I'M ALIVE.

ガンになった話が書かれていますので、ご注意ください。

サツドラは「健康経営宣言」というのをしています。これは社員が健康でイキイキと安心して働けるようにしますよ!という宣言です。(めちゃざっくりな説明・・・詳しくはwebを!)

その一環として、2019年から35歳以上の健康診断がグレードアップし、自分の希望によって、オプションの検診をつけられたりするようになりました。

そして2020年からは、40代以上の女性には2年に1度、乳がんと子宮頸がん検診がつくことになりました。
わたしも今まで数年に一度は受けていましたので、今年は会社でしてもらえて1回で済むしラッキー!くらいに思って受けました。

乳がんの検診ではマンモグラフィーと触診がありました。マンモグラフィーが終わって、触診になりましたが、先生が同じところを何回もグリグリとさわるわけです。

「けっこう長いな〜」から、
「ん?なんかあるのかな?」

そう不審に思うくらいの時間が経過した後、その先生が言いました。
「このあばら骨に沿ったところに何かあります。病院を紹介するのですぐに精密検査を受けてください」

まじ?

わたしは一度入院したことのある病院を紹介してもらい、予約を取りました。
でも、その時は大したことないなーと思っていたんです。
というのも、今までもマンモグラフィーを撮影すると、石灰化がみられると言われていて、いつも問題がなかったからです。

久しぶりの総合病院。
朝から超音波検査やら血液検査やらを受けて、先生に会ったのは2時間以上たってからでした。

「ご家族に乳がんの人はいらっしゃいますか?」

はい。母が数年前に乳がんで両方のおっぱいを切除しています。

「それなら心配なので、すぐに細胞を取って検査したいのですが、時間は大丈夫ですか?」と言われました。

また来るのも面倒なので、その日にお願いすることにしました。
さらに2時間くらいかけて、麻酔をされたおっぱいに針を刺して、その組織の細胞を採取します。麻酔されているので全く痛くはありませんでした。

次の診察は2020年10月5日。9時の予約でした。

この時もまーたいしたことないだろうと思って、のんびりと本を読みながら待っていました。
9時を10分くらい過ぎた頃、あれ?と思ったのです。

朝一のアポイントなのに、待たされてる・・・。

もし、先週の検査結果に問題がなければ、すぐに呼ばれて「経過観察しましょう」と言われるはず。
本を読む手が止まりました。

やばい。
これはガンだったな。
まじかー。
でも、おととしの年末にPETがん検査してるしな。
あの時はガンは一個もなかったし、疑わしい感じもなかったよな。
ってことは、もしこれがガンでも、きっと初期だな。
大丈夫。大丈夫だよ。
初期ならすぐに切り取って元通り(これまでに母のガン切除の立会い、4回もしていたためです)になれるはず・・・

グルグルといろんなことを考え、結局呼ばれたのは9:26でした。

先生が悲しい顔をしていました。

やっぱり・・・

「フジモリさん。細胞検査の結果、悪性の腫瘍でした。ガンが疑われます。」

やっぱり!

というわけで、左のおっぱいにガンが見つかりました。
その場で手術の予定日を決めました。
入院するまでの1か月間は毎週のように検査をし、いよいよ入院です。

入院が1週間程度。自宅療養が2週間程度の予定。実に3週間の休みを取ることになったのです。

こんなにバリバリ仕事をしている途中で、3週間も会社を休むのは初めて。
しかも、ほとんどの案件が私を中心に動いていましたので、ほとんど3週間仕事が止まります。

ところが、上司をはじめ社長や副会長も、「大丈夫!元気になって戻ってきて!」と送り出してくれました。
とにかく治療を優先してくださいと。
とても安心しました。

10月30日に手術しました。
部分切除で、おっぱいの下側と脇のリンパ節を切除し、他の部分やリンパ節への転移はなく、無事に手術が終わりました。

実は、思い出しながら書いていたのですが、なんとなくこの期間の記憶がモヤモヤっとしています。
当時、「ガンになった」という事実がうまく自分自身のことのように思えていなかったのです。
先生の言うとおりに検査して、手続して、入院して、手術して、ガンが取り去られました。
ですが、なんとなく他の人のことのように感じていました。

人間って、自分の想像の範囲をこえた現実に直面すると、もしかしたら何かをシャットアウトしてしまうのかもしれません。

ようやく感覚が現実に戻ったのは、退院する日に私の病室のベッドから外を見たら、虹が見えた時でした。
それまで雨が降っていたので、その虹はグレーの空にかかっていました。

↑その時の虹です。ちょっと明るく加工しています。

急に頭の中にsiaの「Alive」という曲が脳内再生されました。(めっちゃいい曲です。一人で運転中にこの曲がかかると、熱唱します。笑)

は。生きてる!

と思ったのです。
もしかしたら、うまく行かない可能性もあった。
転移している可能性もあった。
麻酔から覚めたら、おっぱいが片方、全部なくなっている可能性もあった。

もちろん、事前の検査で大丈夫でしょうとは言われていたものの、やはり最悪の事態を考えないようにしていたのです。

だから心がなんにも感じないようにしていたのでしょう。

生きてる!

3週間後、会社に戻りましたが、変わらず私の席はありました(現実にはフリーアドレスですので、あくまでも例えです。笑)。

いない間、部下たちが一生懸命に業務をこなしてくれていました。
あ~もっと、彼らに任せて、わたしは違うことしよう!と思いました。

退院後も、毎日放射線治療で通院しなければならなかったり、5年間の投薬治療も始まりました。
年が明けたら3か月に一度の注射も増えました。
副作用でイライラしたり、汗だくになったり、いろいろありますが、かなり周りの方々の協力を得ながら、無事に1年を過ごすことができました。

乳がんはステージ1で発見し切除できた場合、5年後の生存率は約97%と言われています。ステージ2になると約81%となります。
なので、ここから5年間、転移させないようにする治療をするのです。

よく聞きますよね。早期発見。きちんと健康診断を受けて・・・なんちゃらかんちゃら。
こういうの嫌いな人は、聞きたくない話かもしれませんが、私は本当に健康診断のおかげで早期発見することができ、無事に復活できました。
なので、本当にみなさん、健康診断とガン保険の見直しをお願いします。2人に1人がガンになります。
そして今は、ガンを取った後の通院治療にお金がかかります。(急にめっちゃリアル。笑)
一度ガンと診断されると、入ることのできる保険はほとんどなくなります。

すべてはちょうど1年前の健康診断から始まったのです。

あの時、健康診断で見つかっていなかったら・・・
会社のみんなが協力してくれなかったら・・・
こういう結果ではなかったかもしれません。

I'm still breathing.  I'm alive.

10月はピンクリボン月間です。
先日は札幌のテレビ塔もピンクになりました。
生きてます。
健康経営宣言、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?