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「自分を生きる」って何だろう?

37回目の誕生日の今日、これまでの人生を振り返ってみた。

今まで色々あったな…、これからも色々あるんだろうな…と1人しみじみと思いふけりながら昔のことを思い出してみた。

・生まれ
両親が目が不自由で「点字、白状、音声案内、盲導犬」と一般ではあまり関わりのない特殊な環境で育った。
親が目が見えないことを苦に感じたことも、恥と感じたこともない。
ただ「そう」なのだと、これが我が家なのだと幼い頃から受け入れてた。

・小中学生
小学生になる前くらいから生きることに漠然とモヤモヤしだした。
「女の子なんだからじっとしてなさい!!」
「女の子なんだから木に登ってはいけません!!」
って言われて「あーあ、なんで男の子に生まれてこなかったんだろう。女って損だな」って自分の身体的な性を疎ましく思ってた。
その反動で強烈に男の子になりたかった時期があった。
でも、なんかそれも解決じゃなくて違う気がしてモヤモヤしていた。

このころはよく「なぜ人間はこんなにも地球にとって害なのに生まれてきたのだろう?」とか「私がここに生きている意味って何だろう?」と考えていた。
クラスの女子の集団には馴染まず、1日中、教室で本を読んで異世界に想い馳せぼんやりしているのが心地よく好きだった。

この頃、「なぜ男女で服や授業の内容が違うのか?」を周りの大人に聞いて回った覚えがある。
先生も親も誰も私の納得できる答えはくれなくてがっかりしたし、幻滅もあって「大人ってなんでなるんだろう?大人になんかなりたくない」って思っていた。

・高校大学
その頃、絵を描くことが癒しであったり、現実逃避だったこともあり、その方向に進みたい気持ちもあったけど「手に職が無いと生きていけない」と父に言われ、当時、興味があった調理の高校、栄養士の大学に進んだ。
校区も交友関係も広がり、一気に世界が広がった。
中学までの世界がいかに狭い世界で生きていたのか思い知った。
同じ地域という理由から「同じ目的・同じ志」で集まる世界が新鮮だった。
恋愛や付き合いを通して、やはり自分の性の価値観が一般と違うことに大きく気付いたのもこのあたりだった。

・10代の後半
自分の本当にしたいことではない方向に進んでいるような焦りとジレンマから現実に向き合うのを避け、男女関係に逃げていった。
19才で中絶したことをきっかけによく死について考えた。
「おめおめと今日も生きてしまった」と自分を責める罪悪感を感じながらも、「一生、人殺しだと自分を責め続ければあの命は報われるのだろうか?」と死についてや、肉体と一緒に魂も滅びるのだろうか?とかよく考えてた。

「いっそのこと死んでしまったら報われるのか」と考えていたころ、知人の紹介で風俗の世界に入った。
自分が幼い頃、嫌悪していた「女」を仕事にするとは想像もしてなかった。
でも、それまで女らしくしてこなかったから、女扱いが新鮮だった。
お客さんも、お店の人も、周りの女の子も優しくて、死しか選択肢が無いと思っていた私はここにいた半年で正気を取り戻したし、人間、どんなことしても生きて行こうとするし、その気になればどうとでも生きていけると多くの視点を得て救われた。

入ってみて気付いたのは、外側から見る世界と内側を知ってから見る世界は全く違うということ。
よく「風俗なんて!」って批判する奴いるけど、やったことないやつの批判はただの戯言だし、呆れる。
結局、いつの時代もなんも知らん奴が批判するのに、それをみんな信じるんだなって虚しくなる。やってみてから言え、経験者に聞けって思う。

・20代
このころは「人はなぜ結婚するのか?」に興味を持ち、既婚の人に「なんで結婚したんですか?」って聞いて回っていた。
答えは「好きだったから」ではなく、多くの人が「勢いとタイミング」と答えてくれた。結婚は好きだから一生一緒に住む契約だと思ってたから、好きだけじゃ、一緒になれないってことにびっくりしたし、少しがっかりした。

・28才
東日本大震災が起きて「このままではいけない」「ここで一生終わるなんてありえない!」と仕事を辞めて自分の心赴くままに世界を見たくてボランティアを始めた。
その時、「今しかできなくて、思い立ったらすぐ動けて、時間もお金も自由になる仕事」としてもう一度、風俗の世界に入った。
今度は自分の意志で、生きるために。

意識と視点が変わるとまた見えてくる世界が違って面白かった。
まず最初に「私にはどのサービスが向いているのか?」を知りたくて、その当時、思いつく限りにサービスを試してみた。
ソープ、ヘルス、性感…その中で私は「お客さんだからって全部を受け入れなくていい」「これをされるのが嫌い、こうして欲しい」という受け身から自分が能動的に関わる性のことを体験から学んだ。
1対1が向いていること、やったらやった分だけ評価されること、空間をお客さんと一緒に作り上げることの面白さに気付いたのもこの頃だった。

よく「風俗は浮気か?」って話を聞くけど、私の場合は「完全出来高制、独立起業主、プロ」という意識だったから、浮気と言われると違和感があった。むしろ既婚者のお客さんを接客するときは「今日、私が関わったことですっきりして、この人の家庭が円満になりますように」って祈ってた。
祈りの効果か私に会うと「大きな仕事が決まる」「心が穏やかになる」と御贔屓さんにも恵まれ、指名時間と売り上げが店でNO.1だった(らしい)

