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第15章 スーパージェスコ

 長谷部と三谷は屋上の柵にロープを括り付けると一人ずつ、するすると降りることにした。望美の働いていた四階喫茶店へは、思いのほかスムーズに入ることができそうであった。これも下準備通り、彼女が窓の内鍵を解除してくれていたからである。
「よっ・・と。」
三谷がまず先に片手でロープを掴んだまま、窓に手をかけ、足場を確認しながら中へと吸い込まれていった。イテッという声が響く。どうやら着地に失敗したようだ。長谷部が心配そうに屋上から様子を伺っていると、三谷はすぐに窓から顔をだし、手招きした。うまくいったようだ。長谷部も安心して、ロープをつたい、喫茶店に飛び込んだ。
「うわっ!・・いってー。」
三谷がこけた理由が分かった。この窓は、思ったより床から高い位置に設置していたのだ。
「俺もやられたぜ。ったく、妙な造りしやがってよ。」
三谷は特に怪我したわけではなさそうで、茶店のキッチンの方を物色し始めた。長谷部はというと・・痛い。明らかに膝を打撲している。が、三谷には何も言わず、平気なフリをしてみせた。まあこの程度なら、走れるだろう。
「うーんこれといってなにも・・・あ、イチゴあんじゃん。いただきー。」
店内の冷蔵庫を物色している三谷を見たら、長谷部は気が抜けてしまった。この男に緊張という言葉はどうやらないようだ。
「長谷部もいるか?ほれ。」
二人でイチゴをむしゃぶりながら、流しで手を洗っていたとき、壁にかかった時計の時刻は既に11時を回っていた。今頃香西はカジノの中にいるのだろうか。そして自分たちもあと10分後くらいにはうまくいけば・・。いよいよその時が近づこうというのに相変わらず、なぜだか実感はなかった。
「さて・・問題はこの後どうやって地下へ潜り込むか、だな。」
長谷部がそう呟くと、三谷も頷いた。実際のところ、ジャスコ内に入ることは計画の範囲内だったが、そこからジェスコへ忍び込む方法は、具体的に分からないのである。ただ一つ言えることは、ジェスコは地下にある、ということだけであった。
「香西課長からは連絡なし、か・・。」
長谷部は携帯電話を確認したが、香西からの着信はなかった。もしかしたら、地下は圏外なのかもしれない。
「あの、前から思ってたんだけどよ、それ・・。」
三谷が不思議そうな顔をして、長谷部を見ている。
「え?」
「・・あ、いや、なんでもない。」
三谷はそういうと、うつむいて、表情を見せようとしなかった。
「そうか、そうだよな・・。」
そう聞こえた気がした。長谷部は持っていた携帯電話をとっさにポケットへ仕舞い込んだ。何か、いけないことをしている気分になったのだ。
「まあ、とりあえず!地下へのルート探そうぜ。」
三谷は何事もなかったかのように切り替え、笑って見せた。その姿の意味が、このときの長谷部には分からなかったが、まあ、大したことはなさそうだったので、放置しておいた。
「まずは一階目指してみるか。」
「おう。」
長谷部の提案で、二人は茶店を出て、ジャスコの廊下を恐る恐る歩き始めることにした。
 カツ、カツ・・。不気味なほどにデパート全体は静寂に包まれていた。そして、暗闇。非常ドアの灯りしか、今のこの建物内を照らすものはない。二人は階段までたどり着き、手探りで1階目指してひたすら降りて行った。たかが4階程度の距離なのに、さすがにこのときばかりは、やけに長く感じるものである。途中、長谷部には、警備員らしき懐中電灯の光が見えた気がしたのだが、三谷の歩く速度が速すぎて、伝えることもなくその場を後にした。
「しっ。待て。」
ようやく1~2階間の踊り場辺りまで歩いたとき、いや、正確には今どこのフロアにいるかなんて把握していないのだが、そんなときだ。三谷がいきなり長谷部を静止した。
「・・聞こえるだろ?」
三谷が何を言っているかはすぐに理解できた。息を殺して目を閉じると・・音がする。多分だが、食品売り場の方角から何かが近づいてきているのだ。
