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食べ残しの味

わたしは人の食べ残しを食べるのは得意ではないが、子どもの残したものならば食べられる。たまに子が食べ途中で寝てしまったりして残ったものをひょひょいっと食べる自分に、あー食べられてるーみたいな気分になることがある。

これが夫のだったらどうか。そういえば夫が食べ残したことってないかもしれない。今思い浮かべてみて浮かばなかった。とにかく出されたものは食べ切るポリシーで生きているらしい。

ただ、食べ残しではないが、冷奴にキムチをのせたものを皿を分けないで出して、わたしが他のものを食べている間に夫がそれをどんどんと食べて、皿に残っていたのがきれぎれになった豆腐とキムチだったのが、なんとなく嫌だなと思って、もうわたしはいいから全部食べてと、そういえば先週そうなったことがあった。これがたとえば、ぶつ切りのキュウリの漬物だったら、7割がた食べられた皿の残りを食べるのは嫌ではないと思う。完全体として残っているかどうかの違いなのか。噛み切られたキュウリだったら嫌だ。

これはキュウリやキムチ豆腐自体の味じゃなくて、人の食べた残りっていうイメージが、美味しいかどうか以前の、食べられるかどうかのところに関係していて、おもしろい。どこまで食べられるかは人によって全然違うだろう。わたしはわりと食べられないので、軟弱だなと思う。

前に働いていた会社には社員が昼食を食べるための食堂があった。食堂というか、むかしの家の台所で、そこに長机を3つ並べて、みんなそれぞれ、お弁当や出前などのご飯を食べていた。

ひとり定年後に嘱託で、週に2回だけ来ているおじさんがいた。名前はようじさん(仮)。ようじさんのお弁当はだいたいコンビニで買ったお弁当で、いつもパンやおにぎりをひとつ残して、近くに座っている若手にあげていた。わたしももらうことがあった。なぜくれるのか尋ねると、いつも食べられると思って買って、食べられなくなってしまうのだと言われた。えぇ、とその時は思ったけど、もしかして、誰かにあげようと思って買っていたのだったらステキだが、ほんとうに食べられると思って買って食べられなくなることを延々繰り返していたのだったらそれも凄い。

そのようじさんが、とてもなめらかそうな白っぽいプリンを食べていたことがあった。ほわんとした、いかにも口どけのよさそうな、やわらかそうなプリン。ようじさんは案の定、一口食べてもういいと言って、前に座っていた別のおじさん:タケさん(仮)にそのプリンをあげた。タケさんは一口プリンを食べて、隣に座っていたまた別のおじさん:山本さん(仮)にプリンを渡した。山本さんもプリンを一口食べた。

わたしは山本さんの隣に座って、これはやばいんじゃないかと思っていた。このままだと、白いやわらかプリンが回ってくる。

「食べるけ?」山本さんはごく自然にわたしの前にプリンを差し出した。「いや、や、フフフ、ちょっと無理かもしれないです…フハハ…ごめんなさい…」わたしは堪えきれなくなって大笑いしながら遠慮した。山本さんは、なんで?というキョトンとした顔で、笑っているわたしを不思議そうに見ていた。タケさんは、そうだよな、わかるよ、という顔で笑っていた。ようじさんはもう台所からいなくなって帰っていた。




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