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正直な話:透明人間ではない私たち

       (約1,000字)

あるクリエイターさんが大量の記事を削除されて、noteにいらっしゃる気配がありません。

私はリアルの友達に話しました。

「会ったこともなくて、悲しいと思うの?」
という当たり前の反応でした。

コメント欄で言葉のやり取りをしていると、
職場で毎日顔を合わせて何も話さない人よりも、よっぽど気持ちが分かる気がしていることを伝えました。

「たしかに、そうかも」

とランチタイムの中華屋さんで、職場の友達は納得してくれました。

「SNSは信用してないけれど、私の気持ちは分からなくはない」と。

本音の部分、言ってはいけないことの区別はつくが、年齢が離れている、性別が違う、言語が異なる、遠くに生活している、と私たちは「違う」ことがいっぱいあります。

嘘は嫌いと言いながらも、詩や創作した物語には多少、別人格のような記事もあります。

それを杓子定規に受け取られてもがっかりされるだけですから、私はオフ会なるものには興味がありません。

コメント欄を使って、
誰かに自分の考えていることを伝えて、
タイムラインにその人の記事を見ないと思っていたら、ブロックされていました。

多分、あの記事のコメントだろうと見に行くと、跡形もなく私のコメントは消えています。

ブロックするほど嫌われたのだから、noteでは私は黒歴史認定です。
自分から出た言葉は、傷つけるつもりがなくても、その人にとってはクズ言葉です。

でも、私は透明人間ではありません。
リアルでは泣いたり怒ったり、喜んだり悲しんだりしています。

朝。

たしかに陽が昇る時間で、仕事に行く身支度を整えなければならないけれど、
涙が出るのです。

ブロックされたことじゃなくて、冒頭のクリエイターさんに対してです。

大人だからメンタルが強くなるのではありません。
外で泣いたりするのが許されるのは、小さい子どもだけです。
私は玄関から一歩でたら、映画や観劇などのイベントでないかぎり、泣きません。

癌告知で、
外出先で泣いたことはありましたが。
(後で、癌ではないことが分かりましたが、別の病名をもらいました)
↑これは記事を書きました。

悲しいことは大人になっても悲しいし、
若いから、
人生経験が無いからといって、
メンタルが弱い、ということではありません。

記事に何を書いてあっても、
自分の行いを何とも思わない人もいるでしょうし、まさか私が傷ついていることなど
まるで想像していないかもしれません。

実体があるから、文章を書いています。

透明人間ではないのです。





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