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厳かなお寺の香り はじめての浄土真宗

お寺は良い匂いがする。お寺を取り囲む木々の深々とした匂い、伽藍の木の匂い、そしてお香の香り。それらの芳香に包まれると、背筋がすっと伸びる。特別な場所に来たことが自然とわかる。

それにしても、なんでお寺ってお香の香りがするんだろう。少し考えて、変な疑問かもしれないと思った。そもそも香木は仏教とともに日本に伝来したのではなかったか。

わたしは時間はあるけどお金はなかった学生時代、カフェも映画も美術館も行ったけどまだ時間があるよ、もしくはそういうところに行くお金がないよというときはいつも、お寺に行っていた。庭に面した縁側に座って、池の水や庭の木々を眺めていた。今はどうかわからないけれど、その頃の鎌倉にはそういう過ごし方ができるお寺がたくさんあって、ひどい話だけど、ときには気持ちよくて寝てしまうこともあった。

だから、お寺という空間は好きなのだが、信仰の話になるとよくわからないし、なんとなく構えてしまう。宗教的儀礼と香木が結びついていると思うと、香りに対してもちょっと身構える。襟を正すのは悪いことではないだろうけど、簡単には触れられないものだね、となる。それが奈良時代に輸入された他の文化同様、平安以降は日本独自のものとして進化していきます、と聞くと、親しめる可能性を感じる。でも源流への興味もまたあったりして、そこらへんでウロウロしている。


富山は浄土真宗の盛んな土地で、街を歩いていると、黒光りする立派な瓦屋根の伽藍をよく目にする。近年は信徒さんも高齢化しているというが、地場産業に関わる取材をしていると、常に背景や精神性の部分に浄土真宗が関わっていることを感じる。

構えてしまうけれど、避けては通れない。馴染みないからこそ持つ関心もある。浄土真宗についてもっと知りたいな。そんなことを考えていたある週末、高岡の浄土真宗寺院「勝興寺」で催された「ふるこはんフェス」というイベントに家族で出かけた。

「ふるこはんフェス」とは、馴染みある存在ではなくなりつつあるお寺を地域にもっと開こうとの趣旨のもと、お寺と行政と地域の人たちとが協同して考えたものだそうで、坊主cafe&bar、マーケット、念珠づくりWS、音楽法要、ライブといった盛りだくさんなプログラムが展開する。

ちなみに「ふるこはん」というのは、勝興寺の愛称で、奈良時代に大伴家持が勤めた国守(当時の県庁のようなもの)跡に建っていることが由来。古国府さん、ふるこくふさん、ふるこくはん、ふるこはん、といったことだろうか。

入り口に到着すると、ネパールカレーに台湾の胡椒餅、自然農でつくられた食材のたこ焼きなど、興味をそそる食べ物たちのキッチンカーがずらり並ぶ。でも目当ては坊主cafeのブッダボウルなので我慢して、山門をくぐり、本堂横の廊下を目指した。

木工や羊毛フェルトなど様々なクラフトのテントのなかに、作務衣を着た人たちがひしめきあうブースがひとつあった。坊主cafeの受付だ。ブッダボウルを所望すると、少し時間がかかるということで、飲み物だけもらって席についた。

坊主cafeでは定期的に法話が話され、雅楽が演奏される。レジもサーブもお坊さん。せっかくなので、テーブルを拭いているお坊さんに、お寺でつかう香木やお線香はどうやって選んでいるのかきいてみる。

いわく、香木は主に他の道具類と同じように仏具屋さんから買うが、旅行好きの住職がインドに出かけて現地で買うものもあるとか。

そうなのだ、仏教はインドからやってきたのだ。そのことと、侘び寂び、日本文化そのものみたいな寺のイメージとの乖離を面白いと思う。仏教も香りも日本で独自の進化を遂げたことを、発祥地インドの忘却が立証している気がする。

さて、本堂横の廊下に敷かれた座布団に座って、やっとありついたブッダボウルを子どもと食べる。子どもには寺って渋いようなイメージがあるけど、お寺空間は包容力があって、子どもといて居心地がいい。こぼす、危なっかしい、泣きやすい、動き回るなど子どもならではの存在感が場に受け止められていて、安心感がある。すぐに出なきゃ、という気がしない。ファミレスやフードコートはそれはそれで長居したいとは思わないけれど、ここは木が大きくて、通り抜ける風が気持ちよくて、ずっと座っていたいなあと思う。

坊主cafeというか寺cafe、月1で開いてくれたらいいなあ。無責任な願望を抱きつつひとりでちょっと席を離れた。中はどうなっているんだろうと本堂に入ると、ふっと良い香り。静けさ。ここには、子どもと入るのは今日はやめておこうかな。なるほど、香りがひとつの結界になっている。

そのあとはマーケットで買い物したり、散歩したりと過ごししながら、風が冷たくなってきたので帰宅。それから夕飯を作り置いて、鼻水を垂らしている子どもと夫も置いて、再びひとりで家を出た。

ふるこはんフェスの最後にはpredawnという女性シンガーのライブがある。そのライブに行くのだ。鼻水出してなかったら子どもと一緒に来たかった、来年は連れてこれたらいいなど思いながらあらためて本堂に入ると、びっくりする光景が広がっていた。

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広間を埋め尽くす大量の人、人、人。カラフルな衣装をきたお坊さんたちが本堂奥に向かって座り、さらに黒い衣装を着たお坊さんたちがずらりと横並びに座り、音楽に合わせてお経を読み上げている。ありがたさを盛り上げるシンセサイザーの音。節のついたお経をうたうお坊さんたち。と、会場のひとたち。会場のいたるところからお経を読む声があがって、合唱が起きている。

行われているのは、「音楽法要」。

ライブの前にそういうプログラムがあるとは聞いていたけれど、こんなに盛り上がるのだとは正直思っていなかった。昼間もずっと人の流れはあったけれど、これほどではなかった。いったいどこから集まってきたのというくらいの人。この土地に来て、これほど人が密集したのを見たことはなかったかもしれない。

お経を読み上げる10数人はいるだろうお坊さんたちの声も荘厳だけれど、なにより会場との合唱になっているのがすごい。それはここに来ているおそらく近所の人たちがお経をそらんじられているということで、それはきっとお経が日常に染みこんでいるということで、なんだかすごいなあと思う。

ほおおっと圧倒されて座っているうちに音楽法要は終了して、それとともに人もどんどん帰り、 いざライブが始まる頃にはすっかり人が入れ替わって、こじんまりしたちょうど良い人数がいる 程度になっていた。

つまりこのフェスの本丸は「音楽法要」なのだ。お寺といえば、静かで厳かな場所。お寺がライブ会場になって盛り上がることはあるとは思うけれど、本来的な使い方でこんなに盛り上がっているのをみたことはなかった。お寺にこんなに人が集まっているのも。

さらにそこで、香木がものすごく重要な役割を果たしていました。仏教と香木の関係が体感できました。ということだったらなお良かったのだけど、正直、そのときその場がどういう香りがしていたかはよく覚えていない。その結びつきについて、知識としての情報は調べればすぐにわかることだけれど、もっと腑に落ちる、身体に入ってくる体感はまだ訪れていない。

でも仏教について、信仰について、なんとなく抱いているイメージとは違う世界があることを知った。俄然興味が湧いているけれど、しかし浄土真宗も日本で独自に発達した仏教のかたちだから、源流とは離れていくんだろうか。わからない。


【連載】子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山で1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る暮らしと子育ての話。
前回の記事:冬のはじまりは雨上がりの匂い

【著者】籔谷智恵 / www.chieyabutani.com
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。

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