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7月の感想

「夜中の散歩、まひるの散歩、月夜の散歩、晴れの日の散歩/角田光代」
日常をここまで事細かに振り返り、時に面白く時にしんみりとさせてくれるエッセイに巡り会うことは貴重であると感じるシリーズ。

物事の優先度、角田先生がランニングとボクシングを続けている理由、食べることについて、トトちゃんへの愛始め、綴られていることに思わず、「わかるわかる!」という同感、「ああ、痛い…」という同感、「なるほど。そういう考えもあるのか」という共感をしたり、思わず吹き出してしまったり、「果たして自分はどうであろうか」と考えさせてくれる。

角田先生のオレンジページへの感謝が溢れている部分に気持ちが温かくなった。


「絵本 字のないはがき/作:角田光代 絵:西加奈子 原作:向田邦子」
「バケモンの涙/歌川たいじ」

向田和子さん監修の元、角田先生、西先生が向田邦子さんの意思を継いで生まれた絵本であるように感じた。

バケモンの涙は戦争の恐ろしさ、禍々しさだけではなく、「自分らしさ」とは何かと問いかける作品であると感じた。

戦後76年となる今年も戦争の恐ろしさ、禍々しさは飢餓、空襲、殺戮、扇動といったものだけではない。それらによって引き起こされることは何かを考える。

「文庫版 働く男/星野源」
当時の自分を否定することはなく受け入れ、当時の自分がいたからこそ今があり、当時から今へ活かせることは何かを問いかけてるエッセイと感じた。

「急須」は、唯一無二と思っていたものが万物であったことに情けなく悔しい気持ちを思う妻、それを滑稽に思えた夫、夫にとっての日常の幸せを綴る小説で、面白かった。


「ビブリオ・ファンタジア アリスのうさぎ/斉藤洋・作  森泉岳土・絵」
図書館を舞台に出会った人物から語られる不思議な出来事に引き込まれた。
斉藤洋先生の作品は幼少期、児童期、青年期を問わず不思議な世界へのわくわくを感じる。


「空前絶後の保護猫ライフ!池崎の家編/サンシャイン池崎」
「ノラや/内田百閒先生」「ねこと田中/バクモン田中さん」「今日も1日きみを見ていた/角田光代先生」に続く個人的ねこ本となった。

猫のかわいさ、猫がいる幸せ、池崎さんにとっての猫を綴るだけでなく、動物と暮らすということがどういうことのなのか、その責任の重さをひしひしと感じた。

個人的にふうちゃんらいちゃんを迎える当日にいらしたある人物のエピソードがツボであった。

「怒り/吉田修一」
信じる疑うは他人だけでなく己にも向けるものだと改めて肝に銘じる。

そして信疑は視界を眩ませるものでもあると感じさせる作品であった。

愛子の歪みに恐怖を感じつつも不思議と惹かれる。

優馬と直人の関係はとても儚く美しいものである一方、前記の事柄がより突き刺さるものであった。


「黒いマヨネーズ/吉田敬(ブラックマヨネーズ)」
ORANGE RANGEのHIROKIさんのツイートを機に拝読。

世論を語っているわけでも、己が正義であることは一切感じさせない、いやそもそもそういうことを一切持っていないからこそ語れるのが吉田さんのスキルなのだろうと考える。

世は常に変化しているという至極当たり前のことを綴る本であった。

「カインは言わなかった/芦沢央」
殺人ミステリーかと思いきや己の全てと思うものに溺れ踠き、それに追い討ちをかけられること、その姿を見る第二者の視線の物語であった。