「こっちに来るぞ、どうする?戻るか?」
三谷がそーっと、上の階へ歩き出そうとしていたが、長谷部はそれを腕で止めた。
「だめだ、上の階にもいる・・!」
「まじかよ、どうすんだ?」
三谷の声は慌てていて、少しボリュームが大きくなりそうだったので、長谷部は口をふさいだ。
「こっちに、早く。」
長谷部は三谷を引っ張って一階へ素早く降りた。守衛であろう何者かがこちらに近づいてくるのは分かっていたが、間一髪、見つかる前に階段を下り、横にあるトイレへと滑り込む。
「・・ひゅ~。」
それぞれ別々に咄嗟にトイレの個室に入り体を丸くしてひたすら時が過ぎるのを待った。息が整い、再びまた静寂がトイレに訪れる頃、隣の個室にいる三谷から、小さな声が聞こえた。
「おい、長谷部・・長谷部・・・聞こえるか・・?」
なぜだか三谷の声が遠くに感じる。
「なんだ?三谷?隣にいるんだろ?」
「おう・・こっち来てみろ・・・早く・・・・。」
最初は声がこもっている?のに不思議でしょうがなかったが、長谷部は三谷の言うがままに、隣の個室へと移動しようとした。出てみて分かったのだが、どうやらこのトイレは女性用だったようだ。明らかに造りが違う、が、個室の数が多いほかは、別段変わったところはないように思えた。
「三谷?あれ?三谷―・・?」
どういうことだ?隣の個室にいるはずの三谷がいない。隣も、その隣も覗いたが、どこにも三谷の姿はない。急に怖くなって、長谷部がトイレの出口を見て立ち尽くしていると、ふと、ガタガタっという音がした。守衛が近づいてきたのだ。まずい、ここに来られたら行き止まりだ。・・まだ距離はあるようだったが、明らかにその音はこちらに向かっていた。壁の向こうで声が聞こえる。
「おかしいな・・こっちの方だったはずなんだが・・・ゴニョゴニョ・・・。」
どうやら隣の男子トイレの方に入っていったようだった。しかし、これは本当にまずい。
「おい長谷部。」
急に真後ろから呼び掛けられ、長谷部は心臓が止まる思いがした。振り返るとそこに、何事もなかったかのように三谷が立っていたのだ。思わず尻餅をついてしまった長谷部に、三谷は不敵な笑みを浮かべ、親指でトイレの個室を指差した。
「え?」
何が起こったのか分からない長谷部だったが、恐る恐る個室を覗き込み、全てを理解した。便座の前の床が、外れている。
「まさかとは思ったけどよ。ほら。隠れるぞ。」
床下を覗き込もうとしている長谷部を押しのけ、三谷はするすると暗闇へと吸い込まれていった。正方形の床は、路上のマンホールより若干小さいくらいの幅の蓋として取り外されている。長谷部は、三谷の洞察力に脱帽させられていた。まさかこんなところに突破口が残っていたとは。しかも、この一瞬でそれを引き当てる。やはりこの男、只者ではない。
「どうだ?入れたら蓋しとけよ。証拠を消すんだ。」
長谷部は三谷の指示通り、床下に潜ると、蓋を手探りではめなおした。本物の暗闇が、そこには存在していた。そして数秒もたたぬうちに、頭上から足音が聞こえてくるのが分かった。守衛の男はもうそこまで来ている。間一髪床下に隠れた長谷部と三谷は、ヒヤヒヤしつつ、それでいてニヤニヤしながらその場をやり過ごすことに成功したのであった。
「やったな長谷部。」
足音が完全に消えたのを確認して、三谷が囁いた。長谷部も頷くつもりだったが、いかんせんこの床下に二人入るのは狭すぎて、頭をぶつけてしまった。
「いってー・・ん?」
痛さのあまり体勢を変えようとした長谷部は、妙なことに気がついた。先程まではまるで気がつかなかったのだが、顔を横向きにすると、なにか、生暖かい風が耳元に当たっているのが分かった。
「どうしたんだ?どっかぶつけたのか?」
ゴツンという音を聞いた三谷がそんなことを聞いているような気もしたが、長谷部は他のことを考えていた。
「三谷・・これってさ・・。」
「おう?」
