蒼海8号の好きな句

所属結社の「蒼海」の最新号よりいくつか好きな句を紹介したいと思います。

ぜんぜん絞り切れていないので、また追加で書くかもしれません。

蒼海8号の句の季節はほとんどが冬。冬のあたたかい室内でホットココアを飲みストーブの前でくつろいでいるような、そんな気持ちになります。(いまと真逆よ‥‥)

くるみ釦似合ひて君の冬めける   三橋五七

巻頭の三橋五七さんの句より。くるみ釦(ボタン)とは、布にくるまれたボタンのこと。コートの釦かワンピースの釦かあるいはアクセサリーかも。釦が似合うという表現に意外性があります。くるみ釦はたしかに冬が似合うアイテム。連体形で終わっているので、ふんわりとした暖かい読後感があります。あと「くるみ釦が似合いますね」なんて言われたら、かなりどきどきしそうです。

回転木馬たちまち止まる冬浅し   日向美菜

回転木馬(メリーゴーランド)がたちまち止まったのはもちろん故障したのではなく、音楽、ライト、木馬の動きがすべていっせいに断ち切られたことを言っているのだと思いました。季語「冬浅し」の斡旋の巧みさに驚きました。楽しかった回転木馬の終わりと、これから冬が深まっていくことの感慨がマッチして、より一層さみしさが際立ってくるように感じました。(‥‥わたしの選評の力では句の魅力がうまく言語化できないのがもどかしいです)

寛ぎのかたちにくねる切山椒   杉澤さやか

切山椒は新年の季語。お餅のお菓子とのことです。(一度食べてみたい)寛ぎのかたちにくねるという大胆な擬人法が効いています。正月、夫の実家へ帰省しているところに切山椒がでてきて「切山椒、お前はいいな‥。ソファで寛いでいるみたいにだらっとして‥」と思っている景色を想像してみました。食べ物の季語の一物仕立ては難しいのですが、さらっと成功しているのがすごいです。

どこへでも行けて行かない日向ぼこ  浅見忠仁

この句を読んですぐに、枡野浩一さんの超有名な短歌「わけもなく家出したくてたまらない 一人暮らしの部屋にいるのに」を思い出しました。しかしこの句と枡野さんの歌は真逆のことを言っています。若い頃は枡野さんの歌に共感し、年を取るにつれてこちらの句に共感するのかなと思いました。同じ作者の「カリフラワー食べてと妻の置き手紙」とあわせて読むと、日向ぼこをしている夫婦の姿が見えてくるようです。

すれ違ふ山手線や卒業す   内田創太

卒業と山手線の取り合わせが最高。学生生活と通学電車の思い出は密接につながります。とくに地方からの上京組にとって山手線は特別。卒業の日、この電車に乗るのはこれが最後かと感傷に浸ったのかもしれません。「すれ違ふ」という言葉が、登場人物の気持ちのすれ違いまで連想させます。東野圭吾の小説「パラレルワールド・ラブストーリー」の、山手線と京浜東北線が近づく数秒間であちら側の車両にいる女の子に一目惚れするエピソードを思い出しました。

もうけふは上衣いらぬやしらす丼   小谷由果

きらきらとした春の日差しを感じる気持ちのいい一句です。作者には小さなお子さんが二人いらっしゃることを知っているせいか、この上衣はお子さんの上衣かなと思いました。食べている最中にもどんどん気温は上昇して、もう上衣いらないねと。切れ字の「や」が口語のようにも見えて面白いです。上衣を含む大量の荷物を持ちながらも行楽を楽しむ母のたくましさを感じました。

近づけば色失ひし冬桜   谷けい

桜はピンク色のイメージがありますが、近くで見るとほぼ白色です。桜の写真を撮るときにいつも思っていたことを端的に言い表してくれたようで感激しました。「色失う」と表現しているところに詩情があります。冬桜はよりいっそう白みがつよいイメージがあります。

かもめ来よこの角巻を目指し来よ   つしまいくこ

カ行の音の繰り返しがハキハキとして気持ちよく思わず声に出して何度も読み上げたくなります。海沿いを歩く角巻の女性。かもめへの強い語りかけが、まるで演歌のように読者の胸を鷲掴みにします。「かもめ句会」への挨拶句だったというのも巧みです。

除雪夫の一人下りのリフトかな   中村たまみ

リフトのときに向かい側のひとと目が合うとすこし気まずいです。遊びでスキー場に来ている自分たちと、仕事をしている除雪夫との対比が鮮やかです。「一人」がよく効いていると思いました。除雪夫のさみしさが際立ちます。

蜜柑むくやうにあなたを知つてゆく  福田小桃

蜜柑がやさしい手つきでするするとむかれていく様子が目に浮かびます。恋愛において一番楽しいのは相手のことをもっと知りたいと思っているときなのかもしれないと思いました。庶民的な果物の蜜柑に例えることで、無理のない関係性が想像できます。

口癖に気づくけふの日桜餅   三島紺青

口癖に気づくというシチュエーションを詠んだところが独特で面白いです。「けふの日」というとぼけた言い方もよく合っています。季語「桜餅」が絶妙。だらだらとたのしいお喋りが続きそうです。口癖はなんだったのか気になります(笑)

そのままに四五日暮れて福笑   三師ねりり

福笑の最中ではなく、その数日後を詠んだのがうまいと思いました。お正月で親戚が集まったときだけ出す折り畳みの小机に、そのまま福笑がのせてあるのかなと思いました。正月のだらけ感、平和感がよくでて好きな句です。

湯気立てて眠れぬ頬の置きどころ  加留かるか

昨年の冬に風邪をひきました。体がだるくて、節々が痛くて、右の頬を下にしてみたり、左を下にしてみたり。眠たいのに眠れない。そのときに以前から知っていたこの句が頭に浮かんできました。