この世界の仕事のスタイルの「今日休みまーす」「出勤しまーす」ってのが自分次第ってとこが気に入って、30才まで3ヶ月働いて1ヶ月ボランティアにいくという生活を2年続けた。

あの頃はよくあちこち飛び回っていて、お金も自分のためだけに使ってて、羽が生えてるみたいって言われた。
実際は1人身でなんの保証もなく風俗一本で働いてたし、働いた分しか収入にならない怖さから「働く=生きる」という図式で休むことは死を意味していた時期だった。

・30才
ある日、強烈に「お母さんになりたい!」って衝動にかられた。
その時、風俗嬢と結婚したいって奇特な人はいないと思い込んでいたから、一生、1人で生きていくんだと思っていたし、結婚を意識することも、気もなかった。けど、それも全部知った上で結婚した人もいると知って、自分の思い込みや価値観の狭さを思い知ったし、希望が湧いた。

そこから、初めて「ただ好き」ではなく「一緒に家庭を作るのに向いてる人」という目線も含めて相手を見るようになった。

・結婚
その当時、よく通ってくれてたお客さんの中で、時々、一緒にごはん行く関係だった今の夫に「付き合おう」と言われて、「私、お母さんになりたいから、結婚前提で、子どもができたら産ませてくれるなら付き合う」という条件を初めて付き合う前に伝えた。
このとき、夫は「自分も早く家族が欲しいからいいよ」と合意し、付き合いが始まった。自分の意思を初めに伝えることで、お互い後出しじゃんけんにならない清々しい関りがなんとも心地よかった。
付き合って1ヶ月くらいで妊娠して、2ヶ月目にはつわりで仕事にならなかったから、仕事を辞め、婚姻届け出して結婚した。

子どもができたことで結婚したけど、相手に対して、恋愛の「好き」という意識より「仲間・同志・家族・友達・パートナー」という意識の方がしっくり来ていた。
母には「好きが分からないなんて本当の恋愛をしたことがない!」「好きでもない相手と結婚するなんてありえない!」とさげすまれるたび、心に違和感を感じていた。

22才から31才までの9年間、働く=収入=生きるという図式で生きてきたから、収入を得なくても生きている主婦という立ち位置が新鮮で面白かった。
ちょうどその頃、世間から取り残されたようで怖くて、積極的に社会と関わろうとする人が多いと知って、びっくりしたのを覚えている。
子どもが小さいうちに向き合うべきは子どもであって、社会なのか?と疑問を感じた。

・子育て
長女が生まれ、1年。初めての子育てで自分自身にも世の中にも期待もあったし、命を守ることに気を張りつめていた。
世の中の子育て事情を知れば知るほど、日本の未来を憂いて、我が子だけが良ければいいなんて傲慢なんじゃないかとうっかり就職してしまった。
働きだすとまた働く親の事情や闇もみえてきて、結局、何事も自分の意識とまずは家庭からと気付き、次女出産を機に退職した。
外に意識を向けるには早すぎた。

今は「どんな自分であってもいいんだ」と知って、信頼できる仲間と一緒に自分や子育てに向き合える環境を整えてる。
心に余白のある生き方、子育てができる大人が増えれば、それを模倣する子どもたちの未来もきっと変わってくると思うから。

・性について
学びを深めるうちに自分には男女という概念がない「ジェンダーレス」で、恋愛に性別が関係しない「パンセクシャル」と恋愛感情がない「アセクシャル」というセクシャリティを持っていることに気付いた。
初めて知った時、自分と同じ概念の人がいることが嬉しかった。
自分自身を知っていくことは漠然としたモヤモヤの霧が晴れていくようで安心する。

・今、思うこと
自分の事しか考えなくて良かった10年前のあの頃から比べると、物理的にも金銭的にも不自由な、今。

自分で決めて、自分でここにいることを選んでいる。
私はとても豊かだと感じている。

夫や子どもがいることで関わり合いから、他人では露吐しない色んな感情や自分自身に直面してしんどいけど面白い。
誰かと一緒に暮らすなんて無理と思ってたけど、支え合う安心感や頼もしさはあの頃にない心の自由を得ていると感じる。

人は生まれたら、いつか必ず死ぬ。
でも、今は、20年前の19才のあの日に自ら死を選ばなくてよかったと感じている。

・自分を生きるって…
人生は生きてたら、いつどんなチャンスやタイミングがあるか分からない。
どんな選択も人任せにせず、親や周りに流されたとしても、意見を取り入れたのは自分で、最後に選択したのは自分だと素直になる、認める。
自分の直感や気持ちに従って、決めたことを認めて受け入れることが「自分を生きる」ことに繋がり、運命を自分で切り開くことなんじゃないかなと感じている。

これから40、50才と色んな経験を積みながら、年を重ねるごとにどんな選択をして、どんな自分に出会えるか楽しみにしている。


ちなみに現在、3人目を妊娠中。
4か月に入ってつまりも落ち着き、お腹も少し出てきた。

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今は、自分と子どもと家族に向き合う時間を楽しもうと思う。

2020年8月22日 37才誕生日 備忘録

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