ポルノグラフィティの美しい歌詞10選(完全版)

昨年の夏、「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選」というタイトルでnoteを書き始めたのですが、前半で力尽き、いつか書こうと思っていた後半を置き去りにしたままほとんど1年が経過してしまいました。
なんともう、初夏です。また今年も渚には新しいナンバー溢れていくよ。


……というわけで、大変遅くなりましたが、後半の5選を含めた「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選(完全版)」です。


80年代後半~ゼロ年代生まれの人たちは基本的に、GTOのオープニングやらポカリのCMやらコナンの映画やら、好むと好まざるとに関わらずどこかしらでポルノグラフィティの楽曲に触れて育ってきたはずです。最近あんまり聴いてないな、という人も、なんなら昨日アミューズフェス行ってきたよという人にとっても、この記事がポルノの魅力を再確認するきっかけになってくれたらこんなに嬉しいことはありません。

筆者は10数年ポルノグラフィティを追いかけてきましたが、あくまでいちファンのライターです。独断と偏見が大いに含まれていることをご了承の上、お読みいただけたら、と思います。
では「10選」、どうぞ!


◇◇◇


1. “冷たい水をください できたら愛してください” 
-アゲハ蝶

最初からそれかよ、と思った方もいるでしょう。「ポルノグラフィティの歌詞で印象的なフレーズを教えてください」というアンケートを1億人にとったら、おそらくこれが1位になるんじゃなかろうか。
そのくらい有名な、ポルノの歌詞を代表する黄金の1行がこの『アゲハ蝶』(2001年)のラストだ。

初期のポルノのほとんどの曲の歌詞を書いているギタリストの新藤晴一は、複数のインタビューの中でアゲハ蝶の詞を「書き直したい」と話している。
彼は、自分の書いた歌詞にOKを出す基準を一度たりとも「下げたり、変えたりしたことはない」と公言しながらも、やはり昔の曲は拙く思えるのか、「(アゲハ蝶は)技巧に走りすぎている」としばしば言う。

たしかに、“憂いを帯びたブルー”“夜の果てに似ている漆黒の羽”なんてフレーズは、いまの彼の口からは間違いなく出てこない、青臭くて過剰な表現だ。


“あなたに逢えた それだけでよかった 
世界に光が満ちた 
夢で逢えるだけでよかったのに 
愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた”

けれど、私はやっぱり『アゲハ蝶』にはこの歌詞しかない、この歌詞以外は考えられないと思ってしまう。

ポルノの歌詞は言葉数が多いのが特徴だけれど、『アゲハ蝶』も例外ではない。冒頭に挙げた“冷たい水をください”のフレーズは曲の最後、転調後に表れる。ブレスなしで畳みかけるようなボーカル・岡野昭仁の歌い方と相まって、聴いているこちらまで息が苦しくなるみたいだ。 


歌人の佐藤真由美さんの短歌に、

今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて

というのがある。用法的には『アゲハ蝶』とこの短歌はほぼ同じで、日常的な要求のあとに突如「え?」と思うような要求を連ねるというもの。
並列するふたつの願いのうち前者があまりに無邪気なので、その直後に突きつけられる「別れて」のあまりの切実さに、受け手であるこちらはハッとさせられてしまう。

『アゲハ蝶』では、“荒野”“夏の夜”“旅人”といった渇いたイメージの連続のあとに、“冷たい水”が突如乞われる。
ここまでは想定通りなのに、最後の最後になって「できたら愛してください」というひと言が、思わず口から零れてしまったかのように飛び出すのだ。この飛躍は鮮やかとしか言いようがない。


2. “最初からハッピーエンドの映画なんて 3分あれば終わっちゃうだろう?”
-Century Lovers

ポルノの最初のベストアルバムである『BEST RED'S』(赤リンゴ盤)にも収録されている、言わずと知れたアッパーチューン『Century Lovers』
ライヴでは「Everybody say…」の煽りに合わせてお客さんが「Fu-Fu!」と叫ぶ、定番のC&Rソング。

オリジナルは2000年発売のファーストアルバムに収録されている。当時のポルノはまだまだとんがっていて「トーキョーで売れてやるぜ!」感満載だったので、歌詞もいま読むとちょっと笑ってしまうくらい、かなり「狙って」いる。 