長谷部は体を捻って、三谷のいる方向と逆の方へ何とか向きなおした。そして、風の吹く方向に、そーっと、手を伸ばしてみる。長谷部の細い腕は、見る見るうちにその空間へ入っていき、そして、体を伸ばしてみると、そこは、頭、肩がぎりぎり入るくらいの隙間が存在していることが確認できた。うつ伏せになれば、入れる・・・。匍匐前進のような体勢になり、長谷部はその風の吹く方向へ、ズズズズズ・・と、吸い込まれてみた。
「長谷部?お前、どうなってんだ?」
暗闇のなかで、真後ろを向いている三谷は、長谷部が今、どのような姿勢であるかということが、わかっていない様子だった。
「ここに隙間がある、向こうから風が吹いてるんだ・・先に続いてるみたいだぞ。」
もちろん確信などなかった。だがしかし、風が吹いているってことは、少なくとも窒息することはないだろう。この先がどこに繋がっているかはわからないが、もしかしたらこれは空調の、そう、ダクトのようなものなのかもしれない。
「おいおい、これで行き止まりだったらどうすんだよ。戻るの面倒くせえぞ~。」
三谷は気乗りしない声をあげていたが、長谷部は珍しく三谷を無視して進み始めた。
「いや、これは面白いことに、なってる、かも、・・・ここって1階だろ?」
「おう、それがどうかしたのかよ。」
匍匐前進しながら長谷部が話すと、三谷もなんだかんだ、相槌を打ちながらついてくる。良いコンビだな、と長谷部は心の中で思っていた。学生時代にこんな仲間と出会いたかったんだ。理由も聞かず、黙ってついてきてくれる親友が欲しかったんだ・・。そんなことを考えながら、長谷部は話を続けた。
「いいか、一階の床下に空気が流れてるっておかしいと思わないか?しかもこの、生暖かい風が。」
「ああ、たしかにな。だけどそれがどうしたんだ?」
三谷はまだ長谷部が何を言いたいか理解していないようである。長谷部は、高鳴る胸を抑えつつ、なるべく冷静に、説明しようとしていた。
「俺たちの目指すカジノってさ、地下にあるんだよな。地下にあるってことはさ、窓とかないわけだよな?ってことはだぜ、空気穴とかないと酸欠になっちまうよな?」
長谷部の声は、徐々に大きくなっていった。その間にも暗闇の中、少しずつ前に進んでいく。
「おう・・あ!そうかっ、なんか段々話が読めてきたぞ。」
どうやら三谷もピンと来たようだ。そう、この風の来る方向には、ある。『空気穴』が。
「これはきっと空気を送るダクトさ。地下に続いてる可能性だって――」
言い終わるか終らないかの瞬間だった。微かに、見えた。話し声さえ迷子になるような暗闇の先に、見えたのだ。そう、希望の光が・・。
「三谷・・・これは、キテるぜ。」
長谷部は手に汗が滲んでくるのが分かった。そして高鳴る胸の鼓動は、抑えられる限界を超えている。近づいてきた、前方の明かりが。それも、近づいてわかる。明かりが漏れているのは、筒状になっているこのダクトの下方からなのだ。
「・・・おいおいおいおい、俺にも見えてきたぞ。長谷部、お前すごいな!・・あ、すまん・・。」
三谷は思わず声を大きくしてしまったことに気がつき、慌ててボリュームを落とした。ズズ、ズズズズズ、ズズズ。長谷部は明かりの漏れるポイントの真上にようやく辿り着き、隙間から下を覗き込んだ。眩しさのあまり、目が痛い。明るさに慣れるのには少々時間が必要だった。
「どうだ?何か見えるか?」
三谷が明らかに自分も見たそうな声で尋ねてくる。ふくらはぎを叩かれながら長谷部は、真下に広がっている世界を、目に焼き付けようとしていた。
「・・・?」
ようやく目が慣れてきた長谷部だったが、なんだかよく分からなかった。
「おい、何が見えるんだよ。」
「いや、これ・・事務所?」
何とも言えない景色が広がっていた。網のむこうに見えるのは、パイプいす、長テーブル、そして、ロッカー・・。どれもカジノとは程遠い、楽屋のような造りの部屋であった。
「事務所?おい、降りれそうか?」
三谷に言われ、長谷部はアミアミになっている格子に指を入れて、動かしてみた、と次の瞬間、
ガシャーン!
