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世界一いびつな球場の話

松坂大輔や上原浩治が所属していたこともあったため、ボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークの左中間にそびえ立つ「グリーンモンスター」は有名である。

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ボストン市街に購入できた土地の広さに限りがあったため、極端に左翼側のフェンスまでの距離が狭い構造になっている。

本塁から左翼までが310フィート(約94.5m)、左中間までも379フィート(約115.5m)で、この間は膨らみの無い直線的な構造となっている。

東京ドームの左翼が100m、左中間が110mであることと比べると、極端に左翼ポール際が本塁から近いということが分かるだろう。

これではホームランが増えてしまうため、高さ37フィート(約11.3m)の壁を作ったのが「グリーンモンスター」である。(東京ドームは4.24m)

メジャーリーグの球場の多くは左右非対称である。

ヤンキースタジアムは左中間最深部が399フィート(約122m)に対して、右中間は385フィート(約117.3m)しかない。

これは左打ちのベーブ・ルースにとって有利な球場を作った名残であると言われている。(現在のヤンキースタジアムは当時と異なっているが)

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サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地オラクル・パークは左中間が364フィート(約110.9m)に対して、右中間は421フィート(約128.3m)もある。

さらに壁の高さは左中間が8フィート(約2.4m)なのに対して、右中間は25フィート(約7.6m)もあり、左打ち打者にとってホームランが出にくい球場である。

かつてバリー・ボンズが右翼席場外に「スプラッシュ・ヒット」を量産していたイメージがあるため、右翼席へのホームランが簡単に生まれてしまうと錯覚してしまいがちだが、真実は逆である。

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昔から野球場は空き地に作られ、その限られた土地を有効活用するために左右非対称になったという伝統が今も続いていると言われている。

そんな伝統の中でもとびきりいびつな球場がNYマンハッタンにあったポロ・グラウンズである。

まずこの写真を見てどう思うだろうか?

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一見では野球場とは思えないようないびつな形をしている。

両翼に対して中堅方向が異常に距離がある。

というかそもそもグラウンドが扇型をしていない。

時代によって大きさは異なるが、次のように伝えられている。

左翼279フィート(約85m)、左中間450フィート(約137m)、中堅最深部483フィート(約147m)、右中間449フィート(約136m)、右翼258フィート(約78m)で、中堅方向の遠さもさることながら、右翼ポール際のスタンドまでの近さも際立っている。

ポロ・グラウンズという名前が示す通り、元々は「ポロ」という団体馬術競技の競技場を野球場代わりに使っていたことから始まる。

この初代ポロ・グラウンズでは大きなグラウンドを2つに仕切って2試合を同時に開催していたというから牧歌的な話である。

19世紀末に移転後はポロ競技が行われなくなっても相変わらずポロ・グラウンズと呼ばれ続けていた。

三代目のポロ・グラウンズは1911年に火事で全焼してしまい、再建された四代目のポロ・グラウンズがかの有名な球場である。

ポロ・グラウンズを本拠地にしたのがナショナルリーグの人気球団ニューヨーク・ジャイアンツである。

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ジャイアンツは奇しくも火災で球場を再建した1911年から3年連続リーグ優勝を果たす強豪チームでもあった。

一方で同じニューヨークには新興アメリカンリーグのニューヨーク・ハイランダーズという弱小チームが存在した。

ハイランダースは同じマンハッタンのヒルトップ・パークを本拠地としていたが、1913年からポロ・グラウンズを間借りさせてもらうことになる。

その年からチーム名をヤンキースと改めると、徐々に力をつけ始め、1920年にボストン・レッドソックスからベーブ・ルースをトレードで獲得すると、翌21年に悲願の初優勝を遂げた。

ご存じベーブ・ルースはポロ・グラウンズでホームランを量産し、通算85本のホームランを放っている。

ルースがポロ・グラウンズを本拠地としてプレーしたのは僅か3年間であったことを考えると物凄い数字である。

ルースにとってポロ・グラウンズの右翼ポール際は近過ぎたのだろう。

ヤンキースがルースのホームラン量産で人気球団になると面白くないのは、球場を貸しているジャイアンツで、1923年からヤンキースは川を隔てたブロンクスに移転し、前述のヤンキースタジアムを建設した。

ヤンキースタジアムは右翼ポール際だけではなく、右中間も含めてホームランが出やすい構造になっていたため、ルースのホームラン量産はさらに勢いづくことになった。

そんなベーブ・ルースもポロ・グラウンズの中堅方向へはホームランを放っていない。

140m(460フィート)以上の飛距離が無いとポロ・グラウンズの左右中間はスタンドインできない。

両リーグでのシーズン最多本塁打記録を更新した2019年でも460フィートを超えたホームランを放った選手は全方向併せて52人しかいない。

ポログラウンズ中堅最深部にスタンドインさせるためには483フィート以上の飛距離が必要だが、中堅方向となると現代野球でも至難の業ではないか。

2017年9月17日にテキサス・レンジャーズのジョーイ・ギャロが放った490フィートの超特大弾なら何とかスタンドインするだろう。

他に思いつくホームランがあれば教えてほしい。

しかし歴史を紐解くとポロ・グラウンズの中堅方向へホームランを打った選手が4人いる。

その偉業を成し遂げた最初の選手がルーク・イースターである。

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イースターはニグロリーグの強豪ホームステッド・グレイズでプレーした1948年にポロ・グラウンズで史上初の中堅方向のホームランを記録した。