“Everybody! ニュースが騒ぐ 地球はもうヤバい 
‘1999’まで数えた計算好きに Good-bye
Hi! Everybody! 街に行ったかい? インチキ恋愛ゲーム 
そうカンぐりたくもなるんだ 甘く見んなよ!永遠のテーマを”

……出だしからこれなんだからすごいです。キャッチー、を辞書で引いたら出てきそうなリリックだ。

当時のポルノの歌詞には「おいヒットソング、愛をなめてんじゃねーよ」的フレーズが頻発する。同じく2000年発売のセカンドシングル『ヒトリノ夜』も、

“100万人のために唄われたラブソングなんかに 僕はカンタンに想いを重ねたりはしない”

という強烈な1行で始まる。

上に挙げた『Century Lovers』の歌詞は、すべてがパンチラインのようなこの曲の歌詞の中でも特にキザで格好いい。

ポルノの(特に初期の)詞世界においては「チープな愛」と「本当の愛」はまったくの別物で、だからこそ「君」だけは、“オリジナルラブを貫いて”と呼びかけられる。
“最初からハッピーエンドの映画”という言葉は、安易に愛を歌うヒットソングをも皮肉っているよう。とにかく始めから終わりまで、ポルノの若さを堪能できる歌詞だ。


3. “小さく紙に落としたピリオドから 愛した人よ そこに残した想いを見つけて” ーLove too,Death too

シングル『Love too,Death too』(2008年)より。

ポルノのラブソングを語る上で欠かせない要素のひとつに、「自己犠牲」がある。
分かりやすいフレーズをいくつか挙げると、

“雷がまさに君を貫こうと唸ってるなら 切り立ったビルに僕が登ってその的になろう”
“ほんの少し勇気が必要な時には いつだって君のほんの少しになろう”
ーこの胸を、愛を射よ
“あなたが望むのなら この身など いつでも差し出していい 降り注ぐ火の粉の盾になろう”
ーアゲハ蝶

……など。ポルノが歌う愛はいつでも、盲目的なまでに献身的で力強い。「あなたのためなら命も捨てる」と言わんばかりの一心不乱さは、部分的に切りとって見るとやや演歌チックなのだけれど、そのあとに続く歌詞がむしろすごくポルノらしいのだ。 


“ただそこに一握り残った僕の想いを すくい上げて心の隅において” 
ーアゲハ蝶

愛する人のために自分の身を捧げる覚悟があるなら、本当は“僕の想いを すくい上げて心の隅において”とは言っちゃいけない。

けれど、ポルノの詞の主人公は、「あなた」に愛される(かもしれない)対象である「自分」も、完全には捨てきれないのだ。
そんな自己犠牲とエゴイズムのせめぎ合いが、彼らの歌詞の中には素直に表れる(考えてみると作詞者の新藤晴一はこの相反する2つの感情(理想/エゴ)を『ロマンチスト・エゴイスト』と名づけてファーストアルバムのタイトルにしてしまっているのだからすごい)。


「10選」に入れたフレーズは、“小さく紙に落としたピリオド”から愛を見つけてほしいというのがあまりにいじらしく、美しくて、選ばないわけにはいかなかった。


4.“だって知っている言葉はほんのちょっとで 感じれることはそれよりも多くて 無理やり 窮屈な服 着せてるみたい”
ーパレット

『パレット』は2002年のアルバム『雲をも掴む民』で発表され、のちに2004年のベスト(青リンゴ盤)にも収録された。だからか、アルバム曲なのにやけに知名度が高い。しかしこれは本当に掛け値なしの名曲です。


……話はすこし飛ぶけれど、フランスの詩人・シュペルヴィエルに『場所を与える』という詩がある。 

“君はちょっと消えて、風景に場所を与えたまえ。(中略)人間がいなくなれば、さぼてんはまた植物に戻るだろう。君を逃れようとする根本に、何も見てはいけない。眼も閉じたまえ。草を君の夢の外に生えさせたまえ。”

