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二重整形のカウンセリングに行ったら、一重の自分を好きになった話。

 私は生粋の一重まぶたです。高校一年生の15歳の時からアイプチを始めて、今年30を迎えるアイプチ歴15年の女です。

 メザイクは不器用なせいかうまくいったことがなく、アイテープ等のくっつけないタイプのものも無理で、基本はのりでくっつけるという、オーソドックスで一番見た目が悪いタイプでやり過ごしています。
 まつエクをつけて、ばりばりの現役状態では、折式で右目だけ二重に出来ます。(左目はどうやっても無理)でも、まつエクだと1ヶ月も持続しないし、そんなに頻繁に通える余裕も心意気もない。(施術の際に接着液が結構染みるし、長時間同じ体制なのもきつい)

 アイプチ仲間だった友達は一足先に埋没の手術をして美しくなり、30歳の誕生日を目前に控え、「この年でまだアイプチしてる人っているの?」「これから年を重ねても一生アイプチしていくの?本当に?」と、いよいよ本格的に焦り始めました。

 今、私はスピリチュアルカウンセラーの並木良和先生の仰る「こいひしたふわよ」に従って生きることを意識していて、生活の中で、心地よくないものを手放していこうとしています。そんななか、毎朝やっているコレ(アイプチ)は心地よいことなのか?必要がなくなったら、もっと心地よく生きられるのでは?何より、「可愛くなりたい可愛くなりたい可愛くなりたい可愛くなりたい」という私の心からの嘆きを、財力的など、状況的に、叶えてあげられる状態が今、あるのでは?という気持ちが何よりの後押しになりました。

 旦那には以前、整形を考えてることを伝えたときは「やめて」「別にせんでいいやん」って反対されたので、内緒で事後報告にするつもりでした。

 友達やネットから情報収集して、共立美容外科の挙筋法のカウンセリングを予約し、もう今日施術しようと、痛みとか腫れとか失敗したら嫌だな、怖いな、でもでも自然な二重が手に入るなら・・・と不安や恐れを抱えながら受診しました。ただ、この時すでに、この、不安や恐れが出てくるということは違うのかも?整形をすることが、自分にとって心からの願いなら、もっとワクワクしたり、根拠のない自信に満ちて、もっと軽い気持ちでいられるのでは?だんだんしっくりこない気持ちになってきました・・・。もし、カウンセリングで嫌な気持ちが大きくなってきたらやめよう、と考えていました。

 受付のお姉さんはとても人当たりがよく良い感じだったのですが、当然ながら、施術の先生は流れ作業的に説明があって、まぶたの感じもあまり確認してくれず、私に合った施術方法(二点止め、三点止め等)を提案してくれるわけでもなく、ワクワクより「どうしよう」という不安や居心地の悪い感情が大きくなっていき、早く決めないとと焦りながら、
「ごめんなさい、やっぱりやめていいですか」と、伝えました。

 あれだけ乗り気で、今しかない、今だ!って思ってたのに。なんで?
 帰りながら、なんでやらなかったんだろう?やっぱりやっといた方が良かったかな・・・?と心のうちはカオスでした。

 ただ、カウンセリング中にどうしようもなく浮かんできたのは、”整形して何を手に入れたいの?誰に見せたいの?旦那は一重の私もいいって言ってくれてるし、一重でも当たり前だけど友達は受け入れてくれてるし、仕事もできるし、本当に必要あるの?”

 ”どうして私はそれをしたいの?”って聞いたら、
 ”自分を受け入れて愛してあげたい”って返ってきたんです。

 じゃあ、それは、逆説的にはありのままを受け入れてあげないってことになるよね?整形した私じゃないと愛してあげないの?可愛がってあげないの?それって、否定じゃない?って思ったんです。

 私が今一番ほしい、”ありのままの私を愛したい”、”ありのままで愛したい”という願望と反対をいく行為なのでは?と。

 帰宅して旦那に「本当は今日整形しようと思って整形外科行ってたの。でもやめちゃった」と話したら「やめてよお。一重も二重もどっちも好きなのに。どっちかになったら寂しい。」って言われて、愛の存在であるパートナーがそう言っているんだから、もうそれでいいじゃないって、また一段と腑に落ちました。これ以上、私は何を望むのか。
 もちろん自分の美意識ですることは、とても尊くて素晴らしいことだと思いますが、私個人の場合には、それが当てはまらなかったということだけです。

 アイプチが嫌なんだったら、しなくていいように整形すればいいんじゃない? ⇒ 二重に整形するんじゃなくて、一重のままでいいんじゃない?
 そういう思考に、一瞬で切り替わったんです。
 そうなれば、話は早くて、一重でもきれいな人、可愛い一重メイクを調べ漁って、おさちさんに出会いました。めちゃくちゃ年下だけど、すごく憧れました。

 ああ、嫌だった一重は、こんなに可愛く生かしてあげられることもできるんだ、ってすごく楽になって、しっくりきました。私の「こひしたふわよ」は、こっちだったんだって。
 でもカウンセリングに行かなかったらずっと気づけなかったし、思考(志向)が変わらなかった。私にとってすごい良い体験でした。

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