◇「創るひと」

創るひとを、眺めているのが好きです。
わたしは「クリエイター」よりも「創るひと」という表現を好むのですが、おそらく前者には職業的な意味合いを強く感じてしまうから。それを否定的に見ているのではありません。後者のほうが、自分にとってはより適切だというだけなんです。

わたしが言う「創るひと」には、もちろん職業としているひとたちも当てはまります。でもそれだけではない。まだプロを目指している身だというひとも、同人活動として行っているひとも、趣味の範囲だというひとも、何もかもひっくるめているんです。
それで対価や報酬を得ているか、経験がどれほどか、実績や評価は……なんていうものは、関係ない。

創ることと向き合っているのならば、みんな「創るひと」。

たとえ、まだ完成した作品がなかったとしても。
いま着手しているものがあったり、これから取り組もうと思案し構想を練っている状態にあるならば、わたしは彼らを「創るひと」に含めるでしょう。
その道を歩み始めたひとなんですから。

たぶん、わたしは過程にものすごく関心があります。
どうやってストーリーを組み立てるかとか、いかにして色を塗るかといった作業工程に興味を抱いている。完成形には殆ど見出せなくなった要素とか、ボツにした案とかも作品の大切な一部として愛でたりする。「創るひと」が何を考え、どんな像を頭に描き、いかな想いを抱いていたのかに触れると、胸がじんわりとする。

「創るひと」を眺めていたい。それは彼らが創るもの、創ることそのものに向き合う姿に、惹かれるがゆえの気持ちなのでしょう。また、彼らがどんな世界に触れ、何を取り込み、どのように噛み砕いて、いかに消化し、どういったものを生み出すのかを、見ていたいという思いもある。

ここまで「クリエイター」ではなく「創るひと」という表現にこだわり、文章を紡いできました。わたしは別に、プロが踏む手順を知りたいとか、傑作が生まれる過程を見たいというわけではないのです。ただ、創ることに向き合う様々なひとたちの姿を眺めていたい。
だから、より幅広いニュアンスの「創るひと」という言葉を用いた。

世の中には分野も形態もさまざまな、たくさんの「創るひと」が存在しています。その中で出会うのはごく一部、わずかな数に過ぎないでしょう。
だからこそ、わたしは出会えた「創るひと」たちを大切にしたい。そして出会えなかった「創るひと」たちにも、大切にしてくれる誰かがいてほしいと思います。