実は「タッグマッチ句会」(※昨年11月に長嶋有さんがTwitter上で行った2人1組の句会。かるかさんといっしょに出場しました)のときに、お題「湯気立(加湿器)」で、かるかさんが出してくれた句でした。かるかさんの別の句「超音波加湿器同士通信中」がとても好きだったので本戦用にはそちらを推させていただきましたが、両方いい句でしたね。

年忘れじわじわ戻りゆく訛   ちのきり穂

普段は標準語だけれど、帰省して忘年会で地元の仲間と話しているとじわじわと戻る訛。「じわじわ」のリアリティが好きです。いきなり訛スイッチをオンにするのはなんだか恥ずかしいもの。お酒の力と楽しい雰囲気にのまれて、じわじわ訛が戻ってゆくのですね。

やあやあとマスクのやつて来たりけり   犬星星人

「度外れの遅参のマスクはづしけり」(久保田万太郎)を思い浮かべました。「やあやあ」という小説ではみるけれど現実世界ではなかなかみかけない掛け声。おおらかで昔風な(?)人柄を想像しました。しかしマスクはもはや冬の季語ではなくなりそうですね。感慨深いです。

この道を橋と気づくや年の暮   古川朋子

都会の大きな道路から続く大きな橋を想像しました。車も歩行者も多い年の瀬。考え事をしながら歩いていると、ふと「あ、ここ橋なのね」と気づいたのかなと思いました。ユーモアがあって、都市の無機質な雰囲気がとても好きです。年の暮の雰囲気ともよく響きあいます。

爆笑のあとの静けさ蜜柑剥く   武田遼太郎

こういうことあったなぁと思った句です。爆笑のあとの静けさに、穏やかな空気を感じます。蜜柑剥くのもなんだかかわいらしい。爆笑できることって年々少なくなっています。爆笑という強い言葉を俳句に入れてきれいに一句にまとめあげているところが巧みです。

二の腕をつかまれてゐる一の酉   井上芽音

酉の市の雑多な雰囲気のなかで急につかまれる二の腕。知り合いか、お店のひとか。すこしびっくりしている作者。二の腕をつかまれた感覚を追体験できました。二と一の数字の対比の仕掛けが楽しいです。

なまはげの小児病棟のぞきおり   児玉智子

病院のイベントでしょうか。なまはげに扮した病院職員(あるいは雇ったプロのなまはげ?)が、小児病棟をのぞいているのかなと思いました。小児病棟となまはげのミスマッチがユーモラスでどこか哀愁があります。なまはげがのぞいている瞬間をとらえたところがなんともシュールです。

自転車を降りてとりたり初電話   五戸真理枝

自転車に乗っているときに電話に気づき、自転車から降りてすぐとったのでしょう。(乗りながら電話をとるのは危険です)それが初電話だった、と通話を終えてから気がつく。動作の移り変わりがはっきり見えて、スピード感のある句です。初電話という季語を現代的にとらえたところが秀逸です。

福引の刹那まじまじ君の鼻   中川裕規

福引は新年の季語。福引をしている「君」の鼻をみている作者は一体誰なのでしょうか。お店のひと?「君」の連れ?「君」の連れ(恋人、配偶者、家族、友達など)ととるのが自然でしょうか。福引に集中している「君」の鼻をまじまじみている作者。隙あらば「君」をみているので、本当に「君」のことが好きなんだなとわたしは思ったのですが、ひとによって読み方が異なるかも。面白いです。

インフルエンザのびのびと部屋一人占め   山根優子

インフルエンザを肯定的に詠んだところがとても新鮮でした。インフルエンザのときにそんなことを思ってしまう環境を考えるとかなりせつないですが、ポジティブな性格だととらえてもいいと思います。「インフルエンザ」の字余りにのびのびとした感じが出ています。

コート脱ぐ夫だんだんと家の顔   吉野由美

もしかしたら奥さんがご主人のコートを脱がせてあげているのかも。「家の顔」という表現から、外では気を張って頑張る企業戦士なのかしらと想像しました。昭和の古き良き香りのする一句です。

ストーブにあたりに来れば会ふ男   中島潤也

前の会社で、トイレに行くタイミングが妙に会うひとがいたことを思い出しました。掲句ではストーブという場面設定がちょっとノスタルジーがあっていいです。冷静な句のテンションから、会ってもほとんど会話らしい会話はしないような気がします。

海苔炙る祖母の手も炙られてゐる  小塩亜紀子

じじじ、じじじと海苔を炙っているおばあちゃんの手をみると、手も炙られている。ちょっとホラーですが、冷静なテンションが面白いです。昔からおばあちゃん(もしくはおかあさん)は料理中に熱いものも平気で触ることができてすごいなと思っていました。おばあちゃんのおおらかさも感じられてとても好きな句です。

隣町の桜餅買ふ亡き妻へ   狩野壽郎

亡き妻に桜餅を買っているところがやさしくてせつないです。しかもスーパーで売っているヤマザキの桜餅とかではなく、(それも十分おいしいですが)隣町の特定のお店まで買いに行っているところがまたグッときます。

オーバーを着せるふりして抱きすくめ   成瀬桂子

一読して照れてしまいました。まさにラブラブな一句。山田航さんの選評コーナーに取り上げられそうな句ナンバー1です。山田さんの選評コーナーはものすごく面白くて、あんな風に選評を書けるようになりたいといつも思っています。


長々と書いてしまいました。

このほかにも好きな句がたくさんありました。

最後に拙句をひとつ。

寒晴や神社のうらの洗濯機  千野千佳


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