高貴で美しい詩だ。“草を君の夢の外に生えさせたまえ”なんてフレーズにはくらくらしてしまう。
ここに書かれているのは、意訳すれば「風景はきみなしでも成り立ってるってことを認めるべきだぜ」ということだと思う。

自然や芸術など、なにか圧倒的なものを前にしたときに、それを無理に言葉にしようとするのは野暮な行為だ。だからこそ『パレット』の詞は、「自然に介入すること」「表現すること」に潔く白旗を上げる。

“パレットの上の青色じゃとても 描けそうにないこの晴れた空を ただちゃんと見つめていて ありのままがいい”

サビの歌詞は、言うなればやさしい哲学だ。曲の終わり、アウトロでは「ラララ…」という晴れやかなスキャットが続く。「こんなに“ラララ”って歌詞が似合う曲ないよね」とかつて友人が話していたことがあるのだけれど、「意味」から離れた場所にあっても音楽はかくも美しい、ということを証明してくれるような曲だと思う。


5. “君主演映画のシナリオライターが そんなに手を抜いた物語を描くようなら クビにしてしまえ”
ーA New Day

『A New Day』は2枚目のベストアルバム『BEST ACE』(2008年)に収録されている。あんまり派手ではないけれど、大好きな曲のひとつ。

自分の人生の主役は自分でしかありえない、というのは、新藤晴一が書く歌詞の一貫したテーマだ。

“不完全なこの世界を誰かが 描き足してくれるなんてない”(『瞬く星の下で』)や、“明日に架かる橋はもろくも崩れそうで 今行かなくちゃ 駆け抜けなくちゃ”(『ギフト』)のような、「自分の世界を自分で美しくしなくてどうする、気づいてるならいますぐ踏み出せよ」というアグレッシブなメッセージはとても彼らしい。

……アグレッシブだけれど、晴一は歌詞の中で「キミの未来は明るいよ」と無責任に歌いあげることは絶対にしない。彼の詞はただ、「いま、この世界」から逃げることを力強く容認する。

上に挙げた『A New Day』の歌詞もそうだし、“ペダルを漕ぐ速度に景色はついてこれずに いらないものを過去へと置いてく”(『Stand Alone』)なんてフレーズも、現状の肯定ではなく美しい“逃げ”の姿勢だ。

応援歌には、「前に進む」ことを歌うものと、「過去を切り離す」ことを歌うもののふたつがあるとして、ポルノの(特に晴一の)歌詞はいつでも後者だ。だからこそ美しいと思ってしまう。


6. “君の形 僕の形 重ねてはみ出したものを 
わかり合う事をきっと 愛とか恋と呼ぶはずなのに” 
ー夕陽と星空と僕

ここにきて、初めてボーカル・岡野昭仁作詞の歌詞を挙げます(すみません)。
昭仁は基本的にシンプルな言葉で詞を書く人なのに、突如「!」というフレーズが飛び出るので目が離せない。

晴一の歌詞、特にラブソングには「こんなに愛しているのに」というナルシシズムが感じられるのに対して、昭仁の歌詞の「愛」はもうすこし等身大だ。
たとえば“僕は自分に偽りないと誓えるだろうか?”とは、昭仁じゃなきゃおそらく書かない。 

『夕陽と星空と僕』(2003年)は、『愛が呼ぶほうへ』のカップリング曲。ファン投票で1位に選ばれたこともある壮大なバラードで、歌詞も切なく、美しい。

特にサビが白眉だ。“愛とか恋”について、“君の形 僕の形 重ねてはみ出したものを わかり合うこと”だと、さらりと詩的に定義してしまう。「誤解」や「すれ違い」といった月並みな言葉ではなく、愛や恋を文字通り、かたちあるものに例えてしまうセンスは凄まじい。


7. “もっと裸でタブーを泳ごう 
知らない君の奥深くを 体でわかりあいましょう 
声にならない声が今 何よりもおしゃべり” 
ーまほろば○△

ポルノグラフィティ、というバンド名に恥じず(その由来は決してエッチなものではないけれど)、ポルノは官能的な歌詞も巧い。

『まほろば○△』(2004年)は、渋谷区円山(○△)町でのワンナイトラブを歌った曲。ポルノでは珍しいくらいの低音から入る“まほろばのピンヒール 直接な口づけが cock-a-hoop”なんてフレーズにもう、出だしからやられてしまう。

