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差別について-1 偏見あり〼

差別って難しい。他の暴力に比べて、とても加害者になりやすい、知らないうちになっている、何ならすでに差別感情、まではいかないかもしれないが何かが起きれば差別に転じる偏見は、わたしもどこかしらに持ってる、と思う。

これはまず人の認知と記憶の構造に関係があるんじゃないか。生まれて、初めの頃はものごとをまるっとそのまま経験して記憶するのが、思春期あたりに記憶の格納方法が変わる。そのあとは、既に持っている記憶との差異で格納してくらしい。

記憶だけじゃなくて、ものの見方自体もそうなるよね。大人になると、相対する人なり事象なりに対して、これまでの経験値に基づく予測なり仮説なりがある状態で接するようになる。そうじゃないと、大人に期待される振る舞いができない。その予測なり仮説なりが偏見になりうる。

その場所にどういう服を着ていくか。Tシャツ短パンか、スーツか、ワンピースか、着物か、登山服か。相手にどういう態度で接するか。敬語か、タメ口か、英語か、身振り手振りか。大人は、その事象と実際に相対する前(ないしその場で)に、予測して服装を選んだり、行程を組んだり、作戦を立てたりしないといけない。

子どもみたいに常におんなじ、では命を落とすかもしれないし、商談に成功しないし、デートの予定も組めない。

経験値と、なければその都度調べることを統合した情報のもと、仮説を組み立てることは日常的にやってることで、その情報が偏れば、導き出される仮説は「偏見」になるんだろう。

満遍なく事象が配置された中立的な人生もありえない。持って生まれた性質と与えられた環境から生きていく日々には何かしらの偏りがある。身の回りの人や育つ社会の影響を大きく受ける。情報を探す場合もどこにアクセスするかはそれまでの経験値が判断させるから、またその人なりの偏りを補強してく。それがその人の個性で、おもしろみでもあって。

偏見はよくない、偏見がなぜ起きるのか、相対化できる知性があっても、良い大学を出て大企業に入って働けば、接する人ってかなり偏る。世に溢れてる情報はほとんどインテリが発信してるから、偏ってることにも気づきにくかったり。

だから偏見を持たないっていうのは、ほぼ無理かなと。わたしは仮説を立てることが好き、茫洋とした事象そのもののなかにあるつぶつぶした共通事項を拾っていくことが好きなので、わりと思い込みが強くなる傾向もあり、これはわたしの独断と偏見に満ちた考えですって自認を持ち続けるしかないのかなと思っている。偏見、あり〼。

そのうえで、思っていたことと違った場合は素直に修正する、間違えたと思ったら撤回する、そういう態度でいようと思う。


それでも、この人偏見やばいなって感じさせる人と、そうじゃない人がいるのは何の違いなのか。個人的な思い込みなのに、まるでこの世の真理のように語る人をみると、やばいって感じるのかな。

決めつけが激しい人は話してて噛み合い難いし、構えが強過ぎる人にはこちらも構えてしまう。フラットに接してくれる人の方がとっつきやすい。

できるだけ、大人になっても、相手とまるっと相対したいものではある。


ウィットに富んだ安心感のある偏見と、生きづらいだろうなあと不憫になる偏見があったりもする。

知り合いのおばさまに「背の高い男におもしろいやつはいない」と言う人がいて、そんなことないでしょとは思うけども、その言いっぷりはちょっと気持ちがいい。そして、確かにと思うところもある。背の高い男性はそれだけで利があり、大きさの存在感もあるから、あんまり崩れた動きをしたがらない。たとえば友人女性の集まりでやるヨガで、一緒にやるって配偶者を見ると背の低い人で、高い人はやらないとか。働いてた会社で、マメにクルクル動く人は背の低い男性ばかりで、背の高い人はあんまり動きが良くないとか。そういう実感てあった。

偏見なのか、単純に身体が大きいとクルクル動きにくい、大きさに付随する原理なのか、その境目って曖昧。

もし、背の高い男性に周囲が向ける視線や期待がその人の行動に反映されているのであれば、偏見には偏見を再生産する作用もあるってことになる。そうみられるからそうする、が、そういうもんでしょになるっていう。

このおばさまの言いっぷりがちょっと気持ちよく響くのは、背の高い男性はすでに利をもっているから、それをおもしろくないと言ったとて、相手が貶められない安心感があるからかも。

でもそれはわたしがいたコミュニティの中だけでのことなので、背が高くてもめちゃくちゃ動き回る男性はいるだろう。背の高い男性が動きまくるコミュニティもあるかもしれない。背の低い男性のほうが利が多いコミュニティもあるかもしれない。プラスは常にマイナスにも転じるからこのあたり考えてるとよくわからなくなるけど…

プラスとマイナスの意味作用、関係性の網の目、ほんとにいろんな方向に張り巡らされてるものだなと思うけど、偏見あり〼ってのは、そういうことなんです。


たとえば接してきた女性が都合が悪くなると話が通じなくなってすぐ泣く人ばかりだったら、「女はすぐ泣いて話が通じない」の偏見が導き出される。

その偏見をもとに、属性全体に対しての実際的な線引きをすることが差別で、属性全体を下に見る視線が蔑視なのかな。

人は偏見を持ちやすいようにできている。だから、「無くそう」じゃなくて、「持ちやすいっていうかだいたいみんな持ってるもんだから気をつけましょう」だよね。

つぶつぶを拾い集めてある程度の量になったものは固まりやすい性質がある。頭が固くなるってそういうことで。

拾い集める方向性と、茫洋とした事象をそのまんまうけとめつくす、浴びる、うけとめきる方向性を、両方持ち続けたい。

固まってくると、固まってないもの、たとえば子どもの発想とか、に触れるのはそれもまた歓びだし、子どもに教えてもらうこともたくさんある。





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