資格は作れる。

私は高校生の時に理系に進み、大学で文系に進んだ。


分岐点は、本屋で看護師の教科書を見たときだった。
理系=医療のイメージが強くあって、
自分が将来働いているイメージが全くなかった。


全く興味も湧かないことに気づき、
高校3年生で文転した。



それから大学では国際関係・語学を学び、卒業した。
ということは表向きで、
部活よりも強いと言われていたテニスサークルに所属し、
レギュラーで朝から夜までテニスに没頭していた。

隙間の時間にはバイトを入れて、
正直社会人よりも時間もなくて、それでも楽しくて充実していた。
(今振り返ると、『多動(ホリエモンより)』していたのかな、と思うポイントである。)



なので、私の周りには
看護師・薬剤師・医者・歯医者などの友達がとても多い。


24になって思うのは、大学で頑張って取得した『資格』は、
勉強しました、知識はありますよ。という証明。
『資格』はある程度の有効期限はあるけど、
その人の人生の道のりを作ってくれるもの。

重要なのは、
私社会で役にたちましたよ〜という証明ではないということ。


羨ましい半分、
本当にそれ使う?
学生の自由な時間を注ぎ込んでも欲しかったものなの?という気持ちもある。


特に国家資格って、死ぬまでのその人の人生の道のりを作ってくれていて、
頑丈かつ丈夫なレールだから、確かにそんなちょっとじゃ崩れないけど。

もちろんイレギュラーな仕事内容・職場環境・人間関係もあって、
レールが枝分かれのようになっていて、それぞれ人生の内容は違うけど、
大元の根っこの部分は同じ。



私は、この先何が起こるか分からない人生に、
みんなと同じようなレールを敷くことに理解ができなかった。

これから先、自分が気になることとか、興味が出てくることだとか、これを仕事にしたい!って想うこととか、これをやりたいって思うことだとか、
そんなこと、その年にならないとわからないよ!と内心思っていて、
高校生の私は決められなかった。



資格に縛られる、というと語弊があるのかも知れないけど、
形取られた、決められた枠組みの中で、
既に決められた仕事は、したくなかった。



だから、いま仕事をしている営業も、
自分自身で数字・枠組みを作っていく職業だから
いまはとても楽しく思っている。

数字が良くも悪くも、自分に原因がある。
必ず、直せるポイントがあるはず。
必ず、良かったポイントがあるはず。



『資格』という物理的な証明はないけども、
自分の言葉で、行動で、態度で、
『資格』以上のものを作れると思っている。


chika


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?