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私にとっての書くこと

小学校の読書感想文では、代表に選ばれるプレッシャーで、本を読んでもうまく書けなかったら何冊も本を読み直す、というなんともストイック&小生意気な少女だった。

ただ、それには理由があって、私は人に話して説明することが非常に苦手だったのだ(今もだけど)。
小学生以降も、理路整然と話せないので、プレゼン的な説明が本当に苦痛で、
その代わりに、自然と書くという必殺技を覚えたのだと思う。
だから、書くという行為は、私にとっては古くから付き合ってきた友達のようなもの。
日記も、どの時代もだいたい書いてきた。
社会人になって、泣きたいけど泣けないときは、紙にひたすら書いて発散していた。

書くことで、自分なりに気持ちのバランスをなんとか保ってきた。
そんな日々だった。

独立してからは、仕事がらみのコラムを依頼されることがぽつぽつ出てきた。
良いコラムを書くには、イライラしていては書けない。
心に少しの隙間が必要で、その隙間からいかに感度よく世の中を見れるか。
それに尽きると、最近分かってきた。

仕事のことを書くにしても、日常フィルターが汚れていては良いものが書けない。
それと、ここまで私を救ってくれた書く行為が、仕事になることで嫌いにならないように、ここにnoteを開設しようと思います。


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