同僚のボブ・サーマンは「ライナーで500フィートぐらい飛んだ」と証言している。

飛距離に関してはさておくとして、記録が残る中ではこれが最初の「バックスクリーン弾」だ。

イースターは翌年クリーブランド・インディアンスでメジャーデビューを果たし、6年間で93本塁打を記録している。

アメリカンリーグのチームに所属したため、その後メジャーのポロ・グラウンズでプレーする機会には恵まれなかった。

最後のシーズンである1954年のインディアンスはリーグ制覇を果たし、ワールドシリーズの相手はニューヨーク・ジャイアンツであったが、イースターはワールドシリーズに出場できるような成績を残せていなかった。

メジャーリーグで初めて記録したのがミルウォーキー・ブレーブスのジョー・アドコックだ。

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1957年のジャイアンツ戦でブレーブスは先発のピート・バーンサイド(後に阪神タイガースでもプレー)を初回から攻め立て、一死一三塁で迎えたアドコックは右中間深くにホームランを突き刺した。

これで意気消沈したのか、バーンサイドは一死しか取れず降板してしまう。

ちなみにアドコックは右打ちなので、流して右中間にぶち込んだことになる。

この特大弾を含めてポロ・グラウンズでのホームランは通算8本であった。

この1957年は僅か57試合の出場に留まり、アドコックにとって決して満足できる結果では無かったと思われるが、チームはミルウォーキー移転後初のワールドシリーズ制覇を果たし、勝利の美酒に酔いしれたことだろう。

メジャー2本目の偉業は意外にも盗塁王ルー・ブロックが記録している。

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ジャイアンツは西海岸のサンフランシスコへ移転し、新たにニューヨーク・メッツが本拠地としていた1962年6月17日の試合であった。

シカゴ・カブスもまた初回から先発のアル・ジャクソンを攻め立て、ルーキーのルー・ブロックは右中間へスタンドインさせる。

後にブロックはライバルのセントルイス・カージナルスへトレードで移籍し、世界の盗塁王として才能を開花させる。

ポロ・グラウンズでのホームランはこの時を含めて2度しか記録していない。

そして最後の「バックスクリーン弾」は世界のハンク・アーロンが記録した。

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驚くべきことに、この最後の「バックスクリーン弾」は1962年6月18日に記録された。

つまりブロックが放った翌日のブレーブス対メッツ戦の3回表、ジェイ・フックから放った1発は中堅方向にスタンドイン。

アドコックもブロックも右中間であったため、文字通りの「バックスクリーン弾」はメジャーで唯一アーロンだけの記録である。

ちなみにこの時の一発は満塁ホームランである。

世界のアーロンはポロ・グラウンズで通算13本のホームランを放っている。

またアドコックとアーロンはブレーブスの同僚であり、2人とも両方の試合に出場している。

最後にポロ・グラウンズでウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」に触れないわけにはいくまい。

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この広大なポロ・グラウンズの中堅を守る選手はどれほど大変だったことだろう。

1954年のクリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズ(そう、あのルーク・イースターが出場できなかったワールドシリーズだ)。

第1戦2対2のタイで進んだ8回表、インディアンスは先頭のラリー・ドビー(後に中日ドラゴンズでプレー)が四球で出塁、続くアル・ローゼンの単打でジャイアンツは無死一二塁のピンチを迎えていた。

ヴィック・ワーツが放った大飛球は、中堅手ウィリー・メイズの頭を超えると思われたが、懸命に追いかけて見事キャッチする。

抜ければ走者一掃の2失点であったから、このメイズのスーパーファインプレーはニューヨーク市民に鮮明に映った(延長でジャイアンツがサヨナラ勝ちしたことも大きい)。

以後このプレーを「ザ・キャッチ」と呼ぶことになる。

ところでメイズはポロ・グラウンズの中堅守備を得意としていたのだろうか。

メイズのレンジファクターをポロ球場だけの指標と、全球場での指標とを比べてみた(レンジファクター=(刺殺+補殺)÷守備イニング×9)。

またリーグ平均も比較できるようにしてメイズの傑出度も分かるようにした。

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こうして見るとリーグ平均より0.2ポイント近いRF9を記録しており、メイズがいかに優秀な中堅手であったかが一目瞭然だ。

一方でメイズはポロ・グラウンズの広い外野を苦にせず、むしろ他の球場と同等レベルのレンジファクターを記録していることが分かる。

普段からポロ・グラウンズを「庭」にしたメイズだからできたファインプレーだったのではないだろうか。

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