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もっともっと本が読みたい

ここのところ本を読むのが面白い。本を読むことに何か目的を持っているわけではなく、ただ読みたいから読んでいる。

ちょっと前までは家にいる時間が長いから、という理由で本を読む時間が増えていたのだが、今では本を読むためにあえて家にいる時間を増やすようになっている。

2週間に1度、図書館の貸し出し期限に合わせて図書館に行き、読みたい本を8冊ほど借りてくる。(先週は予約した本があったことを忘れていて9冊借りてきた)
借りた本をどの順番で読むのか自分のなかであれこれ考え、(日本作品と海外作品を交互に読めるよう調整したり、小説と新書を順番に読めるように考えたりしながら)頭の中でスケジュールを組み立てる。

その作業だけでもワクワクして楽しい。ちなみに私は一番楽しみにしている本は最後に残しておく傾向にあることがわかった。

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本を読むことの魅力は何かと言えば、"知らない世界を覗いたような気分になる"ことだろうか。そのおかげでここ最近、今まで興味のなかった(というより知らなかった)「文化人類学」「社会学」という学問に興味が出てきた。

“文化人類学とは、相手の目から世界がどう見えているのかを知ること”
“文化人類学は、他者の姿を見つめ、世界の別の姿を描く学問だ”
そんな言葉を目にした。自分の目から見える世界は自分目線でしかなく、物事をいろんな方向、角度からぐるっと眺めることで、全く違う世界が見えるのではないかと思っている。

少し前になるが、大変お世話になっている兼清先生から紹介していただき、「うしろめたさの人類学」という本を手にとった。著者が日本とエチオピアの対比を通して感じた、社会への違和感について分析している一冊である。
私たちが普段感じている“あたり前”は本当にあたり前なのか?何の疑問も抱かずに“そういうものだから”と思っている事柄について、改めて考え直す良いきっかけとなった。

また2019年本屋大賞ノンフィクション部門で大賞を受賞した、ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。この本のなかで11歳のぼくが、“Empathyとは誰かの靴を履いてみること”と答えている。
この世界には“あたり前”が違うたくさんの人たちが一緒に暮らしていて、当然相手のことが理解できないこともある。ただその時に理解できないことは理解できないと片付けるのではなく、どうしてそう思うのか、相手は世界をどのように見ているのか想像することが必要なのではないだろうか。

ただ、もっともっとたくさん本を読みたいということを書こうと思っていたら、なんだか話の筋がずれてしまった。
これからもたくさん本を読んで、自分の知らない世界を覗き続けたい。

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カバー写真はスイスに住んでいる知り合いの家にいた猫。スイスの猫は世界をどんなふうに見ているのだろうか。

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