己の本性と向き合う苦痛、自己憐憫の要因がわかっていながらも解放することができないもしくは気付かない無慈悲さを表していたと感じた。

物語の題材、背景となる参考文献を見て、この作品を生み出した作者の力に感嘆の唸りが思わず上がった。


「私たちには物語がある/角田光代」
角田先生にとっての読書に同感すること多々ありで、世の中には読書好きが沢山いらっしゃる嬉しさを感じた。

「これは読書感想文です」と角田さんは本書について説明されているが、解説や書評を越えた解体新書だと思ってしまった。 

1冊を世相、心理のみならず、主観、客観、ご自身の記憶の断片、過去のご自身を省察しながら述べたりと様々な視点で解体されていた。

それは元来の読書好きに加えて、学生時代に受けた衝撃、初の受賞の時に受けたあるセンテンスに衝撃を受けたことがバックボーンであったこと、それを読んだ時「己はどうか」「読書のみだけでなくすべてのことにおいて言えることである」と井の中の蛙、もしくはそれになりかけている、とぴしゃりときた感覚になった。

「面白くない本は面白くないところご面白い」「面白くないと思った本が時間が経つと面白くなる」その視野の広さに圧巻である。

「私たちには物語がある」読み終えた後、このタイトルが心に沁み、本が好きでよかったと思える1冊。


「しあわせのねだん/角田光代」
家計簿をつける習慣があると散歩シリーズで綴られていた角田先生。
「角田先生の家計簿をより知りたい」と手に取る。

年々「節約」「○年で○○万円貯める」「お金が貯まる家計簿、ポーチ」「お金の豊かさと心の豊かさは何が違いどちらが幸せか」と言った書籍が多々あるが、個人的におづまりこさんのおひとりさまの年収200万生活に続いて、腑に落ちるお金との付き合い方の本であった。

ただ貯めればいい、節約すればいい、かといって湯水のように使うのは如何なものか。

高い買い物=大事にする、ものなのか。

お金の使い方に疑問が生まれた時、今の使い方でいいのかと不安になった時、本書を読み返すと忘れていたことを思い出せるであろう。


「本屋さんで待ち合わせ/三浦しをん」
面白い。

この一言に尽きた。三浦先生の本への愛が凝縮されている。

ここまで笑わせてくれるかと思うこともあれば、真摯な感想に胸が迫ることもある。

角田先生の「私たちには〜」を読了後に拝読して、「やっぱり本が好きでよかった」と感じる1冊。


「煙と蜜/長蔵ヒロコ」
舞台は大正5年の名古屋。ここでまず飛びついた。

姫子さんと文治さんのやりとりに萌えを感じ、12歳の姫子さんを子ども扱いすることなく、大人として接することもない、1人の人として接する文治さんの寛容さは大人の礼儀であることを感じる。

姫子さんのかわいらしさ、龍子さん、月子さん星子さん、こま子さんの女中さんたちの逞しさ、姫子さんを慮る気持ちに微笑ましさ、温かさを感じ、展開は未知であるが、この後の戦乱に巻き込まれてしまうかもしれないと思うと胸が締め付けられ、逃れられぬことであっても行く末はどうか幸せであってほしいと我儘に願ってしまう。

文治さんの食べ方が綺麗であるこも、自身の地位に甘んずることなく部下、同僚と接する人柄、上記の大人の礼儀、そして渋く粋な容姿と精神にただ嫉妬と僻みしかないのである。

まだ1巻しか読んでおらず、すぐ続き読みたいのだが読んだらまた次が気になって仕方なくなり悶々とするためじっくり読んでいきたい。

「陰日向に咲く/劇団ひとり」
そういえば読了していなかったなと数十年ぶりに手に取る。

読了後はタイトルの通り、日の目を浴びず過ごす人物たちの孤独、羨望、願い、それを追い求め過ごす人物たちに自分の背中を押してみようと思った。

「誘拐逃避行 少女連れ去り」事件/河合香織」
角田光代先生の「私たちには物語がある」を機に知り読んだ。

両親から見捨てられ家族の虐待から逃げる少女とそれを救いたいと手を差し伸べる孤独な男の逃避行の予想が覆った。

繰り返される加虐と被虐を解決する策とは何か。

孤独に蝕まれ、寂しさを埋め合したいがために他者に精神安定剤の役割を求め依存すること、負の境遇、負の連鎖の原因は他人や社会と言い切ること、いわば被害者面する恐怖。これらは他人事ではないのだ。

