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わたしも裸足で逃げるかもしれない

読後数週間が経過したけれど、まだまだ消化しきれない。感想をどう表現していいかも分からない。一つ言えることがあるとしたら、間違いなく、この本と出合えてよかったということだ。

一章一章読み終えるのに、とにかくエネルギーを使い、心も体もくたくたになった。その理由は、この本に書かれていることが実際に起きた、現実の出来事であるということだ。

暴力を受けるということは、その人が自分を大切に思う気持ちを徹底的に破壊してしまう。
それでも多くのひとは、膝ががくがくと震えるような気持ちでそこから逃げ出したひとの気持ちがわからない。そして、そこからはじまる自分を否定する日々がわからない。だからこそ私たちは、暴力を受けたひとのそばに立たなくてはならない。
暴力を受けるということがもたらすものについて、もう一度話し合う。破壊されているのは、いま、そこにある身体だけではないこと、これまで大事にされた記憶や自分のことを大事だと思う気持ちが破壊されていること、投げやりな言動の背後には、深い孤独感や無念さがあることを話し合う。
そのように読み解けたとき、そのひとはふたたび子どものそばに踏みとどまろうとする。簡単なことではない。それでもだれかがやらないといけないことだと、腹をくくって。
でも、そんなひとはどれくらいいるのだろうか。
その生活をもう少し引いたアングルでとらえるときに、彼女たちの拠りどころが子どもしかないこと、回帰する場所が家族しかないこと、こんなにもいくつもの困難をひとりで引き受けるしかなかったことを私はよしとしているのではありません。それが示していることは、少ない資源で選ぶ道がそこにしかない、という事実であり、長いあいだ、女性や沖縄の問題が放置されている、日本の現実です。

AIに仕事を奪われる以前に、暴力は未来や可能性を奪う。そして、暴力は循環し、世代を超えて連鎖する。

私たちは政治という手段をとおして、この本に書かれている問題に加担してしまっているかもしれないことを痛いほど感じた。

どうしたらいいのかまだ分からないけど、考え続けていきたいと思う。

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