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生け花は無益な殺生?|物書きのいけばな日記#01

華道のことを「生け花」と言います。
しっくりこないのは、「花を生かす」と言いながら、実際にしているのは殺生なのでは?と思ったから。
花の命を犠牲にして美を愉しむって、ただのエゴじゃいのか?と思ってしまいどこかひっかかります。
本当に花が好きなら、園芸でもよさそう…と思うわたしがひねくれているのでしょうか。

仏教国であるブータンでは、命を大切にする風習があり、切り花は売買の対象にならないと聞いたことがあります。
きっと自分たちの命を支える目的以外で殺生はしないということなんだと思います。

また、明治時代に岡倉天心は、日本文化を西洋に伝えるために書いた『茶の本』の中で、花を「お前たち」と呼び、このように書いています。

彼はお前たちを切ってかがめゆがめて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢をきめて、途方もない変な姿にするだろう。
もみ療治をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。
出血を止めるために灼熱しゃくねつした炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだの中へ針金をさし込むこともあろう。塩、酢、明礬みょうばん、時には硫酸を食事に与えることもあろう。
お前たちは今にも気絶しそうな時に、煮え湯を足に注がれることもあろう。
彼の治療を受けない場合に比べると、二週間以上も長くお前たちの体内に生命を保たせておくことができるのを彼は誇りとしているだろう。

お前たちは初めて捕えられた時、その場で殺されたほうがよくはなかったか。いったいお前は前世でどんな罪を犯したとて、現世でこんな罰を当然受けねばならないのか。
(岡倉天心『茶の本』6章花より)

読んでいると、花が気の毒になってきます。
花を生けることなんて、なくても生きていけます。はっきり言って、生きるためには不要な営み。

しかし、華道は現代までその道が伝えられています。それは、きっと宗教のように、人間の本質に関わる何かがあるに違いない。

その本質は何なのか気になります。
気になるだけで、気づける器量があるかはわかりませんが。

考えるよりまず実践。花を生けに行って来ました。

「3回で心の余裕を感じさせてあげよう!」という、華道家の熊原恵師範。
こちらが今回の花材です。

第1回のテーマは、「小さな世界を作る」とのこと。

東海桜(枝もの)
サンダーソニア(オレンジのぼんぼりがかわいい)
グリーンミスト(プロレスラーの繰り出す緑の毒霧ではなく、爽やかなレースフラワー)
ナルコユリ(葉物)
の4つです。

花器はシンプルなシンメトリーの白い器を選びました。

今回は「傾斜型」という型がオススメとのこと。

描いてもらえるとわかりやすい。

小さな世界を作る

実際に広がる大きな世界を、この4種類のお花と花器で表現すると言うのが、今回のお題:【小さな世界を作る】です。

そのためにはまず、その花々がどのように自然界に生息しているかを知っている必要があります。

自然界には、木が高くそびえ、花が咲き、その下に草や葉があります。
今回は、それらを素直に、表現することにしました。

東海桜を高く左側(◯)に。真ん中(□)にオレンジのぼんぼりが可憐なサンダーソニアを。そして、右(△)の一番低い位置にナルコユリの葉を生けることにしたのがこちら。

すこし、ぼやっとした出来です。

ここからさらに美しく洗練させるポイントは
・桜は下向きに花を咲かせますが、例外的に生け花では上むきに生けることでお部屋に飾ったときには美しく見える
・生け花の世界では、左右対称(シンメトリー)ではなく、アシンメトリーが原則。オレンジのサンダーソニアを少し回してアシンメトリーに生ける
・桜が咲くと華やかになる先を見越して、右側にも桜を施して桜の木々の中に草花が咲いている世界を作る
・桜の枝にを折りだめて、美しく見えるカーブを人工的に作る

先を見越して生けるのは、生け花とフラワーアレンジメントとの大きな違いです。結婚式場などパーティーに飾る花のように、その日がクライマックスで、終わればゴミ箱行きというようなことはしません。

そして、最後のポイント。え、桜の枝を折って曲げるの??

虚実等分:自然と人工の調和

生け花の哲学に「虚実等分」という言葉があります。

虚実等分:自然と人工の両極が調和してこそ美の本質があるという考え方
・・・自然のまま使うこと
・・・人の手を加えること

草花の自然の姿である「実」に従う一方で、
不要の花・葉を取り、枝をためて、姿を整えて、
「虚」を備えて花器に生けます。

・桜の枝を折りだめて、美しく見えるカーブを人工的に作る
には、桜の枝をぼきぼき折って曲げていきます。
これを「折り矯(だ)める」といいます。
この写真の真ん中の枝、折っているのわかるでしょうか。

きっと内部の維管束は傷つけずに生けることで、枝は折っても生きているのでしょう。
だけど、ボキッと折る瞬間は心が痛みます…


そして、手直しです。東海桜とオレンジのサンダーソニアの向きを変え、足ものをキュッとさせ、真ん中の寂しさを解消。
より洗練されたのがこちら。

全然違う。この形がなぜ美しいと感じるかはまだ説明できないのですが、感覚的に洗練されたと感じます。

わたしたちが美を感じるものは、この「虚実」の微妙なバランスによって調和がとれているのかもしれないです。
書や絵画、器、庭、建築…わたしは今まで何を見て美しいと感じたのか回想すると、確かに「自然そのもの」ではなかった気がしてきます。

ほら、証明写真もレタッチ入れたら綺麗になるし、わたしも写真を撮るとき、証明で光を人工的に作ります。

「美しい」や「綺麗」の本質の一つは、この虚実等分の心なのかもしれません。

部屋に飾ってみる

お花を生けることで、大きな自然界の息吹を、お部屋に持ち込むことができました。
部屋の空気が締まったように感じます。

冒頭で、「生け花は無益な殺生」と書きました。物理的にはそうなのだと思います。
だけど、花を生けるプロセス、空間に飾るプロセスを通じて、何か目に見えないものを得ている気がします。
つまり、精神的には無益でない何かがあります。
自分自身や見る人が、精神的に有益にできる心を磨くことが、花を生かすということに繋がるのだと感じました。花を本当の意味で生かすには鍛練がいりそうですが。

わたしたちは、毎日お肉やお魚やお野菜を食べて命をいただいて生きています。その殺生の部分を自分の手を使ってしていなかっただけで。

枝を折ることで、気の毒に感じるわたしの方がエゴイストなのかもしれません(まだ視座が上がらずその先にあるものが見えていないのかも)。

細かく落とした枝は、有田で買った藍色の一輪挿しに刺して飾りました。
少し罪滅ぼし?

数日で可憐な花を咲かせてくれました。
可愛いらしい5つの花びらに癒されます。

ということで、第1回目の生け花を通して、感じたことは、この3つでした。

《第1回生け花で気づいたこと》
・自然に「手を入れる」ことで美しさが洗練されること(虚実等分)
・自分のエゴさ
・いろんな命の犠牲のもとに、自分が生かされてること

まだ言語化できていないことがたくさんあるので、次回何に気づくか楽しみです。
第2回のテーマは、「余白を知る」だそうです。
花を生かす心と手を学びに行きたいと思います。

生け花体験記は続く。

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