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アタシックレコード ~私的備忘録(1)~

昭和備忘録(1)

年齢がバレるので、言いたくはなかったのですが、
今にして思いますと、
いい時代に生まれ、いい時代に育ったように感じます。
昭和、平成、令和という時代を体験して、
『昭和』という時代は、
圧倒的に、幸福感を得られた時代だったと思います。
今のように、便利な世の中とは言い難いのですが、
人間味と希望のある世の中だったと思ってしまいます。

『昭和』という年号を分解すると、
「日本という国が刀と口で和を成す」
となります。
要するに、『刀』を含んだ漢字が使用されているので、
『戦(戦争)が予見されていた』
とも言える訳で、
事実、その通りになっています。
『昭和』という時代を三つにカテゴライズすると、
1.戦争期
2.復興期
3.成長期
となるのではないでしょうか。
私自身、幸運にも、
3の成長期に生まれ育った世代です。
俗に言う、『バブル世代』なのかもしれませんが…。
とはいえ、幼少の頃は、
まだまだ、貧しい雰囲気が漂っていて、
豊かさとは程遠い環境だったと記憶しております。
モノが豊富でバラエティに富んでいる現代と比べると、
無い無い尽くしの時代だった
といえるのかもしれません…。

『三種の神器』という言葉を
聞いたことがあるでしょうか?
ここで言うそれは、『昭和の三種の神器』である、
白物家電のことなのですが、
1.テレビ
2.冷蔵庫
3.洗濯機
となります。
今では、どこの家庭にもあるかと思われる
家電製品ではありますが、
当時は、あこがれの家電で、
これらをすべて揃えることが、
一つのステータスになっていました。
ちなみに、我が家では、
テレビと冷蔵庫は、物心つく頃にはありました。
ちなみに、最初のテレビはカラーではなく白黒。
もちろん、周りの家庭の影響で、
我が家も、ほどなくして
カラーテレビにはなりましたが…。
そういう時代だったのか、田舎だったからなのか、
定かではありませんが、
当時は、近所の人が〇〇を買うと、
周りも負けじと同じにする傾向がありました。
「〇〇さんが〇〇を買ったみたいだよ」
というウワサが流れると、
なぜか周りも同じモノを買い揃える。
まるで、見栄の張り合いですが、
良くも悪くも、近所のコミュニケーションがあった。
そんな時代でした。

我が家には、なぜか洗濯機がありませんでした。
では、どうしていたのか?
今では、考えられないかもしれませんが、
『たらい』と『洗濯板』というアイテムを使って
洗濯をしていた訳です。
洗濯板にはたくさんの波状の刻みがあり、
その刻みを利用して汚れを落とし、
たらいを使ってすすぐ。
古典的な手法で、かなりの重労働といえる作業です。
主婦からしたら、
洗濯機があれば、この重労働から解放される訳なので、
喉から手が出るほど欲しいモノだったことでしょう。
でも、父親がそれを良しとはしないのです。
というのも、父親は極度の潔癖症で、
洗濯機を信用できなかった。
これが大きな要因です。
要するに、手洗いこそが確実に汚れが取れる方法。
そう信じ込んでしまっていた。
潔癖症としては、譲れなかった一線だったようです。
どういう経緯かはわかりませんが、
小学生になる頃には、
我が家にも、洗濯機が導入されてはいましたが…。
やはり、父親の意思も時代に負けたようです…。

お風呂に関しては、薪風呂でした。
木材である薪を燃料として、お湯を沸かす。
現代では、ボタン一つで簡単にお湯が沸かせますが、
当時は、かなり手間のかかるモノでした。
我が家では、薪と一緒にオガライトというモノを
燃料にしていました。
『オガライト』は、
おがくず(木粉)を固めて棒状にしたモノで、
茶色の外観は、
ちょっとだけ『ふ菓子』に似た感じです。
我が家では、毎日お風呂に入っていたため、
(父親の潔癖症が大きな要因)
母が毎日、お風呂のお湯を沸かしていました。
なので、
ナタを使って薪割りをする母の光景が
夕方の日常でした。
今にして思うと、
主婦の仕事はかなりの重労働だった気もします…。
という訳で、
お湯が冷める度に、何度もお湯を沸かすことは
大き負担であり、手間がかかります。
なので、お風呂に入る時間は
効率良く、無駄がないように、
順番に入っていく訳です。
時間帯がバラバラなどということは、あり得ません。
一番風呂は、家長である父、
その次に子どもたち、最後に母が入る。
そして、皆がお風呂から上がってから、
夕食を家族揃って食べる。
これが、ほぼ毎日の日課です。
お風呂のお湯がボタン一つで沸かせるモノになるまで、
今しばらくの時間を要するのですが、
その時までは、ほぼこのサイクル⁉️
だったように記憶しています。

燃料の薪をどこから調達していたのかは、未だに謎なのだが…

最後にトイレ事情を…。
薪風呂の時代なのですから、
当然、トイレは汲み取り式の和式便器です。
俗に言う、『ぼっとん便所』。
便器の下に、便槽があり、そこに糞尿を貯蔵する。
溜まったモノは、
バキュームカーによって定期的に回収してもらう。
そういう仕組です。
一応、便器には、
落下防止用?の木製の蓋があったのですが、
蓋を外した便器の中は暗闇が広がる穴。
子どもの頃は、この便所が怖かった。
「この穴の中に落ちたら死ぬ」
「暗い穴から幽霊が出てくる」
「便器から手が出てきて、穴に引き込まれる」
そういう妄想が働くくらい、恐怖の場所だった訳です。
日中はいいのですが、夜の恐怖ときたら…。
幼児の頃は、この恐怖から、
便所に行くことが出来ず、お漏らしも少々…。
親には『夜尿症』と心配されましたが、
実は、『便所恐怖症』だっただけで、
成長すると、治るのも必然です(笑)
今にして思うのですが、
便所の照明が暗かったのも、
恐怖を増強した原因かと感じます。
その昔、ムダという意味から、
『便所の100ワット』
という言葉が流行りました。
トイレの狭い空間に、明るすぎる照明は不必要(ムダ)
ということなのですが、
果たしてそうなのでしょうか?
ちなみに、現在の自宅のトイレは
かなり明るい照明を使用しています。
「穢れやすい空間だけに、陽の気が必要」
そんな感じなのですが、
子供の頃のトラウマなのかもしれません…。
ちなみに、便所で使用していた紙は『ちり紙』。
あらかじめカットされている四角い紙を
適量取って使用するのですが、
今はトイレットペーパー主流なので、
絶滅危惧種的な存在なのかもしれませんが…。

今にして思うと、昔は、
かなり不便なことが多かったのですが、
当時は『当たり前』のことで、
「そういうモノだ」という認識でした。
不便で大変なことだからこそ、
協力が必要な訳で、
色々なモノが便利になることにより、
協力して対応するという意識、
人間関係、絆というものが希薄化した気もします。
『昭和』という時代は、
人間の営みや絆がキチンと感じられる。
そんな、古き良き時代だったように思う次第です…。


























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