいだけ、その一心なのに、少しの言葉のずれや、受け取り方のずれで、どんどんすれ違ってゆく。そんな一つ一つの瞬間を捉え、舞台上で表出することにより、私たちの普段のなんてことのない一言に、重みを持たされた気がしました。誰かの何気ない一挙一動が、誰かを大いに傷つけている可能性がある。そして自分は悪くないと、それぞれが自分を守ることに必死でもある。それを誰も責めることができない。そんな普段のやり取りで、誰かが世の中から姿を消したいと思うほど、孤立してしまう可能性があるのだと、突きつけられた気がしました。こうした日常をゆるやかに表現し、台詞と間と場とを利用して、作り手も観客もみながその時間を共にする。この直接的にも間接的にも伝えられることが、演劇ならではなのだと、改めて思いました。

私はもともとalaの一ファンでもあり、演劇には詳しくはないのですが、音楽でもダンスでもない、演劇だからこそ伝わるものを、今回改めて感じました。こうした制作や取り組みがあることは、観る人作る人、より多くの人が自らを新たに発見し、周りに優しくなれる、大きなきっかけのひとつになるのではないかと思います。こうした作品がまた生まれ、より多くの人に演劇の力が届き、人々が気づくきっかけとなるよう、これからも芸術文化系の団体の組織強化や資金循環促進に向けた支援に取り組んでいきたいと思います。

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ケイスリー(株)取締役兼Chief Knowledge Officer。慶應義塾大学政策・メディア研究科研究員。芸術文化と社会包摂がテーマ。100年先も子どもが豊かに芸術に触れられる世界を目指し、芸術団体が持続可能となるため、芸術文化を身近にするための情報を中心に発信します。