格子は簡単に落下し、長テーブルに激突してしまった。それと同時に、長谷部も身が投げ出され、その上に落ちそうになった。
「くそっ・・うおーっ・・・と。」
思いの外うまく着地できた長谷部は、倒れた長テーブルの隣でポースを決める。得意げに顔を上げると、すぐにその表情は真っ青に変わった。目の前に、スキンヘッドの恰幅の良い男が、驚いた顔をしてこっちを見ていたのである。血の気の引いた長谷部は苦笑いしながら、あとずさった。レスラー風のスキンヘッドは、じりじりと長谷部と距離を詰め、ギラリと睨んできた。
「は、はは、いやー・・どうも、お疲れ様です。」
長谷部が苦笑いして訳の分からない挨拶をすると、スキンヘッドは、右手を差し出してきた。どうやら握手を求めているようだ。
「あっ、どうも~。わたくし、長谷部と申しま…ウギャーー!!」
右腕に激痛が走った。このスキンヘッド、長谷部の手を握り潰し、そのまま捻り上げたのだ。
「やめ、やめてやあー!!!」
スキンヘッドがニヤッとして増々力を加えようとした瞬間だった。目の前のスキンヘッドが視界から消えた。
「野郎!この!」
三谷が真上からツルツルの頭にダイブし、思いっきりヒップドロップをかましたのである。スキンヘッドは・・・一撃必殺だった。完全にノックアウトである。
「ひえー・・ありがとう、助かったぜ・・。」
長谷部が右腕をブラブラさせながら、骨が折れていないかどうか確かめている間に、三谷はスキンヘッドの頭を何回も踏みつけ、追い打ちをかけていた。
「三谷、三谷っ。」
長谷部は三谷を止め、人差し指を口の前にもっていった。
「もういいよほら、気絶してるぜ。・・ありがとう助かった。」
伸びきったスキンヘッドを見て、三谷も冷静さを取り戻し、服を払うと、パイプ椅子に座り足を組んだ。
「はあ、焦ったぜ・・ん?なんだこれ。」
三谷は座っていたパイプ椅子と尻の間から、何やら布のようなものを取り出した。やけにカラフルである。いや、これはもしかして・・。長谷部は三谷からその布を取り上げ、目の前に広げてみせた。
「これ・・マスクか?」
なんという派手なデザインなのだろう。三谷がケツに敷いていた物体は、赤地に金色の装飾が施してある覆面なのであった。
「なんでこんなとこにプロレスラーが生息してんだよ、ったく・・ここが地下なのかね?」
思わず長谷部は笑ってしまった。確かに三谷の言うとおりだ。なぜここに覆面と、明らかにゴツいスキンヘッドがいるのだろう。これでは覆面レスラーではないか。カジノは一体どこに?いや、しかし、どう考えてもここは地下なのであった。
「さあな・・。でもこの部屋がカジノに繋がってるかもしれないし・・いや、この状況まずいよな?」
長谷部はこの数日ですっかり勘が良くなってきていた。この部屋にはそのドアと天井の格子以外、出口はない。今誰かがやってきたら・・・見つかれば完全にアウトである。
「長谷部、そっち持て!このハゲ運ぶぞ。」
「あ、おう。」
三谷のやろうとしてることはすぐに分かった。とりあえずこのスキンヘッドを隠すのだ。隠す場所はただ一つ・・・ロッカーしかない。
「重いなこいつ・・よっと・・・。閉めよう。くっ。」
二人してやっとの思いで無理やりロッカーの扉を閉じたその直後、それと同時に扉をノックする音が聞こえてきた。
「すみません、準備できましたか?」
準備?何の話だ?しかしこのままではまずい。天井を見上げたが、ダクトに戻るのには高さ的に不可能に見える。これは困った。
「赤コーナーの方は先の入場になりますので、もうお願いします。」
外から聞こえる言葉は謎すぎて理解不能だったが、明らかにスキンヘッドを呼んでいた。そのとき三谷が、
「おい、長谷部はもう一つのロッカーに隠れてろ。ここは俺に任せて・・。」
