見出し画像

#なんかやろうね2021

10年前、
神宮前の交差点にあるマンションの一室、
広告代理店の端っこ、2席の間借りからスタートした
れもんらいふ。
神宮前交差点、
そこは伝説のカルチャーの拠点。
原宿セントラルアパートがあった場所。
70年代、そこに伊丹十三、タモリ、
糸井重里や川久保怜など
クリエイターが集いカルチャーがうまれた。

集うというのは、何かが生まれる。
60年代、
成城に細野晴臣の家があった。
そこに大瀧詠一や松本隆が
レコードを聴きにあつまり、
はっぴいえんどがうまれた。

れもんらいふをつくった時、
名前をひらがなにしたのは、
はっぴいえんどのように
仲間があつまり、遊んでいたらバンドになっちゃった。
それがカルチャーをつくったように、
デザイン事務所ではない、あたらしい僕たちの世代のカルチャーを作りたいから名付けた名前だ。

夜な夜な人があつまり
そこに文化がうまれる。
はっぴいえんどがいたから、
キャラメルママがうまれ、
ユーミンが生まれ、
さらに時を経て、
YMOが生まれた。
レコードを聴いて、本を読んで、お酒を飲んで
話をする。
「なんかやろうね」ってはじまっていく。
いかにもれもんらいふらしい。
かわいいと、変と、新しいをまぜるとれもんになるように、れもんらいふは、デザインをする「場所」というより、人が集う「場所」なのかもしれない。

常にれもんらいふには人が集まる。

今、
僕は映画をつくることに挑戦している。
2年も前から企画書をつくり、そのアイデアの元に
脚本家、プロデューサー、助監督、女優、音楽家、配給、、、徐々に仲間が集まってくる。
夜な夜なれもんらいふに集まって、語らう時間は
まるでバンドが生まれる時のよう。

そんな毎日を続けていきたい。
それが10年たった。
こんな事言うとデザイン業界からは怒られてしまうかもしれないが、僕はデザインという仕事じゃなくてもいいのかもしれない。
10年前、たった2人から始まったれもんらいふ。
神宮前に場所がほしかったのは
デザインをしたいだけの場所ではなく、
人が集まり、そこに新しいアイデアが生まれることを期待していたのだ。

#なんかやろうね2021

スタートから10年がたった今、
さまざまな人と出会い、さまざまな企画をやってきた経験で、よりもっと出会いの場所になろうと思った。
#なんかやろうね は、その想いから生まれた。
10年の間に世の中は変わった。
オリンピックを控え、渋谷は文化よりも商業の発展を目指す街になって行った。
コロナが蔓延し、zoomなどのリモート社会になり
渋谷を離れる人も増えた。
それでもれもんらいふは「出会う文化」の力を信じていきたい。
すでにさまざまな企画が進行中。
ファッション、イベント、ショート動画、音楽、
10周年の展示。
打ち合わせが楽しい。

この場所で、
デザインしようね。
バンドをつくろうね。
映画をつくろうね。
商品をつくろうね。
番組をつくろうね。
そして、美味しいカレーをつくろう。
ラーメンも。
みんな、#なんかやろうね。
また、ここに、
みんなが憧れるカルチャーを作ろう。
僕はずっとここにいる。

夜な夜な、集まろうよ。

(感染対策はしっかりね笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?