「自分は大丈夫」とは思ってはならない。いつの時代、誰にでも起こりうる恐怖であることを忘れてはならないことを再度認識し、その恐怖に飲み込まれる感覚を思い出すたび背筋が寒くなった。

そしてそれらから逃避する力を自ら作ることの強さとは何かを考える。

このことを喚起してくれる著者の取材力、精鋭な観察力に圧巻される1冊であった。

「うりずん/吉田修一:文 佐内正史:写真」
「女たちは二度遊ぶ/吉田修一」

この2冊で綴られる記憶は「あんなことがあって厭な思いをした」「楽しかった」「あの時はよかった」という引きずるような事柄、所謂思い出ではなかった。

「そういえば、こんなことがあった」「あんな人がいたな」

ある風景や動作によって断片が浮かび上がり、記憶を懐かしむのではなくただ俯瞰するという表現。

思い出は主観、記憶は客観、ということであろうかと考えるきっかけとなる作品であった。

「ブラックウィドウ」
待っていました単独映画!!

と情報を得た瞬間心中で叫んだ。

単に「家族っていいよ。いるとハッピーだよ」なんて薄っぺらいメッセージではない。

ナターシャにとって、エリーナにとって、メレーナにとって、アレクセイにとって、家族とは何なのか。

家族とはを考える一作であった。

全然ストーリーとは関係ないが、直訳すれば「教えて」は「どうしてそう思えるの?」と訳せるのかあと、小中学生のような感想も抱いていた。

「ヴェノム」
ヴェノムがひたすらかわいい。爽快なアクションはさすがマーベルスタジオとなる。

「竜とそばかすの姫」
予告を観た際「現代版美女と野獣かあ。インスピレーションの高さはこうなるのか、そして予想はつく結末をどうもっていくのだろう」とよくわからないことを感じていた。

誰でも秘密はある。それは利己欲を守るためだったり、コンプレックスを隠すためであったり、誰かを守るためであったり。

前日岡野昭仁さんがご自身の歌声を分析する動画にて、岡野昭仁さんにとって歌うこととは何かを観たばかりだったので、すずちゃんにとって歌うこととは何かを垣間見れて面白かった。

細田監督作品はSNSを利用する上での警鐘、児童問題も関わっているから社会学的に観ても面白いのではないかと思う。

観ていくうちに安藤俊介氏著の「あなたのまわりの怒っている人図鑑」の内容もリンクしてしまい、そのことに心中で笑ってしまった。

「劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス」
タイガーーー!!!と思わず叫んでしまう。

ニュージェネの集大成の映画であった。ヒロユキ始めイージスメンバー、フーマ、タイタスと接して成長したタイガにグッとくるものがある。

個人的にカナちゃん、ピリカちゃん、フーマ、タイタスがウルトラマンタイガの推しである。

「劇場版 七つの大罪」
所々思わず微笑ましくて笑ってしまう場面も散りばめられ、これぞ少年漫画のアクションだ!という場面も盛りだくさんである。

登場人物が皆かわいい。中でもバンとジェリコは特別にかわいく思っている。

観賞後、「その先の光へ」を聴くと心に沁みるものがある。

「その先の光へ/岡野昭仁  作詞:スガシカオ 作曲:澤野弘之」

ミュージシャンとして、岡野昭仁として、歌えていること、存在していること、慕い尊敬してやまない人々と繋がりを持つ嬉しさを噛み締めている昭仁さんの姿が浮かんで涙がこぼれそうなる。これがこの後ポルノグラフィティに、昭仁さんにどう表れていくのかがとても楽しみになる1曲であった。

ふと10数年前に「落ち込んだ時はとことん暗い曲聴いて落ち込む」とすがスガさんが話していたことを思い出す。昨今以前に落ち込む何かある度この言葉を思い出す。実に深くて素敵な言葉とつくづく感じる。

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