長谷部に選択肢などなかった。言われるがままに長谷部は素早くロッカーに身を隠し、息をひそめた。ロッカーの隙間からドアの方が見える。そのドアに近づいていく三谷が視界に入ったのだが・・・何ということだろうか。この男、先ほどの覆面を被っているではないか。マスクマンに変身した三谷は堂々とドアを開け、警備員のような男に、にこやかに話しかけた。
「おう、準備万端だぜ!いつでも来―い。」
そんな感じで話しているように聞こえた。・・・ここまで来てようやく長谷部も気がついた。これって、プロレスの待合室だったのか!?あのレスラー体型のスキンヘッドといい、覆面といい、赤コーナーというワードが聞こえてきた事といい・・・、そして三谷は咄嗟にスキンヘッドの代わりに成りすまし、リングに連れて行かれ・・いや、それは流石にバレるのではないか・・?しかし、ここは三谷を信じるしかない。長谷部は音が遠ざかったことを確認して、ゆっくりとロッカーから脱出し、恐る恐る控室を後にするのであった。
 ドアの向こう側は、蛍光灯がぼんやりと照らす廊下になっており、右と左に分かれていた。右に進もうとした長谷部だったが、数歩進んだところに、【この先関係者以外立ち入り禁止】の張り紙が目に入り、すぐにUターンすることにした。きっと三谷は関係者になったのだ(プロレスの)。
「俺はプロレスを見に来たんじゃねえっての。」
長谷部はそう呟きながらも、観客席へと繋がる道を探していた。何とかして三谷の正体がバレないように救い出さねばいけない。長谷部にできる事なんて知れているようなものではあったが、今更放っておけるわけなどなかったのだ。慎重に廊下を歩いていると、心臓が爆発しそうであった。独りがここまで心細いとは・・。久しぶりに味わった感覚である。
曲がりくねったりしつつ、しばらく歩くと、長谷部は下へと続く階段を見つけた。階段の部分から先は、壁の色も黒くなり、壁や床の素材も、金属のような物へと変わっていった。1階分は降りただろうか。足音がやけに響くのに気を付けながら、長谷部はようやく階段の終わりにある、鉄製の扉までたどり着いた。振り返ると、思ったより階段を照らす照明は弱く、暗くなっている。取っ手を掴み、慎重に引こうとするが・・・びくともしない。
「ここまで来て行き止まりかよー・・。」
長谷部はため息をついてそのドアにもたれかかった、すると・・、
「・・うおぉっ!」
なんとこの扉、PULLではなくPUSHだったのだ。こんな簡単なことに気がつかない程、このときの長谷部は緊張していたのかもしれない。それはともかく、もたれかかった長谷部は勢いよく、そのまま扉の向こう側へと飛びこんでしまったのであった。
「いってー・・・え・・・?」
鉄の扉をくぐると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「これは・・・うそだろ・・・?」
長谷部は、開いた口が塞がらず、ボーっと、しばらく何も考えることなく、この景色を眺めていた。
吹き抜けになっている高い天井に掛かるシャンデリアが照らす、熱気のこもった異次元の世界。長谷部のいるのは、ひな壇のようになっている最上部だった。この角度からは全てが見下ろせる。
目の前にズラリと立ち並ぶスロット台の数々、下の広大なフィールドでは、緑色の長方形の机でカードを配る男の姿に、葉巻をくわえたスーツの男達までくっきりと見える。ガヤガヤと騒がしい中にも、パチンコ屋のそれとは全く違う品のある圧倒的な空気感。全てが輝いて見える夢の世界。間違いない、今ここに確信した。これが、これこそが・・命がけで探し求めていた『ジェスコ』なのである。
 あの日の岡よ、聞こえるか・・?10年経ってようやくだ、やっと富士の樹海に到着したよ。

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