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鬼に逢いに行く

小鬼のような猫が一匹飛び込んであかあかと芒野原の日暮れ       『花の渦』


 新年を迎えたと思ったらあっという間に松の内が過ぎ、各地でどんど焼きの火が燃え上がった。もう節分が目の前である。節分といえば、豆まき。そんなわけで、今回は「鬼に逢いに行った話」をしようと思う。


 休日出勤から思いのほか早く帰ることができた昨年11月の日曜日、二本松市の観世寺を訪れた。歌の取材である。福島県内に暮らしている人であれば、一度は耳にしたことがあるだろう「安達ヶ原の鬼婆」の伝説。その鬼婆が住んでいたとされる岩屋の跡と、鬼婆を葬ったとされる黒塚を見に行ったのである。観世寺も黒塚も、小学生の頃に一度訪れたきりであった。つまり、もう三十数年前ということになる。

「鬼婆が妊婦を自分の娘とは知らずに殺してしまう」という伝説は、今考えても明らかに小学生がきゃあきゃあ喜びそうな「学校の怪談」とは違う、おどろおどろしい不気味な話である。さらに「本物の」岩屋の跡を見上げれば、その記憶は一層強烈だ。三十数年前のこととはいえ、それは私の心の奥底にもしっかりと残っていた。この伝説が能や歌舞伎をはじめ、古くから多くの芸術家に多大なるインスピレーションを与え続けていることは周知の通りだ。私もみちのくに生まれ育ったうたよみの端くれとして、いつかは自分の歌にしてみたかったのである。頃は晩秋。何も知らずに岩屋を訪ねた僧侶、東光坊祐慶が鬼婆と出会ったのは、まさにこの季節――。
 とてもよい天気だった。観世寺に着いてみると参拝客は私以外誰もおらず、境内では二匹の猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしている。そして私が三十数年前に訪れた時に見たままの姿で、岩屋はあった。
 そうだ、確かにこれだ。あの時にはもっと人がたくさん見に来ていて、もっと薄暗い感じがしたけれど。家で「安達ヶ原の鬼婆」の話を聞いた後に、実はその岩屋の跡がまだあるんだよと父が言って、私が見たいとせがんだのだ。母とまだ小さかった妹は、この大きな岩が崩れてきそうでこわい、と言った――。
 そんなことを思い出しながらしばらく見上げていたら、恐かったはずの岩屋がなんだか懐かしかった。降り注ぐ秋の透明な光が、眩しかった。

福島民友新聞「みんゆう随想」 2019年1月17日

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