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カレーのシミくらいに

朝から右足の小指をトイレの扉に思いっきり挟んでしまった。
その時はグッッと声を出して終わったのだけど、今になってジンジンきている。(午後14時現在)

出かける前の洋服を決める時間が1番楽しいと話していた友達に便乗して、最近あまり着て行かない洋服をわざわざクローゼットの奥から引っ張り出して外へ出てみたら駅のホームで洋服にぺたりと張りついている古いカレーのシミを発見。
そうだ、このシミがあったから着るのをやめてクローゼットの奥に仕舞いこんだんだった。と思い出す。
「ワシは古株じゃ」と言わんばかりにどんなに擦っても水をつけてみてもビクとも動こうとしない。もうどうでもよくなってそのシミはそのままにして堂々と歩くことにした。
結果、若干右足を擦りながら歩く、洋服カレー染め女が完成した。いや、名付けるのであれば妖怪足引きカレーババアといったところだろうか。

朝から良くも悪くもなんとも言えない気持ち。
今日は蒸し暑いのに雲がかっている。
なんとなく嫌な天気だ。
そんな天気と今日の私が共鳴して「憂鬱」と言っている。

バイト前に煙草を吸おうとバッグの中をまさぐると、確かに右手が煙草の箱を無事キャッチしたのが分かった。しかし、いつも吸っている煙草の箱よりなんだか違う感触。
なんだかやわい。本数も明らかに少ない。
入れたはずの煙草の箱は新品のはずだった。

私は気づく
そうだ、なんとなくいつもとは違う洋服を着てみたが為、バックも久しぶりに手に取ったショルダーバッグに変えたのだった。
このショルダーバッグを最後に使ったのは相当前のはずだ。
出てきたハイライトメンソールを見つめ、少し潰れたへなちょこな一本を手に取り火をつける。
よくこんな物を吸えていたなと過去の自分にむせ返りながら、ついでに当時のことを思い返してみる。


「お風呂を出て、歯を磨いてから吸う煙草が1番美味しいんだよ」と言っていた昔の彼氏。
私はむろん、せっかくお風呂に入って歯を磨いて全てがクリーンな状態なのに勿体無い。と思うタチだったので、当時の彼のその概念は全く理解ができなかったしこれからもそれは揺るがないとまで思っていた。

が、今では少し分かる気がしてきた。

全てが綺麗になった状態で火をつけて吸う煙草は何故だか煙が体にスウっーと浸透してくる。
それはまさしく快感ともいえるし、うまいか、まずいかでいえば間違いなくうまかった。

その彼と別れた後、「なんだかああいう所、子供だったなー。」とかって勝手に1人で俯瞰して別れた後の傷を癒したりしようとしてみたけど、今になってこうして風呂後の煙草の美味しさに気づいてみると子供なのは私の方だったのかなーなんて、考えたりもした。
そんな事を地元の友達にふと話したら、「いや、それは絶対に無いよ」と断固否定してくれたのでちょっと良かった。(こういう時の女友達は絶対的絆を育んでくれるので有難い。たとえそうじゃなくても、味方になってくれるのだ。)

でも多分思うに、「こういう部分が大人で、子供で」とかって単なるボタンの掛け違いみたいなものなのかな。
それでもやっぱりまあ、ボタンはなるべく掛け違いたくないと思うのが普通なのかもしれない。
カレーのシミは直ぐに消す事は出来ないけれど、ボタンの掛け違いぐらいのことだったら、気づければすぐにでも直したいと思うし、気づいた側も見て見ぬフリはできまい。 


ただ、残念ながら恋愛観おける一人一人の価値観というものは、対角線上に掛け違いられているボタンと一緒なのかもしれないとこの頃思う。



好きな人と”スキ”って思う感情の量が同じぶんだけ、
そしてその感情が同じタイミングでお互いに在るという事実だけで、何故か急に物凄く尊くて愛おしいものに見えてくる。

失恋したての私は鏡を見るだけでも自分に対してつい中指を立てたくなってしまうけれど、奇跡はいつか現れると信じて疑わない(乙女な)自分がいるのも確かだ。
そんな健気な自分がいつの日か報われる事を、私の先祖たちも願っているはずだ、(と思っていたい。)


“料理は目分量派”の私の事だから恋愛に見通しを持って行動する事なんて、アヒルの木登りに等しいものなのだけど、それでも、登ってみたい木があったら是非とも身を削ってでも登ってみたいと思う自分がいる。

今を楽しみたい。
誰かのことを知りたいかもしれない。

そんな時の自分が一番、
吸収力や探検力に長けているように
誰かのことを今後、ちゃんと知ろうとできますように



カレーのシミぐらいしぶとく、
足の指を挟んだ時のように
誰かの心にグッときますように。


そんなくだらない事を思いながら、
今日も眠ろうと思います。

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