◇記憶で一番古い本

人生で初めて読んだ本って何だっただろう。
ふと思い立ち、記憶を辿ってみました。たぶん、保育園で教材として使われていた、ことわざの絵本です。
わたしは家でも、それを熱心に読んでいました。鬼のイラストとともに、「おにのめにもなみだ」と書かれた裏表紙をよく覚えている。
他にも保育園にあった本、家にあった本を読んでいた記憶はあるので、小さなころから本が好きだったんだと思います。

おそらく、わたしは「言葉」に強く関心を覚えていたんでしょう。
小学二、三年生のころでしょうか。教室の本棚にことわざ・慣用句に関する漫画本がありました。一ページにひとつずつ、エピソードとともに語句と意味を紹介してあるというもの。それを、休み時間にノートに書き写していました。
なにか興味を引く言葉や事柄があれば、図書室に飛んでいって辞書や百科事典を開いていました。「ヘモグロビン」と「ヘモシアニン」は何が違うのかとか。それも、ノートに記していた。

小説を書き始めた小学六年生の頃には、家の国語辞典の出番が急激に増えました。知らない言葉に出会って引くのとはまた違い、使おうとしている言葉が適切なのか、他に言い方はあるのか、調べていたんだと思います。漢和辞典を眺める機会も増えました。読んでいた、と言ってもいい。

中学生になり自分専用の辞書を手に入れると、いよいよ没頭していきました。ある言葉を引いたら、その見開きの中で気になった言葉をノートにメモする。「~主義」という言葉を、頭から順番に拾っていったこともあります。適当にページを開いて、読むこともあった。
当時の辞書はいまも持っていますが、くっきり手垢が残っていますし、ケースはもう紙がぼろぼろで、いかに使っていたかが伺えます。

現在もっとも引く辞書は、じつは類語辞典です。自分が抱く感覚を言葉にするとき、意味の似通った言葉群のなかから、できるだけ適切なものを選びたい。そういう気持ちがある。
完璧に言い表せる言葉が見つかるとは、もちろん思っていません。どれもそぐわない気がして、長いこと迷っていることもある。けれど、言葉を選ぶその行為こそが、わたしにとっては感覚の輪郭を浮かび上がらせ、切り出していくことに等しく、とても重要なのです。

幼いころから本を読み、いつしか自分でも書くようになり。だから、わたしは小説や物語が好きなのだと、ずっと思っていた。でも近ごろになって思うのは、何より関心があり、好きであり続けたのは、言葉そのものなのかもしれなかった、ということ。
きっとこれからもそうでしょう。わたしは言葉を、愛し続けていく。