やりたいこと

久しぶりに書いてみようと思い、パソコンに向かって約2時間?
書きたいことは感情と共に溢れて来るが、それを文字にすることができなかった。
写真と一緒だ。

私が写真を撮るきっかけは音楽の専門学校時代。当時マネジメントを担当していたシンガーの子を撮ったこと。どうしても言葉じゃ伝わらなくて、撮ってみたら?と言われ、その時初めてカメラに触れた。その時に撮った写真をみて、トータルアドバイザーの方に「いいじゃん!もしかしたらカメラマンに向いてるかもね!」という言葉をいただき、その言葉がその後もずっと頭に残っていた。

それから、私が彼のバンド活動を見続けてるうちにカメラマンとしても携わっていけるのではないか、と考え、思い立ったらすぐ行動に移してしまう性格の私は知り合いで唯一カメラマンをしている人にメッセージを送り、カメラを買うのにアドバイスをもらい購入。CANONの6Dという一眼レフを選んだ。
それから、日々カメラの説明書とにらめっこする日々、週1ペースでその方に基礎的なことを学んだ。オートモードで撮っても、さすがは一眼レフ、綺麗に映った。
そしてバンドの写真を撮る前に、私はアメリカに3週間行くことになった。カメラがようやく役立つ時が来たかも!!と奮い立って、アメリカへ向かった。
とにかくいろんなところで撮った。特に印象的なのはとある結婚式のカクテルパーティでのこと。3日間結婚式があったのだが、1日目は正式に会場を借りているにも関わらずカメラマンがいないので、撮っていいよとのこと。そこではいろんな方がいて、フリートークする和やかな場だった。私はこんな場所で、こんなパーティーに参加するのも何もかもが初めてで緊張していたのだが写真を撮ることで場に溶け込めることができた気がした。英語はあまり喋ることができないが、レンズを通していろんな人と向き合うことができた。そして、みんなが笑ってくれる。写真をとることで喜びを感じることができた。私は純粋に、写真っていいなあと感じた。

そしてアメリカから戻って来てから様々なことがあり、バンドの写真を撮ることもなく彼とは破局してしまった。正直何もかも捨てたような気分だった。心から愛したことも、愛されたような感覚も、温もりも、大好きな街、そこで出会った人達、愛着の湧いた部屋。何もかもがなくなったようで、心が空っぽってこのことかと思うくらい。でもそんな時、私が大事にしていたものはカメラだった。というか、それしかなかった。
その後は私は自分への心のリハビリも兼ねて、シェアハウスへ引っ越すことにした。韓国人の友人ができ、その人も写真を撮っていて、その人の写真集に何度も励まされたり、思いっきり泣いてスッキリしたり、写真を通して、人の生きる力、パワーに触れた。

その後に縁があり、私はずっと行きたかったインドネシアに行くことができた。

その話はまた今度書こうと思う。

アメリカやインドネシアでシャッターを切り、写真を通して様々な人と向き合った。
もっともっと、写真を撮って、誰かと向き合いたい、そしてその時間を残したい、そう思った。私は一か八か写真の世界に踏み込んでみようと決意した。

働きながら1年通う夜間の写真の学校へ入学した。
そしてひたすら写真と向き合った。
楽しさもあったが、写真がどんどんわからなくなっていった。

技術的なこと、いろんな写真家の写真を見たり、構図の勉強、アートとしての写真、ドキュメンタリー、様々なジャンルがあり、何がいいとか悪いとかも私にはわからなかった。
ただ私はやっぱり作り込んでいるものが好きではなかった。いや、正しくはどんなに作り込んでいても魂、気持ちが感じ取れないような作品だ。
こんなことを言っていると、バカにされるかもしれないが、私は心で見たいと思った。撮り手が被写体とどう向き合っているのか、そこが感じ取れる写真だ。下手でもそれが通じる写真は素敵だと感じるし、パワーを感じる。その時は意見を言うことにも自信がなかったし、お前ごときが写真を語るなとも言われた。だから私は何もいうことができなかったし、何がいい、悪いとも、もっとわからなくなってしまった。
言葉に出すことは簡単だ。そして感情がどんなに溢れてこようとも全てをありのまま残すことは難しい。写真にしても、音楽にしても、文章にしても。
それでもそれと向き合うことは自分自身と、向き合うことなんだとも思う。

私はまた写真を撮りたいと思う。それでもやりたくないことはやらない、正確にはすることができない。会った人と会話をして、その人と向き合うこと。そして自然にシャッターをきることができること。それが私が撮る時。正直まだ私はカメラをもつ気持ちになれない。でも今日のようにこの感情を文字に起こしたいと思ったように、きっとまた写真を撮りたいと思う日がくるのではないかと思う。

コロナウイルスの影響やいろんなことで、世界は日々目まぐるしく変化しているし、私が生きているいまは当たり前ではない。いつ何が起こってもおかしくない状況だ。それでも、毎日様々な国の状況をテレビやネットで見ることができる、そしてそこにいる人のことを思う。それと同時に、私は今まで出会って来た様々な国の人たちを思い出し、また私はその人たちに会いに行きたいし、それを写真に残したいとふと思った。やりたいことが私にはまだ、ある。夢がある。
だから、諦めない。そんなことを電車の中で強く思った。

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