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成績不振の私が、大人になった「今」 #0

日々を過ごす中で、過去を振り返る瞬間がある。
「なぜこうだったんだろう」、「あの時からだったな」と仕事で怒られるたびに過去が過る。

そんな中、中学生たちと触れ合う中で「自分はどんな子ども時代を送っていただろう」と思い、#1では少し成績不振な私のカコをここに書き留めることにした。

「何もできない」それでも一番になれていた

ピアノは幼稚園の時から習っていたが、音符が読めない。
それでもトランペットは1番パートという難しいパートを担当していた。

英語も幼稚園から習っていて、少し話せていた自分がいたけどBe動詞でつまずき嫌になった。
それでも小学生時代の毎年来る留学生の子と私は一番の仲良しだった。

数学も足し算・引き算からわからず、数字を引いてしまうのがかわいそうでできないと主張していた。
ひっ算もかけざんも未だにできないし、よくわからない。
中学までの成績は30点がいい方だったが、高校に行ったら数学の先生が大好きになりずっと4と5しか採らなかった。

習字もみんなと同じような先生の字を真似するのが嫌いだった。
先生から自由に書いていいと言われて書くと「個性的な字」だと褒めてもらい、「そのままでいい」と認めてくれた。
今思うと一番のアートを感じてた時間だったかもしれない。

そして、「今」の自分

何もできずに失敗だらけ。
今までやってこなかった挑戦が世間にはこんなにもたくさんあるのだと学んでいる。

本当にアホでバカだなと言われるし、自分でも心の底から思う。
「なぜこんな簡単なことができないのか」
一番しんどいのは自分であるけれど、一番自分の味方になってあげなきゃいけないのも自分自身だ。

本当にポンコツ人間である。

だけど、そんな私でも求められることがある。
日記を書くこと
写真と言葉を感じたままに発信すること
・一緒にお話をすること

やっぱり私は一般的な「仕事」というのはできないかもしれない。
だけど、自分の考えや感性が誰かに求められるってこれほど嬉しいことはない。
何よりも「言葉が好きだ」と言われるのがとてつもなく嬉しい。

話すことよりも自分の想いのままに表現できる「言葉」が好きみたいだ。
しっかりした文章は苦手だが、想いのままであれば自由に書ける。

やっぱり自由に我がままで表現がしたいみたいだ。

本当に日々、自分のことが人間失格だと本氣で思っている。
けど、自分の嫌な部分を友人と書き出してみたら意外と小さいことで深刻に悩んでいただけだった。

自分の小ささに面白く笑いつつ、「しんどかったんだよね」と寄り添える自分もいた。

こんな風に少しずつでも言葉にして残すだけでも私の心は救われ、
引きずっている過去の自分たちも少しずつ成仏できている氣がする。

殴り書きで書きたいことを書いてみた仕事終わりの深夜。
失敗も日記にすればいつか本になるかもしれないと前向きにネタとして考えてみようと思える(もちろん、反省をして繰り返さないように心掛けはする)。

この成績不振だった私が、大人になった「今」は、日記として定期的に書いていこうと思う。:)

夜は眠くなるので、もう頭が回らないので今日はここまでとする。

また明日も不器用だけど一生懸命に過ごしてみよう。





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