ポルノにはエロティックな歌詞も少なくない。けれど、情事を歌っても、妖艶なのに決して下品にならないのが凄いところ。たとえば、『まほろば○△』の2番には、 

“広いベッドの下で君は飛ぶと叫んだ後 
のけぞり僕の上でどこまでも淫ら落ちるという 
所詮知らない名前を呼ぶこともできはしない 
大夜会 未明の渋谷 風のないこの坂の上”


などと、かなりダイレクトに情事を描写している歌詞が出てくる(“ベッドの下”、“僕の上”、“淫ら落ちる”と視点が上下に次々と移動するのもとても鮮やか)。

……にも関わらず、いやらしい生々しさを感じないのは、ベッドシーンにおいて必要以上に具体的な、「エロい」言葉を意図して使っていないからだ。


“抱く”、“抱かれる”に代表されるような、ダイレクトな「エロい」語彙自体がポルノの詞世界にないのか、と言うと、実はそうではない。

たとえば『ヒトリノ夜』では“思い出だけ心の性感帯 感じちゃうね…”と迷いもなく歌い上げているし、『瞳の奥をのぞかせて』では“いけない時間は甘噛みのように 淡い赤色 消えない痕を残して”と、許されない時間を“甘噛み”に喩えてしまう。

それでも、ベッドの上での行為そのものを描くときは、スッと一歩「引いて」描写する。“ふたりで夜に漕ぎ出しても 夜明けの頃にはひとり置き去り”なんていう風に。

『まほろば○△』は特に、新藤晴一という作詞家の手腕が余すところなく発揮されていて、惚れ惚れとしてしまう1曲だ。


8.  “君の前では何故こうも ただの男になるんだろうね” 
ー黄昏ロマンス


『黄昏ロマンス』(2004年)の出だしの1行。これについて私から言えることはもう、ない。ただただ「ずるい」歌詞だと思う。

晴一の歌詞にはしばしば“男だから”という理由で格好つける主人公が登場する。古臭いと分かっていて、そんな自分に酔っている。

本当にずるい。嫌えないじゃないか、ばかにしやがって。好きな人に好きと言うだけで何故こんなにも大変なのだろう……。


9. “一輪として名も無い花などなくて 
色とりどりの名前に誇らしく咲く 
星だって鳥だって たとえ僕が知らなくても 
恋だって そう あなたが気付かなくても” 
ーLove too,Death too 

シングル『Love too,Death too』(2008年)より。

名前のないもの(時には概念)に「名前をつける」というのも、ポルノの歌詞の特徴的なモチーフだ。

“My name is love”(『愛が呼ぶほうへ』)、“音楽や絵画にあるように 過ぎてゆく日々ひとつひとつにささやかな題名をつけて見送ってあげたい”(『オー! リバル』)といった歌詞に見られるように、本来ならば見過ごされる感情や気分が丁寧にすくいとられ、「名づけ」られることで、初めてそこに存在するものになる。


晴一はかつて、2006年発表のエッセイ『自宅にて』の中で、歌詞や文章を書く理由について、こんな風に綴っている。

“確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うからです”

まるで「自分」と「自分の心」は別物であるかのような言い方だ。この感覚は歌詞にも色濃く表れていて、彼の詞の中ではしばしば「恋心」が自分には制御できない、意思を持った生き物のように描かれる。


“私は私と、はぐれる訳にはいかないから 
いつかまた逢いましょう。その日までサヨナラ恋心よ” 
“あなたのそばでは、永遠を確かに感じたから 
夜空を焦がして、私は生きたわ恋心と” ーサウダージ
“ねえ君 見てごらん これが僕のハートだ 
赤く腫れてるのがそこからでもわかるかい?” 
ーハート

恋というどこまでもエゴイスティックな感情を、時に離人症のひとのように、自分とは切り離された出来事として描写してしまう。

それは「恋」が、あまりに痛みを伴う辛いものであるからに他ならない。その結果、聞き手は「切ない」「悲しい」と主人公に言われるよりもずっと切実なものとして、「恋心」の独白に耳を傾けてしまう。

