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【書く習慣】#15 コマ使いの逆襲開始

日本語教師になって10年弱になりました。
正確に数えると10年まで数年足りていないけど、ざっくりと。

今まで、海外での専任と日本国内での半専任、非常勤講師(複数校)を経験。
私が働いていた(現在も含め)日本語学校は非常勤に冷たい。

非常勤講師の立ち位置や扱いに関しては、それぞれの立場や考え方で異なるため、はたから見たら同じ「日本語教師」でも一つの意見に落ち着くことはありません。
意見が一つにならないことはむしろ健全だと思います。

いろいろな人がいるのに全員が全く同じ意見で全く同じ方向だけを見ているのは何とも気持ちが悪い。
このまま、いろいろな意見がぶつかる環境であってほしい。
でも、ぶつかる環境で弾き、潰し合うのではなく、妥協と認め合いの環境であってほしいと願うわけです。

私は今、自分で選択した上で「非常勤」という働き方をしています。
理由はいくつかあるけど今回は大して重要ではないので省略しましょう。

私の他にも当然多くの非常勤講師が働いています。
当然、同じ「非常勤講師」というカテゴリーでも完全に私と同じ人はいません。
旦那さんの扶養範囲内で働くことを希望している人、親の介護のために働く時間をセーブしたい人、子供の学校の時間だけ仕事したい人、他の仕事と並行している人、正社員が嫌なだけという人……

そんな「いろいろ」が集まる環境だけど、学校側には共通したものがあります。

今までの勤務校に限って、とあえて前置きをしておくが、
「非常勤講師は駒」という考え方だということ。

専任講師と非常勤講師を雑に説明すると、専任講師は正社員・学校の業務全般を担います。授業も担当するし、学生募集もするし、入管関係の仕事もするし、行事なども行います。
学校業務なんでもござれ。

一方で非常勤講師は基本的に授業のみを担当。
授業準備、授業そのもの、宿題やテストの採点はするけど、学校全体業務には関与しません。
自分が担当する曜日・時間の授業を責任持って行えば、それが仕事。

お互いそのつもりで勤務していれば、それ自体は問題ではないでしょう。
私も時間外に学生の家庭訪問はしたくないし、学費の徴収にやいのやいの言いたくない。
そのかわり、自分が担当する授業では学生が最大限、日本語の言語能力が伸ばせるように協力したい。

ただ……
私が勤務した歴代の学校にとって「非常勤は駒に過ぎない」というのが、見え隠れしています。
いや、隠れていない。見えまくっている!
全面に出てしまっている!!!

どういうことか。
・何でも主語が「非常勤の先生は〜」で始まる。
・専任が非常勤の進退の全てを握っている。
・学生は「専任の学生であって、非常勤の学生ではない」という対応。
など。

他の業界や、同じ業界でもこのような立場の違いを明確にされたことがない人にとっては、何のこっちゃまるで意味が分からないでしょう。

今回は、これでも愚痴を垂れる記事が書きたいわけではありません。
だから、あれこれ学校を悪くいうのは避けたいですが、1個だけ。

日本語学校はこの時期に後期の時間割り編成があります。
変わらない場合もあるし、変更がある場合も。
学校にもよるし、クラスの変更や増減にもよるので、まさに時と場合によって。

私の学校は今回全体的に変更がありました。
約2週間前に「後期の先生が足りない。min先生、もう少し入れる日ありますか?是非お願いしたいんですが」と主任からお話が。

ありがたいお話だし、学校にいろいろ思うところはあっても先立つものはお金なわけで。
それに、今のところ私の中では「そんなもんかな」で流せる範囲でした。
だから、可能な限り調整して、他にいただいていたお話を断ったりも。
確実に授業が増えると言われ、その場合ひとまず3月までは安定して授業があることは確実だったから。

さて、蓋を開けてみたらどうでしょう。

全く増えていない。
減ってもいないので単に変化なし。

確かに先生が足りないからこそ、求人を出していたことも知っているし、その先生たちにも授業を担当してもらう必要があることは理解しています。
でも、でも……

これ、人材を大事にしていたらできないと思うんですよね。
自分から増やしてほしいと話しておいて、何の断りもなく話そのものが無かったことになっているなんて。

依頼されていたことに応えようとしたら、全く違う結果になってしまいました。

こっちにも生活はあります。
私が非常勤でいるのには理由がありますが、給料が安くても気にしないというわけではありません。
普通に生活がかかっています。

でも、私の学校の主任に言わせると「非常勤だからしょうがないよね」で終わりです。
この流れでそれ言うのか?と意味がわかりませんが、この人はこういう考え方だということですね。

いつまでも当たり前に都合よく使われる駒なんて、まっぴらごめんです。
でも、日本語教師そのものを辞めたいとは思っていない。

直接、なんらかの仕返しがしたくなることもありますが、私がいなくなっても他の人を採用したら済む話です。
最近は簡単に採用に至らないようですが、それでも私が一人に抜けても学校はどうにか回していきます。
にっちもさっちもいかない状況にはなりにくいです。

そもそも相手に直接ダメージを与えることは、結局自分にもダメージを与えることになるので、別れた時によくいう「あの人より幸せになる」の作戦でいきましょう。
私の幸せはこの主任には届かないし、全く関係のないことで相手にダメージがあるわけではありません。
でも、私の中で「ここに固執しなくてよかった」「もっと豊かな生き方かできている」と満足感になればそれでいいのです。

だって、私の人生の主人公はあくまで私で、主任や日本語学校は脇役みたいなものです。
よくて友情出演といったところでしょうか。
エンドロールに小さく名前が載るかどうか。
もしかしたら、一気に流れる一覧に入るくらいで個人名として認識される表記じゃないかもしれない。

私は日本語教師を辞めるつもりはないけど、このままがいいとも思っていません。
自由に旅行できるように働き方も変えたいし、学生が望まないテキストでつまらない授業をどうにか楽しい風にやりたいわけでもありません。
当たり前にプライベートを削りまくって、休日もけっきょく仕事で終わるなんてのも業界の悪しき風習の一つだと思っています。

いつまでこの学校にいるかはわからないけど「この学校ではなくても私は一向にかまいませんけどね!」の領域まで行くのです!!

あ〜、知らない世界に飛び込まないといけないとなると不安はつきものだけど……今ならまだまだ自分で動ける。
どこにでも好きなところへ。
DoingもBeingも自分の選択次第。

自分を大事にしてくれないところに大事なことを求めるよりも、息のしやすい方に進んでいきましょう。
逃した魚は大きいぞ。といつか思われたら、それはそれでラッキーかなってくらいで。

今は以前みたいに当たり前に採用側が都合よく非常勤を選べる業界環境ではない。
特に即戦力が欲しくても、今の勤務校には簡単には集まらない。
でも、私は自由に飛び立つの。

直接的な逆襲はしないし、これぞまさに自己満足の極み。
でも、それくらいがちょうどいいはず。

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