愛情不足で育ったこと。

30代になり、色々パンドラの箱が開くようになった。
今まで閉じられていたものが思い返されて気づくようになっきた。40前になり、全て清算し整理し第2の人生に行くため、生きやすくするためなのだろうか。私にもそれを受け止められる器ができたからなのか。
そうならば、第2の人生のため成長に必要なことなんだ。

思い出せば今も涙が出てくる。
涙の分だけ、不幸を味わった体験だけ、人の痛みが解るようになったかな。

人生の悲しさ辛さ苦しみ寂しさ悔しさ惨めさ、沢山味わったなー。

人生ってもっと幸せなものだと思ってたけど。あまりしたくない経験だったけど、必要だったのかもしれない。

私が不器用で努力せずダメすぎたからかもしれない。

でも私は私を愛する。甘やかしてばかり。

若い頃は自分のこと守れなくてごめんね。愛せなく大切にできなくてごめんね。

もう昔の私とは違う。

私は私が大切。だから子供も大切にする。だから人のことも大切にできると思う。

私を本当に大切にできるのは守れるのは自分しかいない。

愛情不足で育って、結婚しても気付けば愛情苦手系と一緒になっていて、二重の苦しみが本当に辛かった。

でも今は自分を守ったり癒せるようになってきた。

最近、改めて感じたのは、私は父親からの愛情に飢えていたんだ。いつも仕事や外ばかり行って家にいない人だった。子供を見守ったりしてくれなかった。きっと父も愛情不足で育ち、外に刺激を求めていたのだろう。子供を見たり、興味感心をもって会話したり遊んだりしてほしかった。心配してくれたり色々聞いてほしかった。助言くれたり、生きていくのに大切なこととか必要なこととか教えてほしかった。しつけしてほしかった。甘えられなかった。
子供の時は気づけなかった思いに気づいた。

社会に出たころ、社会性や基礎がダメすぎて働けず、死にたくなって引きこもってた時、父に優しい感じで「死んでもいいよ」って言われた。優しさなのかなんなのか解らなく何も言い返さなかった。けど求めている言葉ではないなとは感じた。死にたくても死ねなかったのに。あの時は私もよく解ってなかったけど愛情不足でちゃんと育てて貰えてないから、生きづらくて死にたくなったのに。
あの頃はそこまで気にしてなかったのに、後になり言われた言葉に納得できなくなった。

本人の前では言えない。関係薄くて話しをすることもほぼないからここで言わせて貰う。
父親失格の馬鹿野郎!!

母はヒステリーで子供をはけ口にしたり虐待支配したりで。

けど前に母には言えた。母は悪かったと謝ってくれた。精神的ストレスと寂しさや悲しさ辛さからだったと言っていた。
母は私との良い関係を望んでいて多少反省してくれたのがあるので、母との関係は前より良くなった。

父母とも自分が優先、子供を大切にできない幼稚で親失格だった。

もう求めていない。そして許す。そうゆうことできない人達だったんだから仕方ない。

虐待やネグレクトを受けて育った人が、大人となっても、なぜかその毒に苦しめられ抜け出せず不幸に引っ張られる。どれほど地獄か。上手く抜け出せる人もいるだろうから人それぞれかもしれないけれど。

簡単に大人になったら自己責任って言うのやめて。

こんな体験したことない人には理解されないかもしれない。

こんなこと考えたり言うのも辛いけど。
なんか吐き出したくなって。

40歳手前でやっと毒親のこと整理出来てきた。
出口見えてきた。

折り返し地点、第2の人生始まるんだなって感じてる。

理想の親、最低な親、上には上がいて下には下がいる。

父親は子供に無関心ぎみだったけど暴力がなかった分マシな親だったのかと思う。小さいときは色々連れていってくれたり、遊んでくれたこともあったから。

30代半になってから、
父親の愛情受けてる人見るといいなぁって思う、自分の気持ちに気づいてきた。それまでは蓋がされて気がつかなかった。
夫になった人も愛情表現とかよくわからない人で、頼る頼られる甘える甘えられるとか私よりわからない人で、回避する子供っぽい父に似た人だったことは私には二重の苦しみだった。そして一番愛情があった祖父が私が若い時に亡くなっていたから。私すごく寂しかったんだなー。

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