「10選」に入れた『Love too,Death too』のフレーズは、花や星、鳥のひとつひとつに「名前がある」、つまりそこに存在していることを説きながら、“恋だって そう あなたが気付かなくても”と、あなたに対する「恋心」もまたたしかに存在しているのだとほのめかす。
片思いを表現するのに、「僕」を主語にしない。叙景詩的な描き方だからこそ、この詞は美しくて、切ない。


10. “そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ” 
ー愛が呼ぶほうへ

『愛が呼ぶほうへ』(2003年)より。

この曲について、歌詞については言いたいことがたくさんあるのだけれど、言葉を尽くそうとすればするほど嫌になってくる。そのくらい、“永遠で一瞬で君にとってのすべてだ”というフレーズは、たった1行であらゆることを語り尽くしてしまっている。


ポルノの歌詞における「時間」の概念については、おそらく『ハネウマライダー』のこの部分が分かりやすい。

“僕たちは、自分の時間を動かす歯車を持っていて、それは一人でいるなら勝手な速度で廻る。
他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、歯車が噛みあって時間を刻む。” 
ーハネウマライダー

つまり、「僕」の時間と、「君と僕」の時間は別物なのだ。

その上で、上に挙げた『愛が呼ぶほうへ』の歌詞の中で印象的な“永遠”というフレーズが出てくる歌詞を、他にも探してみる。


“いつからか時間が意味をなくしていたの 
一秒と千年の間に違いはなくて”
“永遠でなくてもいい 限りある命と 愛しい時が流れて 
小さな泡になって消えてゆく瞬間 それさえ愛したい” 
ーグラヴィティ 
“僕が“永遠”を好まないのは 今日の次にある明日を求めるから 
過ぎた時間を重ねた上に乗って やっと届く明日がいい” 
ーMugen
“あなたのそばでは、永遠を確かに感じたから 
夜空を焦がして、私は生きたわ恋心と” 
ーサウダージ

『グラヴィティ』も『Mugen』も『サウダージ』も一見、“永遠”を否定しているかのようだ。けれど、“一秒と千年の間に違いはなくて”という表現からも分かるように、むしろこれらの詞は“一秒”、つまり愛や恋が見せる一瞬の輝きを、最大限に讃美している。


“左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも” 

……というのは、小沢健二の『さよならなんて云えないよ』の中の有名なフレーズだ。
タモリさんはこの部分をかつて「生命の最大の肯定」だと言って褒めたけれど、『愛が呼ぶほうへ』も近しいことを歌っている。

「愛」は多くの場合、恒久的なものではなく“一瞬の泡”のようなものだ。けれど、その一瞬は“誰か”、たとえば“君”といることで初めて、強く光輝く。そして“千年”の時さえ感じさせるものに姿を変える。

そんな「愛」を、ひと言で“永遠で一瞬”と表現してしまう。しかもそれに続くフレーズが、“君にとってのすべてだ”

美しい。もうこれ以上言えることなんてなにもないじゃないか。私たちにできるのは、ただポカンと口を開けて、『愛が呼ぶほうへ』の天国的なストリングスに耳を澄ますことだけだ。

……余談だけれど私は全世界に存在する楽曲の中で『愛が呼ぶほうへ』が最も好きなので、死んだらこの曲を流してください、といまのうちに書き記しておきます。


◇◇◇


というわけで、筆者の考える「ポルノグラフィティの美しい歌詞10選」をお届けしました。

つい新藤晴一さん中心の歌詞論になってしまいましたが(ごめんなさい)、ほんとうは岡野さんの歌詞についてももっともっと語りたいことがたくさんあります。それはまたいずれ文章にすると思います。

『フィルムズ』の1番と2番の使いかたの完璧さだとか、『素敵すぎてしまった』はノーベル歌詞タイトル賞を受賞すべきだとか、あらゆる余談もそのときに譲ります。

独断と偏見にまみれた長文をここまで読んでくださった方には、感謝しかありません。ありがとうございました。


#コラム  #ポルノグラフィティ 

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