不幸は実態ではなく概念

みなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

さて、今回お話しさせていただくテーマは「不幸」についてです。

自分は、「幸せか? 不幸か?」という問いは、私達にとって逃れがたい問なのではないでしょうか? 生きていればついついそんなことを考えてしまいます。そして「自分は不幸だ」と結論づけてしまう人も多くいらっしゃいます。

では、「自分は不幸だ」と思ってしまう瞬間とは、どのようなときでしょうか?

まずやはり、「お金」の問題というのが大きいかと思います。

毎日ヘトヘトになるまで働いているのにちっとも生活がよくならない。挙句に会社が倒産。仕事すら失い、さらに生活が逼迫する。

そんなとき、さすがに人は「自分は不幸だ」と思ってしまい“やすい”のかもしれません。

生まれた境遇や性別による格差というのも、いまだに少なくないのが現実でしょう。

仕事ができるとはとても思えない縁故入社の同期が、自分より出世が早かったり、それこそ女性というだけで一定以上の役職に就けなかったり、そんな理不尽な状況になれば「自分は不幸だ」と思ってしまっても不思議ではありません。

持って生まれた「才能」の問題というのもあるかもしれません。

3年間、血の滲むような努力を続けたのにベンチ入りすらできなかったサッカー少年が、「自分は不幸だ」と思ってしまう瞬間だってあると思います。

また「容姿」、というのもあるでしょう。

「好きな人に振り向いてもらえないのは、私の容姿がいけないんだ」とか「もうちょっと鼻が高ければ、モテたのに」とか、自分の容姿が気になって仕方がなくなり、挙句の果てに「自分は不幸だ」と思ってしまうのです。

自分ではちょっとやそっとじゃどうすることもできない理不尽な状況になったとき、人は「自分は不幸だ」と思ってしまいます。

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